ert作品

クスグリトラレ

第8話 埋め合わせ
 金曜日の昼休み。
 その日も星野さんに連れられて、食堂に行った。
 4時間目の授業が終了するや否や、星野さんに腕を引っ張られたので、従わざるを得なかった。芦浦が僕に声をかける隙は一瞬も無かった。
 僕と星野さんは昨日と同じ席に座って、それぞれ日替わり定食と麻婆茄子定食を食べている。
 しばらくたわいない話をした。
 星野さんが、学校行事のこととか、テストのこととか一方的に話していて、僕は相槌を打つだけだが……。
 僕は現状に違和感を感じている。星野さんは、学級委員だからという理由で僕を芦浦から距離を置くよう勧めてくれているらしいが、いまいちしっくりこない。
「私さ、1年の頃、芦浦に告白されたことあるんだよね」
 ちょっと会話がとぎれたところで、星野さんが切り出した。
「そんときは別に考えとくか、って感じで、特に悪い印象はなかったんだけどね。しばらく話すうちに、あいつの正体に気付いちゃったから、もう、ないわって思った。あいつ、人良さそうに見せたり、口が上手かったり、ときどき妙に賢いところ見せたり、優しい言葉かけたり、……言動が全部計算尽くなんだよね」
「そ、そうだったんだ……」
「人間だから、表裏が多少あるのは当然なんだけどさ。なんだか私、わかっちゃうタイプなんだよね。あいつ、女子のことを……てか、他人のことを、道具か玩具にしか思ってない。下心隠蔽するためのキャラ作りとか、そういう次元じゃない。ガチでさ、関わるとヤバい奴だと思ってる。だからさ、澤部君みたいな子があいつと一緒にいると、心配になるんだよね」
 僕は得心する。星野さんは、芦浦に対する不信感があったから、僕を助けようとしてくれたのだ。そうでなければ、星野さんが、わざわざ僕なんかに気をかけてくれるはずがない。
 僕の様子を見て、星野さんは苦笑した。また感情を読まれたのだろうか。
 ふと、星野さんの視線が窓の外へ動き、眉をしかめた。
 僕もそちらを振り返る。
「……え、芦浦?」思わず声が出た。
 窓から見える、渡り廊下の自販機の前で、芦浦と茂上先輩がなにやら言い争いをしている。いや、言い争いというか、茂上先輩が一方的に怒っていて、芦浦がなにやら懇願している感じか……。
「あいつ、最近茂上先輩にまでちょっかい出してるのね」
 星野さんは嘆くように行った。少し逡巡して、
「ちょっと行ってくる。澤部君は待ってて」
 席を立った。
 待ってて、とは言われたが、僕も気になって後を追った。
「ホント、一回だけでいいっすから! お試しでもいいんで! お願いしますよ!」芦浦の声が聞こえる。
「だから! なんで私がお前なんかと! ……シャツを入れろ!」茂上先輩が怒鳴る。
「みつぎさん、勉強めっちゃ頑張ってるじゃないっすか。だから息抜きに! こないだ模試で、英語と数学がクラス1位だったじゃないすか。俺からお祝いさせてくださいよ!」
「な、なんでそんなこと知っているんだ……っ」
「俺も本気なんすよ。みつぎさん、俺、もう、みつぎさんのことしか考えられないんすよ」
「……っ」
 僕は、草むらに隠れて、二人の様子をうかがった。
 茂上先輩の表情は引きつってはいるが、ほんのりと赤い気がした。
 あれ? 星野さんは?
 自分より先に出たはずの星野さんの姿が見当たらない。……と、思ったところで、
「ちょっと、芦浦! 茂上先輩困ってるじゃない! やめなさいよ!」
 と、僕の隠れた草むらの反対側の草むらの陰から、星野さんが出てきた。
 芦浦はびっくりしたように目を見開いた。
 なにか言おうとしたのか口を開きかけて、閉じる。
 芦浦は冷静だ。
 なぜか、茂上先輩の方が狼狽していた。
「ほ、星野か……! ど、どうしたんだ、こんなところで……っ!」
「なんか大声が聞こえたんで。茂上先輩、こいつになんか言われたんですか? 関わらない方がいいですよ」
 星野さんはぐいぐい二人の間に入っていく。
「芦浦、どういうつもり? 先輩にまでちょっかい出して」
「別に、ちょっかいとかじゃ、……なぃ」
「あ、語尾いま濁したね。へえ、茂上先輩の前では猫被ってるんだ。クラスにいるときみたいな乱暴な口調だと、先輩に嫌われるから? ねえ」
 星野さん、そんなに煽って大丈夫なのか? 芦浦、青筋が立ってるよ。
「先輩も、こんなやつの相手するなんて、らしくないですよ。中学の頃はもっとガード堅かったじゃないですか」
「……っ」茂上先輩のぐうの根も出ない表情。初めて見た。
 星野さんは、そんな茂上先輩の腕を掴み、芦浦をにらみつけた。
「芦浦。二度と先輩に近づかないで」
 星野さんは、茂上先輩を引っ張って校舎内に去って行く。
 ひとり取り残された芦浦は、面倒くさそうに頭を掻いた。

 それから、土曜日、日曜日になっても、芦浦から連絡は一切来ない。動画を編集してDVDに焼くよう言われたっきりである。
 僕としては嬉しいことなのだが、どことなく不安だった。
 僕は、出所のわからないもやもやした不安を抱えながら、沙織との待ち合わせ場所に向かった。
 沙織はすでに待ち合わせ場所の駅前広場に到着していた。
 Tシャツに膝丈ジーンズにスニーカー、キャップという、ずいぶんとボーイッシュでラフな格好だ。ふくらはぎが露出していて、一瞬素足で靴を履いているように見えてゾッとしたが、靴の縁を見るといつものようにスニーカーソックスを穿いているのが見えた。
 久しぶりに彼女の私服を見た気がする。
「あ、サワチン来たあ!」
「ごめん、遅くなった」
「ううん、あたしが早く来ただけだし!」
 沙織は、いつになく上機嫌に見えた。
 この前の電話で少し不機嫌そうだったため心配していたのだが、杞憂だったようだ。
「じゃあ、さっそく行こうか」僕が促すと、
「うん!」と腕に絡みついてくる沙織。
「ちょ、……そういうのはやめようよ。恥ずかしいよ」
「埋め合わせなんだよね? だったら主導権あたし−!」
「……むぅ」
 ノリノリの沙織に引っ張られるようにして、映画館に入る。
 二人分のチケットを切って貰い、最もキャパシティの大きい2番シアターに案内された。SF映画はあまり詳しくないのだが、大ヒット中らしかった。
 僕と沙織は最後部座席の端の方に並んで座った。塩キャラメル味のポップコーンを買わされた。600円だった。映画館の食べ物ってこんなに高いんだね……。2人分の飲み物と合わせると1300円だった。僕のウーロン茶が300円で、沙織のコーラが400円だ。
 上映開始まで後2、3分ぐらい。隣の沙織は、よくわからないSF映画の歴史に関する話をしているので、聞き流す。
 ふと視線を客席に向けて、思わず二度見した。
 間違いない。
 客席に入ってきたのは、茂上先輩と芦浦だった。
 私服の茂上先輩は露出の少ないロングスカートにカーディガン。芦浦はTシャツにチノパン。首や手首にじゃらじゃら装飾品を付けている。
 茂上先輩がひとりでどんどん前の方の席に行くのを、芦浦が特大の塩キャラメル味ポップコーンとLサイズのジュースふたつを抱えて追いかける。
 茂上先輩は相変わらず邪険にあしらっているようにも見える。まさか、一緒に来たのだろうか?
 並んだシートに隣り合わせで座る二人。
 芦浦がポップコーンを差し出し、つんとそっぽを向く茂上先輩。「どうです? みつぎさん、食べませんか? 美味しいですよ?」「いらん!」というような会話が想像される。特大ポップコーンはたしか1400円だ。それにLサイズのジュースとなると、結構な額になるだろう……。
「サワチン、聞いてる?」
 隣の沙織に小突かれた。
「あ、や……ごめん。ぼーっとしてて――」
 そのとき上映ブザーが鳴り響き、照明が落ちた。沙織はちょっと不服そうだったが、すぐスクリーンに向き直った。
 映画上映最中も、僕は茂上先輩と芦浦の位置が気になってしかたがなかった。暗いし遠いため、気にしたところでまったく見えないのに。
 結局僕は、まったく映画の内容を把握することができなかった。
 客席が明るくなると、すぐに茂上先輩は立ち上がって、すたすたと出口へ向かう。
 芦浦は、空になった特大ポップコーンのカップに、ジュースの紙コップを2個放り込んで、いそいそと追いかける。
 茂上先輩は相変わらずぶすっとしているように見えた。しかし、ふと右手の指を舐める仕草。結局二人でポップコーンを食べたらしい。
 芦浦が通路を通るとき、こちらに気付かないかひやひやしたが、杞憂だった。
 茂上先輩と芦浦が完全に出て行ったのを見計らって、席を立つ。
 隣を見ると、沙織が泣いていた。
「え、沙織? 大丈夫?」
「だってぇ、……アレックスがぁ」涙声で言う沙織。
 僕は、映画をまったく見てなかったので、アレックスなる者が誰でなんなのか、まったくわからなかった。


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