「おっす、サワチン!」
翌朝の登校中、僕はいつものように沙織に背中を殴られた。
「今日あたし日直だから、先いくね! 埋め合わせ、楽しみにしてるから!」
沙織はそれだけ言い残してどかどか駆けていく。
背中が痛い。沙織は相変わらず元気だな、と思う。だけど、日直ならこの時間に登校したら遅すぎるんじゃなかろうか……。
僕が校門前に到着すると予鈴が鳴るギリギリだった。
「お前! なんだその格好は! 舐めているのか!」
突然ハスキーな怒鳴り声が聞こえて振り返る。
茂上先輩は今日もぴしっと制服を着こなし、『風紀委員』の腕章が輝いている。腰に手を当てて、仁王立ちで男子生徒をしかり飛ばしている。
茂上先輩にしかられている男子生徒は、……芦浦だった。
芦浦が予鈴前に登校しているところなんて、初めて見た。芦浦はいつものようにシャツの裾をだらりと出して、ズボンを腰穿きした、だらしない服装。さらに金髪ピアス。明らかな校則違反だ。
そうか、と思い至る。
芦浦は普段どんなに早くても予鈴より遅く登校する。ゆえに、茂上先輩とは接点がなかったのだろう。茂上先輩も、自分の目の前で堂々と校則違反の服装で登校する生徒を前に、驚いている様子だった。
「はあ、すんません」ぺこりと頭を下げる芦浦。意外に素直だ。
「お前、学年組名前を言え!」茂上先輩の怒鳴りは続く。
「2年A組の芦浦好男っす」
「金髪にピアス……、これは風紀委員に対する挑発か? シャツを入れろ!」
茂上先輩はメモをガリガリとりながら、怒鳴った。
しかし、芦浦は「はあ」とすまなそうにはするものの、動かない。
「入れろと言っているんだ!」
茂上先輩は、芦浦のシャツに掴みかかり、無理矢理ズボンの中へはみ出たシャツの裾を押し込んだ。そして思い切りズボンを引っぱり上げる。
まるで、幼稚園児と母親だ……。
その間、芦浦はまったくの無抵抗だった。
「髪の毛は、……仕方ない。明日染め直してくるように! ピアスは自分で取れ!」
「……」芦浦は無言だ。うつむいて目を合わせようとしない。その姿は、反抗的な態度というよりはむしろ、何を怒られているのかわからず当惑している小学生のようだった。
「ピアスを取れと言っているんだ!」
茂上先輩は烈火のごとく怒っている。
その最中に、予鈴が鳴った。
茂上先輩は舌打ちして、
「芦浦好男! 覚えておけ。私は校則違反を絶対に見逃さないからな!」
そんな捨て台詞を吐いて、踵を返した。
「茂上さん……」
その途中、芦浦が声をかけた。
茂上先輩は、眉間に皺を寄せて振り返る。
「……叱ってくれて、……あんがとっす」
芦浦は、少し照れたように首の後ろを掻きむしりながら、うつむき気味に言った。
昼休み時間になるや否や、僕は芦浦に呼び出され、
「さきに屋上行って隠れてろ。録画はすぐ回して良いから」
そう小声で命じられた。
毎日のように奴に協力しなければならないのは、憂鬱だった。
僕は、芦浦が足早に教室を出て行くのを見届けてから、ため息をついた。
なんだかまとわりつくような視線を感じて見渡すと、星野さんがこちらをにらみつけていた。
しかし、特に話しかけるわけでもなく、僕が教室を出るまで、ただ無言でずっとにらんでいた。怖かった。
屋上に着くと、誰もいない。
僕は芦浦に命じられた通り、ビデオカメラを準備した。
しばらくして昇降口から声が聞こえてきた。
僕は録画を開始する。
「屋上なんかに呼び出して、何を企んでいる? 言っておくが、他の風紀委員に私がここにくることは伝えてある。私に何かあれば、すぐにバレるぞ」
苛立ったハスキーボイスが聞こえてくる。
「すんません……、ちょっと茂上先輩に、どうしても来てほしくて」
次いで芦浦の声。ちょっとトーンが低くて、いつもの覇気が感じられない。なんだか猫を被っているように聞こえる。
腕を組んだ茂上先輩が、給水タンクの下までやってきた。
どんな手段を使ったのかわからないが、芦浦は、茂上先輩を屋上まで呼びつけたようだ。
いったい何をしようというのか?
僕は、ビデオカメラ越しに、対峙する二人の姿を見守る。
「茂上さん、いや、みつぎさん、……俺、……あんたが好きです。付き合ってください」
なんと芦浦は、茂上先輩に愛の告白をした。
「は……っ?」
と、さすがに茂上先輩はびっくりしたのか目を見開いた。かなり動揺しているようだ。
芦浦は、茂上先輩に面と向かって、
「俺、昔からちょっとひねくれたところがあって、教師に反発ばっかしてた。教師が生徒を怒るのって、額面にそってるっていうか、教師のメンツみたいなのを保つためというか、……そんな気がして嫌だったんだ。俺の気持ちなんかこれっぽっちも考えちゃくれない。だけど、みつぎさんは違った。みつぎさんは面と向かって俺を叱ってくれた。みつぎさんのことばは、まっすぐ俺に届いてきたんだ。俺、そんとき、やっとわかった。俺には、みつぎさんみたいな人が必要だったんだって」
まくしたてた。
僕は、唖然とした。
芦浦が、ピュアなキャラを演じている……? 金髪のガタイの良い男が、顔を赤くして必死に想いを伝える姿……。普段の芦浦の言動からは考えられないことばの数々。おそらく芦浦は、茂上先輩を自分の物にするためだけに、そんな演技をしているのだろう。
「な、なにを、馬鹿な……」
茂上先輩、こういう状況には慣れていないらしい。目が泳ぎ、少しだけ顔を赤くしてしまっている。
芦浦はぐいぐい茂上先輩に体を寄せる。
「俺、みつぎさんにもっと世話焼いてもらいたいんす。そして、みつぎさんの、いろんな顔が見てみたい……」
そういって、芦浦は茂上先輩の脇腹に手を伸ばす。
「くひっ!? ……な、どこ触っているんだ!」
芦浦の手が触れた瞬間、茂上先輩はびくっと体を震わせ、芦浦を突き飛ばした。
「す、すんません! みつぎさん。ちょっと、みつぎさんの笑ったところが見たくて……。でも、みつぎさんって、案外くすぐったがりなんすね」
「そ……っ、ふ、ふざけるな! 私は帰るぞ!」
茂上先輩は、顔を真っ赤にして踵を返した。
「あ、みつぎさん! まだ告白の答えを……」
「ふ、不純異性交遊は校則違反だ! 馬鹿者が! あ、あ、あと! お前、明日は絶対に髪を染め直してこいよ!」
茂上先輩は振り向きざまに叫び、昇降口を駆け下りていった。
その様子を見届ける芦浦は、にやにやと気味の悪い笑みを浮かべていた。
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