キャンサー作品

ホーリーアーチ

第六章 混乱・脱出
 船内捜索に一段落をつけ、ふとホリィの様子を見に医務室に訪れたドリスは、扉の前で立ち往生していた。自動識別により開閉を行うはずの扉が開かなかったのである。何度か開閉スイッチを押してみても結果は同じで、不審に思った彼女は通信機のスイッチを入れた。
「レミー、聞こえる」
『はいはい。何?』
「艦内の電力を切り替えた?医務室の扉が開かないのよ」
『そうなの?でも、こっちは何もしてないわよ。マイが機械の電力確保に何かしたんじゃない?』
「かもしれないわね」
 レミーの進言にドリスは苦笑した。そしてそれを確認すべく、通信機のチャンネルを変えた。
「マイ、マイ、聞こえる?今どこなの?もし医務室ならドアを開けてくれないかしら?」
 ドリスは通信機の向こうにいるはずの相手に向かって言った。
 だが、幾ら待っても返事はなく、返ってくるのは小さなノイズだけだった。
「・・・・・・・・・・変ね」
 応答も変化もない扉を前に、ドリスは妙な不安感を憶えた。
 ともかくも、ホリィの様子を知りたい事もあり、彼女は扉下に設置されている、手動開閉ハンドルのハッチを開いた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・何?」
 人力で扉を開け、中に入ったドリスは言いようのない違和感を感じて言葉を漏らした。 居るべきはずの場所にホリィの姿はなかった。だが、何かの気配を感じてはいた。本能が警戒を促し、ドリスの額にうっすらと冷たい汗が浮かぶ。
「ホリィ、マイ、居ないの?」
 不安感に突き動かされドリスは声をかける。
(・・・・・はっ・・・あ・・ああ・・・・・っっはぁ・・・・)
 その呼びかけに答える者はなかった。ただ、気のせいにも思えそうな微かな声を、彼女は聞いたような気がした。
「?」
 彼女は慎重な足取りで、声がすると思われる方向に向かう。そこは医療スタッフ用の総合コントロールシートがある方向だった。
 だが、そこに総合コントロールシートは存在しなかった。あるのは何かの繭のようにも見える金属質の物体だけで、それが本来シートのある場所を占領していたのである。
「なっ!!?」
 その異様な光景に絶句するドリス。一見無機質に見えたそれは一定期間をおいて微かに脈動し、生きている事を誇示しているかに見えた。
「何よこれ・・・・!?」
 にわかには判断しかねる物体だった。おおよそ彼女の常識に該当する物体ではない。あるとすれば、ホラー映画系列の空想ムービーの中だけの話である。そんな得体の知れない事態に遭遇し、彼女の思考は一瞬麻痺したが、その物体の隙間にマイの体を垣間見たドリスは異質の物体に直面した不安と恐怖を無理矢理だが、心に隅に追いやることが出来た。責任者としての立場が彼女を突き動かしたのである。
「マ、マイ!?ああ、なんて事・・・・・マイ、マイ!」
 一瞬躊躇しながらも、繭状の物体を引き剥がそうと手をかけるドリス。金属質のそれが暖かさを保っていた事を接触により感じた直後、彼女の存在に反応したのか、繭から幾つかの触手が飛び出し彼女を牽制する動きを見せた。
 触れれば終わりとばかりに、慌てて飛び退くドリス。
「マイを・・・マイを放しなさい!!」
 ドリスは消火設備のある壁面まで下がると、そこに伝統的に備え付けられている破砕斧を取り出し、触手と対峙した。
「・・ドリ・・・はぁぁ・・ドリ・・ぅん・・スなの?」
 にらみ合う(?)繭の中から、か細いながらもマイの声が聞こえ、生存していることを伝えた。
「マイ!無事ね!今助けるわ!」
「駄目・・・・ああっ・・逃げて・・・・ここは・・・はぁん・・この船は・・全てあいつの領域よ・・・・ああああっ!・・逃・・・げて・・・・」
 苦悶とも喘ぎともつかない声を漏らしながらマイは言った。
「あいつ?あいつって何?そんな事よりマイはどうなるの、見捨てていけるわけ無いでしょ!」
「ここにいれば、みんな・・・・みんな・・ぁぁぁ・・・取り込まれる・・逃げて・・私はもう、逃げられない・・・・」
 その言葉が、肉体的束縛ではなく快楽と言う精神的拘束を受けたものである事をドリスは理解できなかった。そうして躊躇しているうちに、繭は彼女をも取り込もうと動き始めた。
 触手の何本かが床に接し、樹の根を思わせるかのように床を這い進んできたのである。触手は見る見るうちに広がり接触面と同化し、ドリスに迫った。
「!?」
 本能的に危機を察した彼女は、後ろ髪を引かれる思いで、逃げ出した。少なくとも今の自分に、そして状況の分からぬ人類に対処できる事態ではない。そう判断したのである。
 廊下に出る直前、扉が閉じて彼女の行く手を遮ったが、彼女は迷わず手にしていた破砕斧を扉に叩きつけた。
 悲鳴も流血もなく、無機質な金属同志の衝突だけが感じられたが、何かが痛みを感じた事をドリスは感じた。声ではなく心の中に響く何かを一瞬感じたのである。彼女の行為が本当に痛覚を与えた結果か、または安全装置の一つを動かしたのか、扉は勢い良く開いた。
「緊急事態!各員は作業を放棄しフロンティア号に戻って!ホーリーアーチ号は未知なる物に占拠されている模様!」
 廊下に飛び出すや否や、通信機に向かって叫ぶドリス。一瞬の間をおいて最初に返信してきたのはレミだった。
『な、何よいきなり』
「レミ?貴女は無事ね、今言った通り、急いで戻って!ここは化け物の巣よ」
『ドリス・・・・マイと相談したら?』
「私は正常よ!それにそのマイが・・・やられたのよ。おまけにホリィの姿もないわ」
『・・・・・・・・・うそ・・・・・・』
 たっぷりと間をおいて、相手は行った。
「嘘じゃないわ!」
『いえ、そっちじゃない。今、気づいたんだけど、空間跳躍機関だったっけ?あの悪趣味な金属ボールが起動を始めてるのよ』
「何ですって!?」
 ドリスは思わず立ち止まった。
「博士?」
『ち、違うみたい。コントロールが接続されている形跡はないの。システムがダイレクトに動いてるとしか・・・・・』
「そっちのコントロールで止められないの?」
『駄目、今やってるんだけど、受け付けないのよ』
「それじゃあ博士は?」
『知らないわ。通信してないの?』
「あの区画は電波が届かないのよ。いいわ、そこには私が行くから、レミはキャニーと先に戻って、フロンティア号をいつでも発進できるように用意しておいて!」
『・・・・それが、キャニーはこっちにいないのよ』
「いない?いないって・・・・・」
『さっき休憩するって出ていったのよ』
「なんて事・・・・・・」
『ドリス・・・・』
「分かったわ、とにかく準備を進めて。博士達は私が探すから」
『了解。気をつけて・・・・』
 言われるまでもない。廊下を駆け抜けながらドリスは思った。

 事態が急変していた頃、キャニーは居住区にしつらえられていたユニットバスの中にいた。休憩がてらに無断使用を決め込み、早々に湯を張って入浴していたのである。
 無論浴室に通信機など持ち込んではいないため、何度も鳴っていたドリスからのコール音に気づくことはなかった。
「ん〜〜〜〜実験船とは言え、お風呂があって良かったぁ」
 キャニーは膨大な量の通信記録を確認していく課程で、その大半がノイズで占められていた事を思いっきり呪った。それでも、その調査が彼女の仕事なだけに、黙々とノイズの中の音声を拾い出そうと努力した。
 その結果は揚々と実らず、その一方で彼女のストレスと発汗量は増加し、それに比例して不快指数もアップしていた。
 そして、ついに絶え切れなくなった彼女は、気分転換と不快極まる身体をリフレッシュさせようと、この場に来たのであった。
「んん〜〜やっぱり、生き返るわねぇ〜〜」
 キャニーは両足首を湯船の枠に預け、湯の中に身体を沈めていた。適度な湯は彼女の身体を上気させ、リラックスさせる。しばらくの間、彼女はじっと湯に浸かり、全身を包む液体の暖かさを味わっていた。

 そんな彼女を『アレ』が見つけるのは、そう難しい事ではなかった。
 新たな対象を見つけたそれは、歓喜して彼女に近づいて行った。

「・・・・・・・・?」
 疲労していたのであろう、キャニーはうとうとしていた頭の中で、水の音を聞いていた。蛇口から流れ落ちる水の音が彼女の耳を打っていた。
「・・・・私、お湯出しっぱなしだったっけ・・・・?」
 彼女の頭はまだ寝ぼけていたが、通信士として鍛えられていた彼女の耳は音に関する異常を敏感に察知していた。『何』かは分からなかったが、普通の水よりも若干重々しい音がしたのである。だが、判断したのはそこまでであり、飽和状態である彼女の脳は、それがどんな意味を持つものなのかを理解しきれないでいた。
 彼女が異常を自覚たのはそれから十数秒後の事だった。自分の身を包む湯の感触に微妙な違和感を感じたのである。微かに粘度を感じる・・・・・そう感じて原因を確認しようと、ようやく重いまぶたを上げた時、彼女の意識は瞬時にして覚醒した。
 湯船全体が液体金属のような物体で満たされていたのである。しかもそれは今も蛇口から流れ出し、本来あった湯と入れ替わっていた。イメージとしては水銀に近かったため、それが人体にいかに有害かを知っていた彼女は慌てて湯船から出ようとしたが、身体が液体金属らしき物に固定され身動きすることが出来なかった。
「な、何よこれは!」
 パニックになるキャニー。必死に脱出を試みるも、液状であるはずのそれはモルタルのように強固で、とても人の力で抜けられるようには思えなかった。
 あがくその一方で、状況把握の意志も辛うじて働き、少なくとも水銀の類では無いだろうと言う判断も下していた。その理由として、液体に重みがない事。もしこれが水銀だった場合、比重によってキャニーの身体は浮き上がり、現状のままで固定しているはずがなかったのである。
 だが、分かるのはそこまでであり、医務室の一件を全く知らない彼女に、これ以上の状況把握は不可能だった。ただ、分かるのは、自分が一見、液体金属状の物体に湯船に浸かっていたままの体制で固められていると言う事であった。
「ん〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!」
 キャニーは目一杯力を振り絞ったが、結果に変化は無かった。彼女は、湯に落とす恐れと休息の時を邪魔されたくないと言う理由で、通信機を手元に置いていなかったことを悔やんだ。
 キャニーは焦った。蛇口から流れ込むそれは波紋を起こし、確実に液体としての特性を見せつけているにもかかわらず、身体はしっかりと固定しているのである。常識でいえば理不尽であると言えるだろう。
 彼女が当面の抵抗を諦めた時、液状物質の方にも変化が生じた。蛇口から流れ込んでいた物がぴたりと止まり、液面(?)が安定したのである。
 一瞬の静寂が訪れ、それはすぐに活動を開始する。
「!?」
 液面に変化が現れた。液面の二箇所が彼女以外の何かによって盛り上がり始めたのである。だが、液中に彼女以外の存在があるはずもなく、その液体そのものが動き出したのは明白だった。
「何!一体何よこれ!!」
 未知なる物に直面し恐怖を抱きつつも逃げる事もかなわず、ただ叫ぶことしかキャニーには出来なかった。
 やがて不自然に盛り上がった液面は、左右一対の人の『腕』を形成させた。
「ちょっ・・・何よ・・・」
 次から次へと起きる現象に、彼女はそう言うしか無かった。
 そんな声に反応したのか、腕はぴくりと反応し、掌をキャニーの方向に向けてゆっくりと近づいていった。
「何何何何何!?ちょっとぉ、寄らないで!来ないで!」
 首を激しく振り回し拒絶の意志を示す彼女だったが、それを全く意に介さず、腕は間合いを詰め、液面から突き出ていた彼女の形の良い両乳房にそっと触れてきた。
「ぅんん・・・・・!」
 冷たくなく、滑らかな掌全体で敏感な乳房を優しく撫で回され、キャニーは思わず声を漏らした。既に女である彼女は、妖しい刺激に敏感に反応していく。
 そんな彼女の反応に気を良くしたかの様に、掌の動きも巧みになり、乳房の周囲を撫で回したかと思うと不意に乳首に集中し、また渦巻きを描くように遠ざかって行く。
「ちょ・・・・や・・・ああ・・」
 抵抗の意志はあるものの、身体が反応してしまう事態に頬を染めるキャニー。身動きできない状態ではいずれ堕ちてしまうだろう・・・・・・肉体的欲望に自分があまり強くない事を自覚している彼女は今後の事を思い、快楽とは別に身震いした。
 それは対象の心情の変化に合わせて行動を変化させるのか、腕は一旦キャニーの胸責めを中断し離れると、糸が切れた様に崩れ液面に消えていった。
「!?」
 安堵感半分、物足りなさ半分のキャニーであったが、責め事態が終わったわけでない事を次の瞬間には思い知らされた。
「・・・ふひっっ!!ふひゃっはははははははははははははは!!!」
 突如として身体を駆けめぐったくすぐったさに、キャニーはたまらず吹き出した。
 彼女の身動きの出来ない部分、液面下で体中が『何か』にくすぐり回されているのである。
「ひゃっははっはははっっっははははは!!きゃぁ〜〜〜〜っっははははははは!!な、何して・・・はひゃはははははははは・・・やめやめやめ〜〜〜〜っっへひゃははははは!」
 液面は水銀を思わせる状態、即ち完全な不透明な為、何が何処をくすぐるか分からないため彼女の感じるくすぐったさは通常より遙かに激しかった。しかも、彼女の身体はしっかりと固定されているのにも関わらず、くすぐっている場所は液状の滑らかさとなっていた。彼女にしてみれば、モルタルで固められた自分がくすぐり用に空けた穴からくすぐられ、しかもその穴が自由に位置を変えているようなものだった。
「あひっ!あひっ!あひゃはははははははははははは!やめ、やめっ、や〜っははははははは・・そこだめっ・・・ひゃはははははっははははは・・・・・あっ・・あっ・・ぎゃひゃひゃははははははは!あはははははははははははははは」
 キャニーは狂ったように笑い続けた。それによって少しでも楽になれるかのように。だがそれはより激しい責めを引き起こす合図にしかならなかった。
 液面下で責め所を得られなかったモノがあったのか、液面に幾つかの触手状の物が現れ、胸の付け根近辺、そして閉じた状態で固定されている両脇の僅かな隙間へと強引に潜り込み、先端をぶるぶると震わせた。一方、足の方にも目をつけた触手は、全体の直径を細くし、全て足の指の間に潜り込み、脇同様触手を震わせ、残った触手はこぞって足の裏・足の甲・足首に殺到し、それぞれが独自の動きを持ってくすぐり始めた。
「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁ!?あっ!あっ!あっ!・・・・・・・・あ〜〜〜〜〜〜〜っっっっっはっはっはっはっはっはっはっはっは!!はぁっあああああっはははははははははははははははははは!!きゃうあふあっはははははははははははは!」
 キャニーの身体は信じられないくすぐったさに貫かれた。くすぐったさがここまで極まるのかと思うほどの感覚が彼女に問答無用の笑いを絞り出させた。
 無駄と分かりつつも口に出る懇願の言葉も、この責めの前には笑い声となってかき消され、笑う以外の行為も許されなかった。
 呼吸もままならず、生命維持にも関わる事態となっても、彼女は強制的に笑い続けた。否、笑わされ続けた。

 ドリスはサティに前もって知らされていた、コントロールルームに辿り着くや否や舌打ちした。解放されている室内にサティの姿はなく、変わりに先程見たのと酷似した金属繭が微かに蠢いていた。
 これの存在の意味する事をおおよそ理解し、その予想がほぼ間違いないだろうと確信を持ったドリスは、きびすを返して今来た廊下を駆け戻った。

 メインシャフトの廊下で、レミと合流したドリスはとりあえず彼女が無事なのを知って安堵の息を吐いた。
「レミ無事ね!」
「ドリス!一体何が・・・・・・」
 事態を直接見ていないレミにとって、上司は取り乱しすぎだと感じていた。
「分からないわ」
 ドリスはきっぱりと言った。
「分からないけど、ここに居るのは危険すぎるわ。フロンティアの準備は出来てる?」
「ええ、もとからアンドリング待機させていたから・・・・・確認もしているわ。いつでもOKよ。それで博士とホリィは?」
 レミの問いかけにドリスは首を左右に振って応えた。
「ホリィは見てない。博士は・・・・・手遅れだったわ・・・・」
 どういう意味なのか、正確には知りようのないレミではあるが、彼女がこの手の冗談を言う人物でない事を知っている為、聞き直す事はしなかった。詳しくは後で聞けば良い事だった。
「それで、キャニーは戻ってないのね?」
 今度はレミが頷いた。
「分かった。レミはフロンティアで待機。私がホリィとキャニーを探すわ。万一の時は貴女だけでも脱出するのよ」
「・・・・了解」
 願わくば戻ってきて欲しい。そう思うレミだった。

 再び別行動を取ったドリスは、真っ先に居住区に駆け込んだ。休息という発想で行き着く先がこことレクレーションルームのどちらかと予想しての事だった。
 第一候補のレクレーションルームは既に無人であることを確認していた為、乗組員の個室を片っ端から覗いて行き、数部屋目で該当する部屋を見つけた。
 机に置かれたキャニーの衣服に通信機。間違いなく彼女はここに来た。そして状況から察するに、シャワーでも使っているのだろう。ドリスはそう判断して、少々礼儀知らずとは思いつつも、バスルームの扉を開いた。
「・・・・・・・・・!!」
 ドリスは後ずさり、絶句する。ここも・・・・キャニーも手遅れとなっていた。
 まだ『繭』に取り込まれはしていなかったが、身体の大半を今までの物と同質の物であろう、金属質の物体に包まれ、それ以外の部分も触手で嬲られていたキャニーは、虚ろな表情でピクピクと微かに痙攣をしているだけだった。時折、口元がぱくぱくと開閉していたが、声を漏らす事も出来なくなっていた。
 既に意識もまともでないのか、ドリスの存在にすら気づいていなかった。
「・・・・・・・・」
 ドリスはキャニーの惨状に目をそらすと、何もできない事を心の中で詫びつつ、部屋を出ていった。その後、残りの部屋も一応覗き、ホリィの姿が無い事を確認すると、彼女も同じ運命をたどったのだろうと判断し、捜索を断念してフロンティア号の待っているメインシャフト部へと向かった。

 ドリスがメインシャフトの出入り口に辿り着いた矢先、激しい振動が彼女を襲った。船全体が激しく揺れたのである。彼女はこの振動が何かを悟った。爆発の衝撃、音の関連から見て船外の爆発による煽りを受けたのだろうと判断した。そしてそれが意味する事に、驚愕した。
「レミ!!」
 ドリスは顔面蒼白になって、フロンティア号のドッキングしているシャフト中央部に向かって走り出した。

 レミはドッキングチューブの出入り口前で倒れていた。ドリスは手前の窓から外を覗いたが、そこにあるべきフロンティア号の姿はなかった。彼女の予想通りだった。
「レミ大丈夫?レミ!」
 倒れたレミを抱き起こすと、彼女はすぐに気づいた。
「あ・・・・・ドリス・・・・」
「一体、どうしたの?」
「・・・・・ホリィが戻って来たのよ・・・・そして、いきなり爆薬を・・・・」
「ホリィが、何故?で、彼女は?」
 よろよろと立ち上がるレミーを支えつつ、ドリスは問う。
「分からないわ、私は慌ててこっちに飛び出したけど・・・・・・何であんな事を・・・・・・」
 仲間の突如の暴挙に、レミはショックを隠せないでいた。何かしらの理由があるのなら知りたい。そんな彼女の思いを見抜いたかの様に、当事者の声が通路内に響いた。
『だって・・・・・・・逃げられたら困るんですもの・・・・・』
 くすくすと笑い声を含んだその声は、間違いなくホリィのものだった。
「ホリィ!?・・・・・じゃないわね・・・・一体・・誰?」
 ドリスは辺りを警戒しながら問いかけた。
『・・・・・説明し辛いのよね・・・・・・・・う〜〜〜ん・・・代理人って言ったらいいのかな?』
「代理人?あの液体金属ともアメーバの出来損ないみたいな物体の?」
『違うわ。アレも言ってみれば身体の一部・・・・・手足のような物よ』
「じゃあ、本体は何処?」
『目の前にいるでしょ』
 嘘とは思えなかった。だが、まっすぐ前後に伸びている通路に隠れる所もなく、何も引きつけるものが無かった。
「・・・・・・・悪いけど私には見えないわ」
『嘘・・・・ああ、理解してないのね。今貴女が見ている物全て・・・・・・この船が本体なのよ・・・貴方達は体の中にいるの・・・・・』
「それじゃあ、コンピューターが自我を持ったって・・・・」
『違う違う!』
 ドリスの解釈をホリィの声はあっさりと否定する。
『この船はね、知っての通り一度空間を越えて別の宇宙に行って来たのよ。そして向こうの世界で生物となって帰って来たの、この話、博士さんにも言ったんだけど理解できる?』
「異世界の干渉を受けて、無機物が有機物になったって言うの?」
『それもちょっと違うわ。少なくても向こうでは有機物・無機物が生命の定義では無かったわ。そう・・・・・簡単に言うと、それに意志が有るか無いか・・・・・ね。異世界の干渉で・・・・って、原因は合っていると思うけど・・・・』
「それじゃあ、この船は何の目的で本来の生存空間では無く、異世界に帰って・・・いえ、やってきたの?」
『・・・うふふふふふふふふ・・・・・・』
 船内に悪戯っぽい声が響いた。
『貴方達、人間の存在を知ったから・・・・そしてその世界を行き来出来る力を得たからよ』
「どう言う事?」
『みんなが・・・向こうの世界のみんなが、貴方達を好きになったのよ。感情って言う知らない意志を持つ生物を・・・・・『欲望』って言う甘美な思考を与えてくれた貴方達をね・・・・・・特に肉体の刺激に対する多様な反応は・・みんなに止めようもない『感情』を引き出すのよ・・・・・・病みつきになっちゃうのよ・・・・』
 悦に入った様な口調に、ドリスは人間の存在そのものが『それ』と称される異空間の生命体に対して麻薬みたいな存在と化している事を悟った。
『だから・・・・・・・みんなを連れて帰りたいの・・・・・・・招待したいの。そして尽きる事無い快楽と苦痛と・・・・死をプレゼントしてあげる・・・・』
 その言葉にドリスは驚愕した。彼等(?)にとっては興味本位でしかなく、彼女達にしてみれば玩具同様に扱われる事が目に見えている。お世辞にも友好的な交友のための招待とは思えなかった。
「悪いけど、行きたくないわ。私はこっちの世界がいいの」
『無駄よ貴方達の乗り物は壊したし・・・・もうすぐゲートが開いて貴方達は向こうに行くんだから・・・』
 ホリィの声はまたくすくすと笑った。もうすぐ楽しいことが始まるのだと言った、無邪気な笑い声だった。そう、異世界の常識ゆえの思考なだけに邪気が無いのである。
「レミ、走れる?」
 勝ち誇った笑い声の響く中、ドリスは支えていたレミに耳打ちした。
「え、ええ・・・・どうするの?」
 小声で問い返すレミ。
「博士が言ってたでしょ。船首部分を切り離して脱出するわ。シャフト切断は私がやるから、レミは船首のブースターを起動させて」
「でも、上手く行くかしら?」
「確かに『手足』は各所に出没する様だけど、全域に根を下ろしている訳でもないわ。もしそうなら全員、一度に捕まっているはずよ。きっと、空間跳躍機関が二つの世界を繋げているから・・・・相互の世界が繋がったままだから両方の『常識』が通用し、連中もこっちの世界で『生物』として存在を維持できているのよ。それを断ち切れば・・・・・『常識』はこちらのルールだけ・・・・無機物である連中が生命体として存在していけるはずがないわ」
 ドリスの説明にそうかもしれない、とレミは思った。問題点もありそうに思えたが、それを論議する時間は無い上に、行動の選択肢自体がすでになかった。
 レミーは決心すると、軽く頷いて船首部分に向けて走り出した。
 ドリスも又、彼女の後を追って動き出した。


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