キャンサー作品

こちょくね

第一章
 とある高級マンションの一室。
 豪華な外見とはうって変わって、その室内は無機質な機械に埋め尽くされていた。
 広い部屋の中央に設置されているSF映画の宇宙船の操縦席を連想させるポッド型のユニットを中心に、各種のコード類が壁際の機器類に接続されていた。
 一目でまっとうな部屋ではないと思えるこの設備こそが、ハッカー達が電脳ダイバーとなり得る設備であった。
 ハッカー達はこのポッドに入り、自分の意識を電気信号化して異質の世界とも言える電脳ネットワークに入り込むのである。
 この部屋の主は、準備の整ったポッドを見て不適に微笑むと、羽織っていたガウンを脱ぎ捨てる。その下には均整のとれた見事なプロポーションが、ボディスーツに包まれていた。彼女の名は麻美 美佐。ネット界では『ナイトメア・サミー』の異名を持つ名うてのハッカーである。
 彼女の活動は愉快犯そのものである。気まぐれに企業や個人のネットワークに侵入してはデーターを書き換え・破壊して、優越感に浸る。過去に幾度もネットポリスの追跡も受けたが、その全てを退け、今やネット界の女王として自他共に認められている。
 彼女は今夜も電脳界を彷徨うだろう。
 己の名をネット界の恐怖の代名詞と知らしめるために・・・・・

『体温・脈拍異常なし。システム設定ノーマル。ダイビングシステム№005起動開始します。サポートプログラムはシールドビット№01bを選択。設定の変更を行いますか?』
 ポッドの中に横たわった美佐の両手足首がユニットに固定され、早速身体チェックが行われた。
「結構よ」
 自作のOSによる合成音声に美佐は端的に答える。
『設定の変更無し。システムを起動します。良い旅を・・・・・』
 幾重にも区分されたユニットが次々と美佐に被せられ、体の大半がユニットに包まれると残った頭部にもコードが無数に繋がったヘルメットが装着される。普通のヘルメットと異なるのは、目の部分にまでガードが入っている事である。
「ありがとう。ところで、最近面白いネットワークは無いかしら?」
『はい、TR-201地区に大規模に新設された企業ネットワークが存在します』
「そう・・・・」
 新設された大規模ネットワークと言う言葉に、美佐は妖しい笑みを浮かべた。彼女の今夜の獲物が決まった瞬間だった。
と同時に、彼女の視界に異質な光が飛び込み、全身の感覚が一変した。システムが彼女の意識(脳)を電脳界に繋げた瞬間だった。この時から『麻美 美佐』は『ナイトメア・サミー』へと変わるのである。
 電気信号によりネット内に具現化された『彼女』は今、ネットラインを流れる情報を『眺め』ながら目的地へと流れていった。


 サミーが向かっているネットワークを運営している『組織』は表向きは『総合企業』として知れ渡っていた。しかし、その建物から発せられる雰囲気はどことなく異質で、何らかの『裏』が存在するのではないかと誰もが思っていた。
 だが、電脳ダイバー達はネット界にいる限りそんな『実像』と言う、極めて単純な現実を知ることはない。現実と向かい合う事が出来なくなる。これが彼等の欠点といえた。
 この日、『組織』のコンピューターオペレーターは、正式な手順を行わず接触を図る何者かの存在をいち早く察知していたのであった。


「ここも、お約束ね」
 サミーはネットワークエリアに不法侵入した矢先に現れた、迎撃プログラムを『見て』余裕の笑みを浮かべた。本来プログラムでしかないそれは、電脳ダイバー達からの『視野』では具現化した『形』を持っていた。
 これは、リンクシステムが、遭遇したプログラムがどう言った類の物であるかをハッカー達に認識させるためのもので、使用者の好みによってその設定は変化できる。
 サミーの場合、敵性プログラムは浮遊砲台のデザインに見えるように設定していた。
 その砲台がサミーに向けて砲弾を放つ。不法侵入者を排除するプログラムがサミーに向けて送られた事を『見せた』具現パターンである。
 正確に迫った砲弾だったが、サミーの周囲に展開していた保護用シールドビットが円状の光の壁を形成し、砲弾を遮った。すなわち、相手のプログラムをキャンセルしたのだ。
「そんなヤワなプログラムじゃ、私は倒せないわよ」
 サミーの嘲笑は回線を通して相手側のコンピューターにも届いているはずだった。そうして相手を混乱させ、自らは優越感にひたるのである。
「そうでないとこちらも面白味が無いよ」
 そう言う台詞と共に、サミーの肩に何者かの手が触れた。
「!!?」
 この時彼女は、システムのブレーカーが落ちるのではないかと思う位に驚き、心拍数を乱した。幸い、システムは緊急停止をしなかったが、『何か』がサミーに触れたという事は、何らかのプログラムが彼女に接触したと言う事を示している。しかも、近づくプログラムに対し、防御反応を示す様に設定されたシールドビットが何の反応を示さなかった事実は、ビットの防壁プログラムがかいくぐられたと言う事を示していた。
「どうやら、自分が外部から強制アクセスされたのは初めてみたいだな」
 振り向いたサミーの視界に、必要以上にデフォルメされた男が立っていた。姿こそ間抜けな雰囲気を見せていたものの、彼女の基礎設定にない姿を見せている事から、おそらく相手もダイレクト・リンク・システムを使っての行動であろう事が予想された。
 そのため、コミカルな姿にも関わらずサミーは相手に対する警戒を解こうとはしなかった。だが同時に、初めて同レベルの相手とハッキングの技が競えると言う誘惑にも捕らわれていた。
「ええ・・・出会う人、出会う人が子供で意外と経験がないのよ・・・・貴方は私を楽しませてくれるのかしら?」
「さてどうかな?俺はこの通りルックスが悪い上に、女性のエスコートは下手なんだが」
「それじゃあ、お姉さんが手取り足取りコーチしたげるわ」
 言うなりサミーが仕掛けた。本来円盤状であるシールドビットの光の障壁を、円錐状の鋭利な形に変形させると男に向けて二機投げ放った。無論、先端部分には即席で組んだコンピューターウィルスが仕込んであり、それに接触する事は直ちに感染となる。
 急造のプログラムであるため、致命傷には成り得なかったが、電脳ダイバーの場合、自らの身体をプログラム信号化しているため、ウィルス感染等は本体のダメージに繋がり、大抵の場合システムは危機を伝えるため、使用者に『苦痛』を与えるようになっていた。
 無論、致命傷になったり障害が残るような痛みまで再現はせず、肉体的な傷も全く負うことはないが、脳が痛みを認識するため、その『痛み』は紛れもなく本物であった。
 そして、感じる痛みの度合いが大きければ大きいほど、ダメージは深刻と言えるのだ。
 二機ビットのうち、一機が正面で旋回を続け牽制を行い、その隙にもう一機が大きく旋回して男の背後を狙った。
 だが、その手の攻撃は小手調べレベルである。男は左手をハンマー状に変化させると、振り向きざまにビットに叩きつけて粉砕した。その隙を狙って牽制を行っていたもう一機のビットが攻撃を開始する。
「貴方もこの程度かしら?」
 この瞬間を最初から狙っていただけに、タイミングは完璧だった。間違いなく命中すると思われた瞬間、ビット進行方向の空間に突然『穴』が現れ、ビットを飲み込みいずこへと消え去った。
「こんな攻撃古いって」
 ゆっくりと向き直りながら男は言ったが、サミーの余裕も消えていなかった。
「当然ね。だから三機目は細工させてもらったわ」
「三機目!?」
 言うが早いか、今まで姿を消していたビットがいきなり男の眼前に現れ、そのまま顔面を直撃した。
「やっぱり貴方も役不足だった・・・・・・・!?」
 ほとんど習慣と化していた優越の笑みを漏らしていたサミーであったが、ビットの直撃を受けた男の身体が風船のように膨らんで破裂し『ハズレ』の紙切れを撒き散らしたのを目の当たりにして驚きの表情となった。
「ダ、ダミー!?何時の間に?」
「最初っからだよ」
 サミーの当惑に男の声がまたも彼女の背後から聞こえた。
「なっ・・・・・ひっ!」
 反射的に振り向こうとしたサミーだったが、その途端に彼女の身体がピクリと震え、何かに耐えるかのように身体を強ばらせ、小刻みに震えだした。
「ふくぅっ・・・・・・うっ・・・・・・・ん・・・・んん・・・・はぁっ・・・」
 不定期に身体を震わせ、必死に堪えていた彼女だったが、やがて限界が訪れた。
「あひっ、あ・・・あっ!あははははははははははははははははははは!!」
 遂に彼女は大笑いし、自分の脇腹を執拗にくすぐる男の手から逃れようと、激しく身を捩らせた。今まで耐えていたのは、笑い悶えると言う行為がそのまま隙となり無防備状態となるのを避けたいがためであった。
 基本的に電脳界では『動き』を最小にする事が、外部からのあらゆる干渉に備える最も有効な手段であった。相手の動きに生じる隙を突くと言う行為は、ある意味武道にも共通する点がある。それ故に電脳ダイバー達がネット界で活動する際には、色々なタイプのサポートプログラムを用意(彼女の場合、ビット)し、常に平静でいなければならなかったのである。
 こちょこちょこちょこちょこちょ・・・・・・・
「きゃはっ!きゃはっ!きゃはははははははははははは!!」
 くりくりくりくりくりくりくり・・・・・・・・
「あ~~~~っはははははははっははっはあっはははは!!」
 つんつんつんつんつつんつんつ・・・・・・・・
「あっあっあっあっあひゃっはははははははははははは!!」
 つつつつつつつつつつつつつつ・・・・・・・・
「くっぅん・・くっくっくっく、くはぁあああああああ!!」
 絶え間なく襲い来る刺激に何とか堪えようと、プログラム的・精神的ガードを行う彼女であったが、その度に、抵抗を先回りするがごとくくすぐり方が変化し、彼女に休む隙を与えなかった。
 今の彼女はくすぐりに翻弄され、全くの無防備状態であった。今の彼女になら、初級のプログラマーでも干渉が可能であったに違いない。
 だが、今の彼女にそんな事を考える暇はなく、一刻も早くこの肉体的刺激による無限連鎖の地獄から脱出することしか念頭に無かった。
「こ、こんな・・・ひゃひひひひっひひひひ、こんな事で・・・ま、まけ、まけ、負ける、きゃっははははははははははは!負けるものですか!!」
 サミーは攻撃性プログラムを強引に開放して周囲に放ち、全身を絶え間なくくすぐっていた男を牽制すると、床を蹴ってなりふり構わず転がるように男の間合いから脱出した。そして残ったビットを全周囲防御モードにして宙に浮いた。
「う・・・迂闊だったわ。そのフィールド全体が貴方の『体』だったのね」
 大きく息を吐いてサミーは言った。シーン的にはちょっとした激闘の後にも見えるが、結局は一方的にくすぐられての疲労と言う、あまり人には言えない状況である。
「御名答。あなた達ダイバー系のハッカー達は妙に美意識があるのか、それともそれが共通意識なのか、必ず人間の形状でやってくるから、大抵この方法に引っかかるんだ。我々の所では『ゴキブリホイホイ』と呼んでいるよ」
 せせら笑う男にサミーは自尊心を傷つけられた気がした。
 確かに、彼女達の発想からして言えば、『人型の存在』を確認すれば、それが本体であると想定し、周囲のフィールドはガードすべきプログラムか、中継用のプログラムと判断してしまう。自分自身をアピールしたいと思う電脳ハッカー共通の判断の盲点とも言えるだろう。
 男の発想はハッカー達の意表を突くものであり、巨大な手のひらの上に餌(人型)を置くことにより、相手を誘い込み手中に収める物だった。その行為はまさに『トラップ』であったが、『ベアトラップ』と名付けた方が格好がついたであろう。
 男はそこをあえて『ゴキブリホイホイ』と言うことで、それに引っかった相手を挑発しており、案の定、プライドが高かったサミーは、不真面目極まりない攻撃や罠に翻弄され冷静さを欠いていた。
「馬鹿にして!!後悔させてやるわ!」
 サミーは攻撃性プログラムを『光線』状にして次々に放った。
「そう怒るな。ハッカー撃退は俺の仕事だ」
 男の方もフィールドから無数の、シャボン玉のように見える物体を放出すると、光線はそれに吸い寄せられるようにカーブし、相殺し合って消えていった。彼女の放ったウィルスが男の用意したダミープログラムに命中したのである。
 技術としては自分と互角。そう判断したサミーではあったが、あくまでも遊んでいるかのような男の様子に彼女は苛立ちを感じた。
「ふざけないで!!」
「こっちは至って大まじめさ。はっきり言って今のあんたの装備では、ここのプロテクト・・・・つまりは俺を破れない。装備を調えて出直しておいで。そうすれば相手してあげるから」
 そう言うと、男の体は周囲のフィールドと一体化し、巨大な球体に変質するとサミーとの間合いを広げていった。
「勝ち逃げする気!!」
 後先考えず、サミーは男であった物体の後を追った。その間、男を援護するように、あちこちから『砲台』による砲撃が行われたが、その全てはビットの防御壁の前に無効化されていった。
「女性のストーカーはお断りだ」
 そう言って、男であった球体は、ある区画には入り込み、それと同時に巨大なゲートが閉じ、彼女の進行を遮った。
「女性を門前払いするつもり?そう言う態度は失礼じゃなくて?」
 憮然とした態度でサミーは『光線』を数発放ち、ゲートの一部に自分が通れるほどの『穴』を構築した。
「私の本当の実力、見せてあげるわ」
 それを具現化させる行為となると、それはすなわち、このネットワークのメインプログラムの破壊である。彼女のプライドの挽回と、侮辱した相手の報復としてはそれ以上の代案を考えられなかった。
 惨劇を目の当たりにして苦悩する男の姿を想像し、サミーは一瞬悦に入った。

「!?」
 ゲートを潜った彼女を待っていたのは同じ形をした新たなゲートだった。
 そびえ立つそれを見上げ、サミーはため息をついた。
「こんな頑固が取り柄のプロテクトで安心しているなんて、時代遅れよ」
 そう言って再び『光線』を放ったが、今度のゲートにはそこそこの技巧が施されていた。
 彼女の放った『光線』が命中した部分が波紋をうったかと思うと、エネルギー(プログラム)を貫通させることなく蓄積させ、まるで鏡のようにそのままサミーめがけて跳ね返したのである。
「くっ!」
 思わぬ反撃を身を翻して避けるサミー。だが、そこには満面の笑みが浮かんでいた。
「さすがに馬鹿じゃないわね・・・・・でも、まだまだこの程度では私を止められはしないわ」
 サミーは自分の周囲に数個の『光球』を浮かび上がらせる。
 その光球に何やら細工をすると、光球はそれぞれが違った色を放ち出す。
「どうやら、最初のゲートで受けた攻撃を参考にカウンター型のワクチンを形成する防壁プログラムの様だけど、その手のプログラムは連続的かつ多彩な攻撃にはあまり強固には出来ていないものよね・・・・・・」
 そう言ってサミーは、各々別々のプログラムを仕込んだ球体を一斉に放った。彼女の読み通り、ゲートは受け止めた球体の半分も反射することが出来ず消失した。
「第二ステージクリア・・・かしら」
 が、その先にあった物は、またも同じゲートであった。
「・・・・・・・全く、人を甘く見るのも・・・」
 言いつつ、先と同じ手法で突破しようと手を掲げたサミーであったが、ある違和感に気づき、その手を止めた。
『おや、もう気づいた?』
 どこからともなく男の声だ響いた。
「小賢しいわね。自己増殖・自己改造型のウィルスを利用した無限ゲートね」
『当たり。攻撃を受ける度にパターンを変えたゲートを構築するシステムさ。管理はやっかいだが、不作法なハッカーを閉め出すには丁度良いんだ』
「なかなかやるわね。でも、その慢心が隙を生むのよ」
『そうかい?』
「セキュリティとしての機能上、このゲートは不正アクセスに対してのみ反応するはず。 だったら、正式な手順で潜入すれば問題はないのよ」
 サミーは周囲を行き交うデーターの流れを視認し、ゲートの中へと入って行くそれを発見すると、そのデーター流に手を触れた。
 電脳ダイバーの場合のそうした行為は、ほぼ接触したデーターの解析・介入行為を意味している。サミーはデーターを解析することにより、ゲートを通過する『条件』を解析していたのである。
 そしてそれは程なくして完了した。
「ふぅん・・・専用ツールによって暗号化したデーターパターンのみ通過できる・・・・か、所謂、関所みたいな物ね。だったら、『私自身』のデーターも同様に暗号化変換すれば良い事」
 そう言う間にもサミーの体は古いTV画像のように乱れ、足下から回復していく。
 外見的には変化はないが、今し方得られた情報により、自身の体の構成プログラムをゲートのチェック機構に対応したパターンに組み替えたのである。
「これでどうかしら?」
 そう言って左手でゲートに触れてみると、サミーの手はすっと何の抵抗もなく素通りした。
「私の勝ちね」
 そう確信し、サミーはゲートの中に姿を消した。
『お見事・・・・・』
 ゲートの先に消えた彼女の後にそんな声がかけられた。だが、その口調はに焦り・悔しさは全く存在していなかった。


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