ert作品

クスグリトラレ

第17話 沙織
 芦浦先輩の家は、とても広くて綺麗だった。ソファはふかふか、フローリングはぴかぴか。照明は自在に調整できるらしく、先輩が、落ち着くようにと言って少し薄暗い暖色照明にしてくれた。照明のおかげでムードは抜群。出されたミルクティーとケーキも最高に美味しかった。まるで、高級ホテルの一室に泊まっているような気がした。
 あたしと先輩は、2本続けて映画を見た。大きな画面で見ると、映画館で見るのとなんら遜色なく感じられた。しかも立体音響。部屋の左右に置かれたステレオセットは本格的だった。
 2本立て続けに映画を見ると、さすがに疲れた。しかし、とても気持ちの良い疲労感だ。ぼんやりと、自分の体がどこか遠くに行っているような、不思議な感覚。あたしは、良い映画を見えた後のこの心地よい疲労感のために、映画を見るのかもしれない。先輩の2本の映画チョイスは、最高だった。
「先輩、……今日は、ありがとうございました。なんだが元気が出て――」
 あたしは立ち上がろうとして、ふわりと体が宙に浮くような感覚がして、足がもつれた。
「沙織ちゃん!」先輩が抱きとめてくれた。
「……あ、れれ? あたし、どうしちゃったんだろう?」
 めまいなんて、初めてだった。
 それに、なんだか顔が熱くて、妙に下腹部がくすぐったい感じ……。
「さすがに2本連続は疲れちゃったかな。ちょっと横になる?」
 至近距離で、先輩と目が合う。ドキドキと心臓が高鳴った。先輩の口から、ほんのり牛乳の香りがした。さっき一緒に飲んだミルクティーだろう。
「……は、はい」
 あたしは、言われるがままに、スリッパを脱いで、ソファに横になった。
 ソファがふわふわで、あったかくてえ、すぐにでも眠れそうだった。
 先輩が、心配そうに顔を覗き込んできた。
「大丈夫?」
「……だ、大丈夫、です」
 あたしは顔が火照ってくらくらした。
 先輩があたしの手に触れた。あたしはさらにドキドキした。
 あれ……? これの感覚って……。
「沙織ちゃん、マッサージしてあげようか」
「……え」
「沙織ちゃんの走り方って腰にくる、というか、疲れやすいと思うんだよね。今日いろいろあったし、余計に疲れが出ちゃったのかもしれないよ」
 なんだろう……? 先輩の声が遠くで聞こえる。
 でも、この感覚。……もしかして、先輩のこと、好きになりかけてる?
「俺のマッサージ、結構評判いいんだぜ?」
 先輩に手をきゅっと握られる。
 あたしは、そっと握り返した。
「……お、お願い、します」

 先輩は、あたしの足元にしゃがんだ。
「靴下、脱がすね」そう言って、あたしのスニーカーソックスに手をかけた。
 片足ずつ、ゆっくり、丁寧に脱がしてくれる。
 じわじわと脱がされると、なんとなく恥ずかしかった。
「あ、やっぱり綺麗な扁平足だ」
 そういって先輩はあたしの土踏まずに指を当てた。

「ひゃあっ」

 くすぐったくてつい声が出た。
 きゅっと足指に力が入った。
 じろじろと足を見られて、恥ずかしい……。
「沙織ちゃん、いつも踵で走るからそうじゃないかと思ってたんだよね。その走り方だと、腰に疲労が溜まりやすいんだよ」
 先輩はそう言うと、指先で、両足の土踏まずの真ん中をくりくりいじり始めた。

「ひゃっ、あは、ふあははっ!? ひょ、ちょ、先輩、くすぐったいです……」

「この辺が体を支えるツボだったり、腰回りの腎臓のツボがある位置だね。足つぼって強く押すやり方もあるけど、最近の流派だとこうやってほぐしてあげるやり方があるんだよ」
 先輩はニコニコ言いながら、あたしの土踏まずを人差し指で掻き続ける。
 土踏まずの一点に刺激が集中して、ぴりぴりとくすぐったさが脳に響いてくる感じがする。

「やっ、ひひひっ、あはっ、くすぐったいぃっ、くふふふ〜〜」

 先輩のことばに意識を集中すればするほど、どんどんくすぐったくなってくる。 
「足の裏は体中の神経と繋がっているからね。こうやってときどきマッサージをしてあげたほうがいいんだよ。沙織ちゃん、自分で足の裏を触ったりはしてる?」

「ひひっひっひ、……ひし、してないですっ、んふふひ」

「それじゃあ今日は徹底的にほぐしてあげるね」
 くすぐったくてたまらない。
 だけど、先輩のご厚意を無下にすることはできない。
 それに、足の裏を触られる度に、たしかに体の中がぽかぽかあったかくなるような気がした。

「んふふふ、お、お願いしますぅ……くふふふ」

「じゃあ、次は」
 と、先輩が触れた場所。
 足指の付け根。
 その瞬間、あたしの体に電流が走ったような感覚がした。

「んひゃっ!!? ぷくっくうくははははっ!!」

 あたしはたまらず笑い出してしまった。
 先輩はそれぞれ5本の指をつかって、わちゃわちゃあたしの足指の付け根を弾いている。

「きゃはははっ、そ、そこなんですかぁあははははははははっ!?」

「ここはリンパだね。扁平足で走ると、体の下に血が溜まって足がむくみやすいんだよ。ここはじっくりほぐしてあげよう」
 そう言って、先輩は少し爪を立て、あたしの足の裏を掻き鳴らす。

「きゃはっはっははっははっはっは!!? ちょふぁあぁ〜〜はっはっははっはっはっは、せんぱっ、くすぐったぃっ、あ゛ぁ゛あぁ〜〜〜」

 先輩のしなやかな指さばきが、そのままあたしの脳に侵食してくる感じがする。
 くすぐったさで、頭がショートしそうだ。
 ぞくぞくとする不思議な感覚に、あたしはやみつきになりそうだった。

 ふと、サワチンの顔が脳裏をよぎった。
 あれ? あたし、こんなところでなにやってるんだろう?
 ずっと、サワチンのこと、好きだったのに。
 頭の中がぼーっとして、混乱している。
 サワチンの隣には、ぼんやりともやのかかったおっぱいの人が見えた。サワチンは手を引かれ、もやの中へと引きずり込まれていく。
 ……あ、そうか。
 サワチンにはもう、彼女がいるんだ。あたしの手の届かないところにいるんだ……。

 だったら、もう、いいや。

「せんぱあぁっははっはははっははっはっは!!! もっとぉお、ひっひっひっひいっひっひ、あたしを狂わせてぇえぇへっへっへっへっへっへっへ〜〜」

 足の裏から送り込まれてくる刺激に身を委ねていると、すべて嫌なことを忘れられる。そんな気がした。
 あたしの口からは、自然と先輩を求めることばが溢れていた。


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