「サワチン、昨日も放課後いなかったじゃん、何してたの?」
「別に……」
聞かれても答えられるわけがない。
昨日の放課後は、芦浦が宮下さんをくすぐる姿をずっと撮影していたのだ。
芦浦が言うには、昼休みは新規の子獲得のため、放課後は既存の子保持のため、とはっきりと時間の活用区分を定めているのだとか……。
宮下さんはすっかり芦浦にでれでれの様子だった。彼氏の向井先輩とは疎遠になっているらしい。
「ねえ、サワチン、最近おかしくない?」
「うるさいなぁ……もう」
沙織がしつこく聞いてくるのを適当に流しながら、学校へ到着する。
すると、
「ふざけるなあ!」
もの凄い怒声が校門から聞こえてきた。
びっくりして立ち止まって見ると、芦浦と茂上先輩だった。
「昨日あれほど染め直せと言ったのに……お前は!」
茂上先輩はわなわなと唇を震わせた。
対峙している芦浦は、昨日同様金髪ピアスのままだ。シャツの裾も再びだらんとはみ出している。
僕が二人の動向を見守っていると、
「ねぇ、サワチン? なんで立ち止まるの? 早く行こうよ」
沙織が横からくいくいと袖をつまんできた。
「あ、いや……先行ってて」
「なんで?」
「……1年生の校舎あっちだろ?」
「全然理由になってないけど」
「いや、だから……先行っててよ」
僕が繰り返すと、沙織はものすごく不機嫌そうに頬を膨らませて、「ばか!」と捨て台詞を吐いて、どかどか走り去った。
沙織はすぐ癇癪を起こすからな……。
そんなことより、いまは芦浦と茂上先輩のやりとりが気になった。
「だって、……真面目な服装に直しちゃったら、みつぎさんに叱ってもらえないじゃないっすか」
ふて腐れたような態度を取る芦浦。やけにいじいじとして拗ねているように見える。そんなキャラじゃないくせに。
しかし、それを知らない茂上先輩には効果覿面の様子。ぐぬぬ、と顔をゆがめている。
「な、なんだ! おま……、怒られたくてそんな格好をしているというのか!」
「だからそうだって言ってるじゃないすか。俺にはみつぎさんが必要なんすよ」
「馬鹿なことを言うな!」
茂上先輩は怒り狂いながら、昨日と同様に芦浦のシャツをズボンに押し込んだ。
「みつぎさん……、あんがとっす」
芦浦はそう言うと、にへらっと笑顔を見せる。
「……っ、明日は、髪を染め直して来るんだぞ」
茂上先輩は、目をそらして、ぶっきらぼうに吐き捨てた。
その日の昼休みは、珍しく芦浦が誘ってこなかった。
不思議に思い、僕は芦浦をつけることにする。
「ちょっと!」
教室から出ようとしたところで、星野さんに声をかけられた。
「な、なに……? 星野さん」
立ち止まった僕の目の前に出てきて、腰に手を当てる星野さん。
いつも怒ったような顔をしているから怖いのだ。
「また芦浦に呼ばれてんの?」
星野さんは、じっと上目遣いでにらんでくる。
「……呼ばれて、ないよ」
「ふうん。そう。だったら今日、お昼付き合ってよ」
「え?」
まさかの誘いに、僕は度肝を抜かれた。
「芦浦に呼ばれてないんでしょ? 私の誘いは断るの?」
「……」
僕は、人にものを頼まれると、断れない性分だった。
食堂の一画。
「澤部君って、芦浦の友達なの?」
テーブル席に、星野さんと向かい合って座っている。
女の子と二人きりで食事をするなんて、初めてのことだった。……あ、違う。幼馴染みの沙織を除いては、初めてのことだった。
星野さんは、少しきつめの性格ではあるが、その美しい容姿でクラスや学年では一定の人気があった。そのため、食堂で僕に向けられる男子達の嫉妬を含んだ視線は辛い。
「……い、いや、友達というか」
僕はことばに詰まる。
「澤部君、芦浦にいじめられてるんじゃないの?」
「え」
星野さんの口から出た予想外の質問に、僕は驚いた。
「いや、……そんなことないけど――」
「最近ずっと澤部君、芦浦と一緒にいるじゃん。全然タイプ違うのに。嫌々付き合わされてるんじゃないの?」
星野さんは、僕の回答に食い気味に言った。
「……」僕は黙ってしまった。嫌々付き合っていることは事実だから、とっさに否定することができなかったのだ。
「ほら、やっぱり嫌々なんでしょ? じゃあ、なんで芦浦と一緒にいるの?」
「……」僕は目を伏した。
「弱みでも握られてるの?」
「……っ」
「え、マジで?」
怖い。星野さんは、僕の微妙な表情の変化だけで、感情をスキャニングする能力者なのだろうか?
僕が黙り込んでしまった。
星野さんは腕組みをして少し考えてから、
「その弱みって、人に言いたくない感じのこと?」
「……っ」
「そっか。じゃあさ、澤部君。昼休み、しばらく私と一緒にお昼過ごしてもらってもいい?」
「え?」
僕は驚いて顔を上げた。
「別に変な意味じゃ無い。一緒に食事するだけよ。澤部君が言いたくないことを聞き出そうとか、そういうのは思ってない。澤部君、芦浦と距離置いた方が良いと思うから、その口実にってこと。芦浦には上手いこと私が交渉するし」
星野さんは、淡々とそんなことを言う。
僕がぽかんとしていると、
「澤部君。別に私のこと嫌いとかじゃ無いでしょ? 少なくとも芦浦よりはマシ。……あ、もし芦浦の方がマシって言われたら、ぶっちゃけショックだけど」
星野さんは苦笑した。
星野さんと一緒に食事……。僕にとっては嬉しい限りの申し出だった。しかし、こんなステキな女性が僕なんかとどうして? 違和感しか無い。
「星野さん、……どうして、そこまで、やってくれるの?」
僕が訊ねると、星野さんは真面目な顔をして言う。
「私、学級委員だからさ。うちのクラスでいじめとか嫌なんだよね」
その日の放課後、さっそく星野さんが芦浦の元へ向かった。
「芦浦。しばらく澤部君につきまとわないでね」
ド直球だった。『上手いこと交渉する』というのは、なんだったのか……。
「あ、急になんだ? 澤部、お前ら、付き合うの?」
芦浦は僕の席を振り向いた。
「あ、いや……。その」
僕が困っていると、芦浦の席と僕の席の間に、星野さんが割り込んだ。
「澤部君は関係ない。私が一緒に話したいだけ。芦浦、文句ないでしょ?」
すごい交渉だった。彼女の言っていた『上手い交渉』というのは力業なのか……。
芦浦は面倒くさそうに顔をしかめた。
「澤部のことなのに、澤部に関係ないってどういうことだよ……。まあいいや。好きにしろよ」
芦浦は意外にもあっさり引き下がってくれた。
僕がきょとんとしていると、
「澤部、じゃあな」
芦浦は爽やかな挨拶をして去って行った。不気味だった。
放課後に時間ができるのは久しぶりだ。
ふと、沙織と一緒に帰る誘いを断り続けていたことを思い出す。
昨日は沙織が僕の教室まで誘いに来てくれていたが、今日はいない。
埋め合わせもするって、約束しちゃったしな……。
ちょっと恥ずかしいが、僕が沙織の教室まで行ってみる。
ちょうど教室から出てきた三つ編みの女子生徒に質問する。
「沙織ならもう帰りましたよ?」
そう返されてがっかりする。
最近、沙織とはすれ違いっぱなしだな……。
「あれ? 先輩もしかして、沙織の彼氏とかですか? いいですね! ひゅーひゅー」
三つ編みの大人しい子だと思ったから声をかけたのに、ぐいぐいこられた……。ひゅーひゅーって、何年前の世代なのか。いろんな意味でがっかりする。
「そんなんじゃないよ……僕は――」
そう言いかけて、固まってしまった。
ふと視線を落として気付いてしまったのだ。
その三つ編みの子は、素足で上履きを履いていた。
僕はその日の夜、沙織に電話をした。
電話口の沙織はちょっと暗かったが、
「えー! 今日うちの教室来てくれたの!? サワチンそれなら朝言っておいてよー! 一昨日も昨日もダメだったんだから、今日もダメって思うじゃん!」
今日教室まで迎えに行ったことを話すと、すぐに元気になった。
「ごめん……」
「いや、あたしもすぐ帰っちゃったし。明日は一緒に帰れる?」
「たぶん帰れる」
「やった!」
沙織は嬉しそうだ。
そんなに一緒に帰りたかったのか。もしかして沙織、クラスに友達がいないんじゃないか……? 僕も他人のことは言えないが、心配になった。
だが、いまは、それよりも気がかりのことがある。
「……あ、あのさ。沙織のクラスに、三つ編みの子っている?」
「ん。もしかしてえっちゃんのことかな」
「えっちゃん?」
「清森悦子。学級委員だけど、それがどうしたの? あー、まさか! サワチン、えっちゃんのこと狙ってたりするの?」
「違うよ」
もしかしたら芦浦と繋がりがあるかもしれないのだ。沙織の身の安全のためにも忠告だけはしておきたい。
「……その、……あの子とは、あんまり関わらない方がいいよ」
「え、なんでそんなこと言うの? えっちゃんってすごく良い子なんだよ。おもしろいし、気の使い方も大人だし――」
「なんでもだよ!」
つい、大きな声を出してしまう。
すると、沙織はしばし沈黙してしまった。なにやら考えこんでいる様子。
「……サワチン、やっぱ最近変だよ。ホントにどうしたの?」
沙織は、落ち込んだ声を出した。さっきまでの元気が嘘みたいだ。
僕は申し訳ない気持ちにもなるが、沙織のためでもあるのだ。
「あ、いや、ごめん……。ただ、忠告だけはしておきたくて……」
「忠告ってなに?」
「だから忠告だよ」
「……」
沙織はとうとう黙ってしまう。
電話でこのぎすぎすした空気。耐えられない。
話題を変えなければ。実はこっちが本題だ。
「……あ、ごめ、あのさ、沙織。埋め合わせのことなんだけど」
僕がそう言った途端、
「え! 覚えててくれたの! 嬉しい!」
沙織はぱあっと明るい声を出した。切り替えが早くて助かる。
「今度の日曜、空いてる?」
「え、もしかしてデートとか、誘ってくれんの?」
すると沙織はからかうように言った。
デートという表現に気恥ずかしくなる。
「そ、そんなんじゃないよっ!」
「そうやって全力で否定されると傷つくんですけどー」
沙織はいじけたように言う。
こういう冗談の言い合いは、安心する。最近憂鬱な気分に陥ることが多かったから、沙織とのくだらないやり取りが、本当に心地よい。
「この前沙織が見たいって言ってたSF映画のチケット、ちょうど2枚あるから……一緒にどうかと思って」
「行く!」
沙織は元気よく即答した。「でもやっぱそれってデートじゃん」
「だから違うって!」
「はいはい。そういうことにしておきますよーだ」
沙織がべっと舌を出す光景が目に浮かぶ。
ここはきちんと弁明しなければ。
「ちょうど母さんが福引きで当てて、『沙織ちゃんと行ってきたら?』って言われただけだよ」
僕がそう言うと、また電話口の雰囲気がかわった。
「え? 沙織?」僕は、突然無言になった沙織に問いかける。
すると、しばしあって、電話口から沙織の大きなため息が聞こえてきた。
「……サワチン、『乙女心』って紙に書いて」
「え、いま?」
「いま」
「書いたよ」
「100回読め!」
電話口で叫ばれ、一方的に切られてしまった。
100回読めってなんだよ……。僕はたったいまメモ用紙に殴り書きした『乙女心』をぼんやりと眺めた。オトメゴコロ。どれも小学校で習う漢字だ。読めないはずがなかった。
ともかく、沙織との約束を取り付け、ひと安心だ。
「ん?」
ケータイの画面を見ると、フリーメールアドレスの方にメール受信通知が来ていた。
知らないアドレスからだ。
そこを開くと、
『お前。パソコンとか詳しいんだろ? 俺の録り溜め動画送るから、適当に編集してDVDに焼いてくんない? 番号順でそれぞれ10枚ずつ。よろしく』
え、誰?
名前がどこにもないため、一瞬誰だかわからなかった。
しかし、貼付されている動画ファイルを見て、すぐに理解した。
『どこでアドレス知ったの?』
僕が返信すると、
『愛香』
と返ってきた。
木本さん、……僕の個人情報、平気で芦浦に渡しちゃったんだ。僕の知っている木本さんがもういないことを思い知らされた気がした。
これで学校以外でも芦浦と連絡を取り合う機会が増えると思うと、憂鬱になる。
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