ert作品

クスグリトラレ

第15話 幼馴染み
「おっす、サワチン」
 登校中、元気な声とともに肩を叩かれた。
「あ、沙織、……おはよう」
 喧嘩しようが、ギスギスしようが、一晩明けると沙織はいつも元通りのテンションに戻ってくれる。だから気兼ねなく、幼馴染みの関係性を続けられてきた。そう感じていた。
「どうしたの? サワチン、今日も元気ないじゃん。彼女さんと喧嘩でもしたの?」
「だから、そういうのじゃないって……」
 沙織のいつもの軽口を僕は受け流す。
 校門に到着すると、茂上先輩がいつものように立っていた。
「おい、シャツが出ているぞ! しまえ」
 そう言って男子生徒の身だしなみを注意する茂上先輩は、素足でローファーを履いている。
「お前! 第一ボタンをちゃんと留めないか! スカートも短すぎるぞ!」
 茂上先輩の矛先は、沙織に向いていた。
 沙織はむっとした様子で、
「先輩だって、靴下穿いてないじゃないですか! 自分のことは棚に上げて、他人には文句言うんですか!」
「校則にあるのは身につけたものの規定だ。ソックスとスカートにあるのは長さと色の規定のみ。穿くか穿かないかの規定はどこにもない。スカート丈の規定が守れないなら、スカートを脱げ」
「そんなの屁理屈じゃん!」
「屁理屈なものか。お前、自分で直さないなら、私が脱がせるぞ」
 茂上先輩が一歩沙織の傍に近づくと、
「ふざけんなばーかばーか!」
 沙織はべっと舌を出して駆け出した。どかどかと1年生の校舎に向かって走って行く。
「き、貴様っ」
 茂上先輩は逆上して、沙織を追って駆け出した。
 僕は、ひとり校門前に取り残された。
「やっぱ、茂上みつぎみたいな女子が素足で靴履いてると、倍萌えるよなあ」
 耳元で不快な声が聞こえた。
「澤部、昨日のDVD」
 芦浦が僕の肩を叩いた。触るな。なんでこんなときに、朝から登校してくるんだ、こいつは。
「……きょ、教室で渡すよ」
 芦浦は、茂上先輩と沙織の追いかけっこを見て、目を細めた。
「あの追いかけられてる奴、澤部の連れか?」
「え」
 僕はフリーズした。
 まさか、芦浦、沙織に目を付けた、のか……?
 その瞬間、僕の脳裏に、芦浦の毒牙にかかって変貌してしまった木本さんや星野さんの顔が浮かんだ。沙織が、芦浦に変えられてしまうかもしれない。沙織を、失うかもしれない……っ! 近すぎて気づけなかった沙織の尊さ。大切な幼馴染み。生まれてはじめて、彼女を失う恐怖を身に染みて感じた。
「俺さ。走り方でわかるんだよ。あの女、俺好みの足の形してやがる。な、澤部。あいつの名前教えてくれよ」
 芦浦が僕の肩を抱いてくる。
「あ、その……」僕はぶるぶると震えた。怒りに似た感情だった。
 しかし僕には、奴の手を振り払うことも、怒鳴りつけることもできなかった。
 代わりに絞り出した答えは、
「お願い、します。……僕は、なんでもするから、沙織には、手を出さないで」
 土下座だった。

 その日の昼休み、僕は、屋上へ向かう階段の踊り場にいた。
 今朝、芦浦と交わした会話が頭の中をぐるぐる駆け巡る。
「お前、その女に惚れてんの?」
「あ、いや、……ちが」
「違うのか?」
「沙織は、……僕の幼馴染みで……」
「お前、クズだな」
「……っ!?」
「俺のアプローチを受けるかどうかは、そいつが決めることだろうが。好きだとも言えねえ女を保留状態にしたいがために、そいつの意志を無視してまで束縛しようとする、お前はクズだろ」
 ……僕は、クズ。
 芦浦には、昼休みは屋上に来るなと言われたが、来てしまった。
 しかし、屋上に踏み込む勇気はなかった。
 もしかすると、いままさに、沙織が芦浦にたぶらかされているかもしれないというのに。
 ……でも、それは、沙織が決めること、だもんね。
 僕には、沙織にどうして欲しいのか、わからなくなっていた。
 踊り場で悶々としていると、昇降口の扉が開いた。
 僕は慌てて階段の階段の手すりの後ろに隠れた。
 屋上から校内に戻ってきたのは、沙織だった。
 口元を指先でいじる仕草をしているし、顔がちょっと赤い。見るからに動揺している。まさか、芦浦の誘いに乗ってしまったのか?
「あ」沙織がふと視線を横へずらした瞬間、僕と目が合った。
 二人ともしばしの硬直。
「……さ、さ、サワチン!? こんなところでなにやってるの!?」
「さ、沙織こそ、屋上でなにを……!」
「あ、あたしは……っ」
 と、沙織は言いかけて顔を一気に紅潮させる。
 ……ああ、この反応は、芦浦に告白されたのだろう。奴のやり方は、茂上先輩の件で把握している。
 芦浦はやめておけ! 奴は沙織のことをモノとしてしか見ていないんだ!
 そう言いたい……。
 でも、告白は受けるかどうかは沙織が決めること……。僕と沙織は幼馴染み……。僕に、沙織の意志を踏みにじる資格なんて無いんだ……。
「沙織……」
「えっ」
 僕の呼びかけに、沙織はびっくりするほど目を見開いた。顔が赤く、かなり動揺している様子。芦浦に告白されたことが、そんなに心に響いたのか。それなら……
「沙織が好きなようにすると良いと思うよ……」
 僕は目を伏して言った。沙織と目を合わせるのがなんだか怖かったのだ。
 沙織の反応がない。
 おそるおそる目を上げると、沙織は怒っているような悲しんでいるような……悔しそうな表情をしていた。
 また沙織が癇癪を起こしているのかと思った。
 殴られるか、罵声を浴びせられるかと思った。
 しかし、沙織は無言のまま、踵を返して走り去った。どかどか、大きな音が立った。
 ふと昇降口を見ると、芦浦が降りてくるところだった。
「あ、お前、やっぱりいたんだ。放課後はいつも通り屋上な。今週いっぱいは毎日な。遅れるなよ」
 芦浦の余裕の笑みは癪に障った。


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