体験教室 |
主成分:お我 | 目撃者:つなみ | 掲載日:2005/10/2 |
結構、大きくなってからも漏らしちゃう子いるんです。 私が小学校5年生のことです。当時の私は学級委員でしたが、委員はそれぞれ男女1名ずつでペアでなるものなので、そのときにコンビを組んだのが香織ちゃんでした。香織ちゃんは真面目な優等生タイプの女の子で、成績も良くて周囲からの信望も厚い子でした。 その年の秋に運動会があり、一日中競技が続いた後に学級会があったのですが、最後だと言うのに先生の話が長くて弱りました。その先生のお話の最中からなんですが、前のほうの席に座っていた香織ちゃんの様子が心なしかソワソワしているように思えました。やっと「さようなら」の挨拶が終わってお開きになったと思って廊下に出たのですが、男女とも各階のトイレが大混雑していました。競技が終わってから表彰式やら先生のお話やらでトイレに行く暇の無かった子が多かったのです。それでも男子トイレはまだ回転のいいほうですが、女子トイレはなかなか順番が回ってきません。 私は香織ちゃんと明日のことで打ち合わせをしたいことがあったので彼女を探しましたが、彼女は女子トイレの前の長蛇の列を見て途方に暮れていました。私が彼女に声を掛けるよりも先に彼女は人込みを掻き分けて何処かへと走り出したので、私も後を追いました。彼女は物凄く速くて、そんなスピードで走ったら転ぶよと私が心配するほどでした。何とか体育館へと向かう渡り廊下の途中まで来て、彼女が体育館脇にある利用者の少ないトイレを目指しているのだと分かりました。
けれど・・・トイレまであと少しというところで私が心配した通り、彼女は足がもつれたのか転んでしまいました。後から追いかけて来ていた私は駆け寄って彼女を助け起こそうとしたのですが・・・倒れた彼女のお尻の辺り、履いていたブルマー(その日は運動会だったので、あらかじめ全生徒が体操着で登校していました。)にジワッとシミが広がっていったかと思うと、それはどんどん大きくなっていって洪水になってブルマーから漏れ出しました。 その後は彼女に用具庫の中に隠れているようにキツク言って、私だけが保健室へと向かい校医の女の先生に事情を話して身体を拭くタオルや着替えの下着・ブルマーを用意してもらって2人で用具庫へと向かいました。先生が中に入って彼女の身体を拭いてあげ、着替えさせてあげました。私は外に出て、用具庫の扉の前で誰も入れないように見張り役です。でもあまりにも静かなので、途中で心配になってチョットだけ扉の隙間から中を覗いてしまいました。すると丁度、彼女の服を脱がして身体を拭いてあげているところで香織ちゃんのヌードが目に飛び込んできました。オッパイも結構大きくて下半身には薄かったですが、ヘアの茂みも確認出来てちょっとドキドキしてしまいました。泣き止んでいた香織ちゃんでしたが、先生に優しく身体を拭かれているうちにまた涙が戻ってきたのか、裸のまま泣いていました。 帰り道に彼女が転んだときに膝をケガをしてしまっていたので、私がおぶって帰ることになりました。もう彼女は泣いてはいなかったけれど、「誰にも言わないで」と何度も確認されました。香織ちゃんの胸の膨らみが身体が揺れるたびに背中に当たって一層ドキドキしていました。彼女のお母さんには私から事情を話してあげたので、彼女は叱られずに済んだそうです。勿論、当初の目的である「明日の打ち合わせ」もちゃんとしました。(笑) 後に中学生に上がったとき、彼女に「あの時がファースト・キスだったんだよ」と言われたときに何とも言えない様な甘い記憶が甦ってきて顔が真っ赤になってしまった自分がいました。香織ちゃんとは今も仲のいい友達です。 |
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主成分:お我 | 体験者:ゆっこ | 掲載日:2005/10/2 |
中学校2年生の、とある日、そのハプニングは起こってしまいました。
体育祭を2週間後に控え、体育祭の練習の授業が増えてきていました。そしてあの日も、午後の2時間が体育祭の練習でした。その日、昼の給食の後、私は友達と一緒におしゃべりにふけっていました。そして、昼休みも残り10分頃、という辺りになって、着替えてグランドへ向かいました。 体育祭の練習が始まってしばらくの間は、何の問題もありませんでした。しかし、その日は9月の割には結構涼しかった事と、Tシャツに短パンという服装のせいもあってか、トイレに行きたくなってしまったのです。私は、どうしようかと考えました。体育祭の練習が2時間通しで行われる場合は、間に休憩を挟まない事もありました。「最後まで何とか我慢しよう、いや、休憩はある」、そう信じて練習を続けました。 しかし、5時間目が終わる時刻になっても、いっこうに休憩が入る気配はありませんでした。その頃には、かなり尿意が強まってきていました。「いや、遅れて休憩が取られるはず」、そう自分に言い聞かせました。しかし、5分待っても10分まっても、休憩は入りませんでした。その間に、段々とおしっこの我慢は苦しくなっていました。「あと30分だから大丈夫」、必死で我慢を続けました。 練習が終わるまでの時間が、いつもの何倍にも感じられました。しかし、なんとか我慢できた、その時はそう思ったのです。やがて、1年生から順番に、校舎へ戻って行きました。校舎へ戻るのを待つその間も私は必死でおしっこを我慢し続けました。体はがくがくと震え、友達からも「大丈夫?具合悪いの?」等と声を掛けられました。私は、何とか「大丈夫」と返事をし、なおも必死で我慢を続けていました。 そして、私達のクラスが校舎へ向かう番が来ました。私は、校舎へ帰る途中にあるトイレへ行こうと思っていました。そして、私達の列が校舎へ向かい、トイレに近づいて来た時、私は友達にトイレへ行く事を伝え、トイレに駆け込みました。 幸いトイレには誰も先客はいませんでした。最後の難関を乗り切り、「ああ、助かった」と思い個室のドアを閉め、後は短パンと下着を下ろすだけという状況になって・・・・・・・気が緩んでしまったのです。「トイレに間に合った」という安心感から、一瞬、緊張感が途切れると同時に、ふっと気が遠くなったような感覚になり、腰から下の力が抜けました。と同時に、股の辺りからお尻にかけて、小さい頃に何回か経験した生暖かい感覚が広がり、それは太ももからふくらはぎへと伝っていきました。 気が付いた時には、もう手遅れでした。必死でおしっこを止めようとしましたが、一旦せきを切って出てしまったものを止めるのは無理でした。みるみる内におしっこは足を伝い、靴下、靴をびっしょりと濡らし、両足の下には大きな水溜りができていました。 私はしばらくの間、そのまま呆然と立ち尽くしていました。小学校高学年以来、しばらくおもらしとは無縁だったのに、中学生になって、私は失敗してしまったのでした。 |
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主成分:お我 | 体験者:なお | 掲載日:2005/10/18 |
忘れもしない、あれは中学校2年生のある日のことでした。 私の通っていた中学校は、毎週月曜日に朝礼がありました。そして、その日は月曜日でした。 少し寝過ごしてしまい、私は普段より学校に行くのが遅くなってしまいました。そのこと自体は、特にどうという訳ではありませんでした。ただ、私は大抵、朝学校に行った後、1時間目が始まる前にトイレに行っていましたし、朝礼がある日は朝礼の前に行っていました。 寝過ごしてしまったことと、朝起きた時には特にトイレに行きたくなかったため、私はトイレに行かないまま学校へ向かいました。学校までは歩いて20分、途中の10分を過ぎた辺りから、少しトイレに行きたいと感じるようになってきていました。 そうこうしている内に学校に着きました、とここでトイレへ向かっていれば問題は無かったのですが、私は学校へ着くと、いつもの通りに友達とおしゃべりにふけってしまいました。 と、そこへ「朝礼へ向かうので並んで下さい」というクラス委員の声が聞こえました。その時になって、トイレへ行き忘れていたのに気付いたのです。しかし、時は既に遅く、みんなは次々と廊下に整列していきました。私も、トイレへ行くのを諦めて、列に並びました。朝礼が終ったらトイレに行けば良い、それまでは我慢できるから、その時はそう信じて疑いませんでした。 そうして朝礼がはじまったのですが、体育館が思いのほかかなり寒かったこともあり、私の尿意は徐々に強まっていきました。そして、運が悪いことに、その日に限って、色々な表彰などが数多くあったのです。 表彰などが終って、最後の校長先生の話のころには、私はかなり苦しくなってきていました。自分でも、体が小刻みに震えているのが分かりました。それを見て、私の後ろにいたAさんが「具合でも悪いの、だいじょうぶ?」と声を掛けてきました。私は「ううん大丈夫、寒いだけ。」と答えました。 そして、やっとのことで校長先生の話が終わり、体育館から退場となりました。そのころには、おしっこが今にも漏れてしまいそうでした。 私達のクラスが退場する番が来ました。私は必死でおしっこを我慢しながら、体育館を出てすぐのところにあるトイレへ向かいました。 中に入ると、幸いにして4個あった個室の内、3つが空いていました。「助かった」、そう思い私は一番手前の個室に入りました。 震える手で個室の鍵を閉め、あとはスラックスと下着を下ろすだけでした。ところが、寒さで手がかじかんでいたせいか、ファスナーは何とか下ろせたのですが、ホックを外すのに手間取ってしまい、そうこうしている内に・・・・・やってしまいました。 一瞬、体に小さな震えが走るのと同時に、下半身の力が抜け、下着からスラックスへと、あっという間におしっこの生温かい感触が広がっていきました。みるみるうちにおしっこは溢れてしまい、太ももから、ふくらはぎ、靴の中や床へと広がっていきました。 止めなきゃ、などと思っている間もない、またたく間の出来事でした。気がつけば下着とスラックス、そして靴の中はビショビショに濡れ、足を伝ってできた水溜りが足元には広がっていました。 小学校以来おもらしと無縁だった、私の忘れられない経験です。 |
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主成分:くお | 体験者:由紀 | 掲載日:2005/11/3 |
高校1年の由紀と言います。わたしは自分で言うのもなんなのですが、スポーツも得意で勉強も上位な方で男子からも見た目がかわいいということで、けっこう告られたりする機会も多かったのですが、そのせいで女子から少し嫌がらせをされることもしばしばでした。 ちょうど中3の夏、当時バスケット部の男の子G君と付き合っていたのですが、クラスのどちらかと言うと不良系(っていうかいじめっ子系)の女の子もその男の子が好きだったようで、ある日の放課後教室で、 「由紀〜G君と付き合ってるらしいじゃん〜。」 「えっ。」 「どこまでいったの?」 「えっ、別に。。。」 「嘘ついてない〜?」 「別に嘘なんかついてないよ。」 わたしは、その女の子とその友達4人に囲まれるようにして聞かれました。 「へ〜じゃあ、言わせてあげるよ〜。」 その瞬間、4人に床に倒され、両手に1人ずつ、両足に1人ずつ乗って、押さえ付けられてしまいました。そして、 「じゃあ、みんなで由紀をくすぐって吐かせよう!!」 と言うと、彼女は私の上に馬のりになってわき腹やお腹をこちょこちょとくすぐりはじめました。 「あははははっ、やめて〜くすぐり弱い〜。」 「じゃあ、どこまで言ったか答えてよ〜。」 「それは。。。」 「言えないんだ〜。じゃあみんなでくすぐりの刑にかけよう〜!!」 そう言うと、いままで手や足を押さえていた4人が、それぞれわきの下、内股、そして股間をこちょこちょとくすぐりはじめたのです。わたしは、ずっと我慢していました。 「ほらほら言いなさいよ〜。」 5人はよってたかってくすぐりつづけます。 30分ぐらい経つともう汗だくで、口は笑いすぎたあまり涎がでてしまい、ついに失禁までしてしまいました。 本当に苦しかったです。でもそれから毎日のように、「失禁したことを彼氏にばらすよ!!」と脅されては呼び出されてくすぐられました。そのたびに失禁しました。そのため彼氏とは、くすぐられない土日にのみ会うようになりました。 でも不思議なものでくすぐられるのがだんだん快感に変わってしまい、しまいにはくすぐられただけでイってしまうようになりました。そしてこのくすぐりイジメは中学卒業まで続くのでした。ちなみに彼とは今も付き合っていて、くすぐりに弱い&好きなのを気づかれてしまい、イまではHのたびにくすぐられ失禁したりイってしまいます。今では彼氏も私がくすぐられていた経験があることを知っています。(私が話したので。) |
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主成分:く | 目撃者:見学者 | 掲載日:2005/11/3 |
今日教室で同じクラスの女の子が、くすぐられていました。どうやら何かトランプゲームで負けての罰ゲームで、くすぐられているようでした。(2対1でくすぐられていました。)くすぐられている女の子は、まだ半袖を着ていたので、左右から両手を引っ張られて、袖口から手を入れて腋の下を直接コチョコチョとくすぐっていました。くすぐられてる女の子はゲラゲラと大笑いして顔を左右に振っていました。クラス全員が注目して見ていました。 | ||
主成分:我 | 体験者:漏れそう | 掲載日:2005/11/22 |
私は、高2なんですけど、ついこの前、彼氏とのデートでやばいくらいおしっこを我慢することになってしまいました。私はすごく内気で、いつも我慢して家に帰ってるんですけど、こないだは、まじでやばかったです。喫茶店で待ち合わせをして、コーヒーを飲んでから、水族館に行きました。それから少しすると、段々トイレに行きたくなって、そわそわしてしまいました。それから少しして、近くの公園に行くことになって、歩いていると段々尿意が強くなってきて、着いた公園はなんと、トイレがありませんでした。一瞬、頭の中が真っ白になってしまいました。何とかこらえて、ベンチに座って話をしていると、周りが暗くなって、時計の針は6・30を指していました。その時、彼を見ると体をゆすって、しきりに足を組替えていました。彼もトイレに行きたいみたいでしたが、そのまま話を続けていました。そしていきなり立ち上がると、「トイレ、漏れそう」と言いました。「私も、」と言うと、「そこでしよっか。」と言うと、私に手を差し出しました。私が、「立てない。」と言うと、「そこでしな」と、ベンチの下を指差しました。もう、決壊寸前だった私は、言われるがままにしていました。我に帰ると、目の前で彼があそこを押さえて足踏みしながら笑ってみていました。後始末をして彼のところへ行くと、「次、俺の番。」と言って、私がしたところにおしっこをしました。恥ずかしかったけど、彼のおかげで間に合いました。もちろん、今でもラブラブです。 | ||
主成分:お我 | 目撃者:HR | 掲載日:2005/12/11 |
私と友達Mはよくおしっこ我慢遊びをしています。 この前2時間程度の映画を見に行きました。映画を見ながらMはコーヒーのLサイズ2つ飲み、映画が終わる頃には結構な我慢状態だったそうです。そのままホテルへ行き、さらにDVDを見ました。我慢時間は4時間!Mha半分見ずに、股を押さえながら部屋をウロウロしてました。DVが終わると下着を脱いでホテルに置いてあるユカタに似た服を着てました。「もう漏れちゃう〜」と言いながら部屋をウロウロしていましたが、「まだダメよ」といじわるしていました。時間くらいたった頃、Mが「あっ・・・」と言うと股を押さえている手の間からおしっこがポタポタと数的漏れてきました。「まだダメ!止めて止めて」というとしゃがんで必死に止めていました。それから1時間くらい15分ごとにポタポタおしっこが出てしまっていました。「今おしっこ出したら帰るよ〜」と言うと「やだ〜我慢するから〜」と言って腰えおくねくね振っておしっこを止めての繰り返しでした。さすがに、部屋でのオモラシハヤバいだろうと2人でお風呂へ入りました。脱衣所でもMは手を股から手を離すと、チョロチョロと少量ずつ漏らしていましたが、なんとか止めてお風呂へ。そこで、最後に手を離して100数える間我慢出来たらおしっこしてもいいよ!ってことで、1,2,3,4,5、・・・とスタート。私はお風呂に入るながら見てて、Mは「はぁ・・・あっあっ」と声を出しながら立って腰を揺らしながら必死でおしっこ我慢してました。腰を揺らすとピッピッとおしっこが飛んでいました。50くらいまで来た頃には限界を超えていたらしく、腰を揺らしながら出るおしっこがチョロ、チョロと量が増えて行き、だんだん腰を揺らすのをやめて足をぴっちり閉じて力を入れて我慢しているようでしたが、どんどん太ももにおしっこが筋となって漏れ出し100数え終わる前にシャーシャーと出始めてしまいました。全部出し切ったMはペタっと尻餅を付き顔が真っ赤でした。 |
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主成分:お我 | 目撃者:ひろ | 掲載日:2005/12/11 |
僕がおもらしに興味をもつきかっけとなった、あの衝撃的な出来事は、忘れもしません、今から約10年前、中学校1年生の時でした。 それは、11月の末のとある日、午後の5,6時間目を通して行われた全校集会で起きました。自分の左隣には、同じクラスの色白美人Tさんが座っていました。Tさんは男子の間で結構人気があり、その時も、短めのスカートからスラリと伸びた脚が、薄手の黒ストッキングのせいもあって、尚更色っぽかったのを覚えています。 そんなTさんの異変に気付いたのは、全校集会が始まって1時間を過ぎた辺りでしゅか。Tさんは体をキュッと縮ませて、小刻みに震えていました。その時は、ただ寒さで震えているだけだと思ったのです。 それから、自分は横目でTさんを見ていましたが、段々と苦しそうな様子になって行き、顔がほのかに紅潮していました。その時も、風邪で体調が悪いのかな、位にしか思いませんでした。 しかし、集会が終わる10分程前に差し掛かった時、事件は起きました。ガクガクと震えるTさんに気付き、周りがTさんに目を向け、あるいはヒソヒソと話をする中、Tさんは一段と強くガクガクっと震えると同時に「んっ」と声にならない声を出しました。 何が起きたのかとTさんをみると、Tさんは目に涙を浮かべたまま段々と脱力していきました、そして、シュルシュルと水が流れるような音が聞こえてきます。と、Tさんのスカートからみるみる内に水溜りが広がっていくではありませんか。ようやくその時になって気付きました、そうです、Tさんは具合が悪かったのではなく、トイレに行きたいのをずっと我慢していたのです。 水溜りは瞬く間に広がって行き、周りはザワザワと騒がしくなりました。それに気付いて、ある先生がやってきて、Tさんは先生に促され、体育館の外へと出て行きました。スカートがびっしょりと濡れ、ストッキングに数本のおしっこの筋が出来て、寒さのせいでスカートと、残された水溜りから湯気が立っていたあの状況を忘れる事はできません。 |
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主成分:お我 | 体験者:真面目でおとなしい女 | 掲載日:2005/12/27 |
中学1年生の春の出来事です。 私は元々トイレがかなり遠く、学校でトイレに行くことは滅多にありません(本当です)。しかし、その日は朝の部活の後、2リットル近く水を飲んでおり、昼過ぎにトイレに行きたくなったのです。 その日は5時間目と6時間目にまたがって視力検査がありました。私は5時間目が終わったらトイレに行こうと思っていました。保健室に行く前、廊下に並んだ時、担任の女の先生が、 「トイレに行きたい人、いる?」 と、言いました。私は手を挙げようと思いましたが、他に手を挙げたのが3〜4人の男子だけだったので、内気な私は恥ずかしくて手を挙げることができませんでした。そして、最悪の形で保健室へ行くことになったのです。 視力検査は、男子から名簿番号順で1人ずつ行い、検査が終了した人は自由に行動して良いことになっていました。ここで、さらに運が悪いことに、私の名簿番号は女子14人の中で13番目で、クラス31人中で30番目(後ろから2番目)だったのです。つまり、29人が終わるまで待っていなければならないのです。 保健室に着いたとき、すでに私はじっとしていられないほどおしっこを我慢していました。しかも、その日は午前中に2リットル近く水を飲んでいて、自分の膀胱の大きさとその水の量を考えると、おしっこの勢いが強いことは容易に想像できました。検査時間は1人1分かからないぐらいでしたが、私には5倍にも10倍にも感じられました。途中で先生に言ってトイレに行かせてもらおうと思いましたが、内気な私にはその勇気がありませんでした。 おしっこが限界に近づきながらも、私の順番も徐々に近づいてきます。私は足をクネクネさせながら、座って必死でおしっこを我慢していました。検査が終わったクラスメイトは、気楽に静かに雑談をしています。そして、前のクラスメイトの検査が終わり、やっと自分の番になったと少し安心し、立ち上がろうとしたその時です。 突然、わたしは自分の股間が生温かくなるのを感じました。一瞬、”まさか・・・”、と思いましたが、すぐにそれが自分のおしっこによる温もりだと分かりました。私は必死におしっこを止めようと思いましたが、先に述べた通り、おしっこの勢いは強く、手の施しようがありません。おしっこは足を伝い、とうとう床に達しました。私は思わず、 「あ・・・、あ・・・・、あぁ・・・・・。」 と、声を出してしまいました。おしっこはさらに勢いを増し、股間から直接床に落ち始めました。もう、止まりません。私はクラスメイト全員が注目する中、保健室のど真ん中で、大量のおしっこを2分近くにわたって出し続けました。保健室にはおしっこをもらす恥ずかしい音だけが響き渡りました。ようやくおしっこが止まった時、私のまわりには半径1m(直径1mではありません)ほどの大きな大きな水溜りができていました。今までおもらしした人の中でも、これほどの量をもらした人は女子では(おそらく男子でも)いないと思います(いたら教えてほしいです)。クラスメイトの方を見ると、顔の前で手を振って(クサい、クサいのジェスチャー)いました。私は泣きながら保健室の裏でビショビショの着衣を着替えました。 あれから約10年が経ちましたが、今でもはっきりとあの時のことを思い出せます。あの時のおもらしは、自分のことながら、絵に描いたようなおもらしだったと思います。可愛らしく、元気で人気のある女子のおもらしも印象に残りますが、私のように、真面目で(自分で言うと嫌味に聞こえますが)おとなしく、普段目立たない女子のおもらしも印象に残ると思います。 かなり長い文章(まるであの時のおもらしのようですね)になってしまい、申し訳なく思いますが、これで終わらせていただきたいと思います。ありがとうございました。 |
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主成分:お我 | 体験者:まちこ | 掲載日:2006/1/18 |
物心ついた頃からおもらしと無縁だった私の、忘れることの出来ないあの失敗は、今から3年前、社会人生活にも鳴れて来た冬のことでした。
当時、私はバス通勤をしていました。そして、その日は路面が凍結していた上に、雪がかなり降っていて、道路がかなり渋滞していました。普段通りなら、30分程度の道のりでした。しかし、その日は1時間以上掛かってしまったのです。
仕事を終えて、会社を出た時点で、特にトイレに行きたかった訳ではありませんでした。ただ、雪の中でバスを待っている内に、少しづつ、トイレに行きたくなってしまったのです。でも、最初の内は、それほどトイレに行きたかった訳でもなく、あまり気にしていませんでした。
渋滞でバスがあまり進んでいないのは、本を読みつつも気づいていました。ただ、バスに乗ってからも、トイレの事はあまり気にならず、しばらくの内は、普通に本を読んでいました。
しかし、渋滞はひどいままで、バスは全然進みませんでした。そうこうしている内に、トイレに行きたくてどうしようもなくなってきてしまいました。この状況では、家まで我慢できるかどうか、不安になってきました。どうしようか・・・・・・・私は考えました。
バスが渋滞の中をゆっくりと進み、次のバス停に到着した頃には、私はかなり苦しい状況になっていました。今にもおしっこが漏れてしまいそうで、必死で我慢していました。そうして、ゆやくバスは次のバス停に到着し、私は必死におしっこを我慢しながら、コンビニエンスストアへと向かいました。
もう我慢は限界でした。私はお店を出て、どこか用を済ませられる場所を探しました。私の目に、コンビニエンスストアの裏手の空き地が飛び込んできました。あそこなら誰にも見られないから大丈夫、そう思い、空き地へ向かいました。 しばらくして、おしっこが全て出終わりました。足下からは湯気も立っていました。すっきりしたという気分もありましたが、私は次第に、自分がどんな失敗をしてしまったのかということに気付いてきました。そうです、私は社会人にもなって、おもらししてしまったんです。情けなさと、どうしてもっと早くトイレを探さなかったのかという後悔の気持ちで胸が一杯になり、目に涙が浮かんできました。 おしっこでビショビショになってしまったパンティーとストッキングを捨てて、私は帰路につきました。あれ以来、常にトイレには気をつけています。 |
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主成分:く | 目撃者:ヨシ | 掲載日:2006/1/18 |
中学2年の時です。ある日の放課後、普段は使われていない空き教室に大勢の男子が入っていくのを見た僕は、こっそり後をついて行きました。教室の前まで来て、戸の隙間から中の様子を除くと、室内には20人程の男子生徒(先輩)がいて、何かを囲むようにして立っていました。よく見ると、その中にはなんと、当時副担任だった美人のM先生が机の上に大の字で手足を固定されていました。僕は驚きましたが、声を押し殺して見ていました。しばらくすると、1人がM先生に近寄り、何かの合図を出しました。すると、それまで黙っていた先輩達が一斉に近寄り、M先生の体をくすぐり始めました。M先生は一瞬おどろいたような声を上げましたが、すぐに笑い声に変わり苦しみ始めました。先輩達は楽しそうにM先生の体をくすぐっています。M先生は身をよじって苦しんでいます。先輩達は、4人でM先生の手足を押さえ、残りの十数人でその全身をくすぐりまくっています。中には筆や、ハブラシを使っててくすぐっている先輩もいました。M先生は何度も、「やめて!」と叫んでいましたが、笑い声で言葉になっていませんでした。ただ、苦しそうな笑い声を上げているだけでした。そんなM先生の体を、先輩達は容赦なくくすぐり続けています。やがて、誰からともなく服を脱がし始めました。くすぐられながら、あっという間にM先生は下着姿になってしまいました。そんなM先生の体を先輩達はさらに激しくくすぐり始めました。M先生の笑い声も激しくなっていき、「あぁーっ!!あああぁぁーっ!!」と、悲鳴に近くなっています。先輩達は道具を捨てて、全員素手でくすぐっています。誰ひとり、やめようとはしませんでした。全員が夢中になってくすぐっていました。しかし、下着姿で20人近い男子に長時間全身をくすぐられ続けているM先生は、身をよじりながら悶え泣き、悶絶しそうなほど笑い苦しんでいました。まさにくすぐりレイプ状態でした。 信じられないけかもしれないど、M先生のあんな姿を見られてホントに最高でした。 | ||
主成分:お | 目撃者:知之 | 掲載日:2006/1/18 |
僕が小学6年生だった頃の話です。 僕のクラスは小学校ながら、少し荒れていて、問題を起こし、クラス全員残されて説教なんてしょっちゅうでした。 その日も、他の学年の先生の話を無視したという苦情を受けて、6時間目が終わってすぐに担任の説教が始まりました。 手は出さないにしても、その先生は声が大きくてかなり怖い人(男)でした。 けど、怒られてるのは僕だけじゃないので、頬杖をついて軽く聞き流していました。 すると、後ろの方から『しゅーーー・・・・しぃぃぃぃぃぃっ』 という水音の様な物が聞こえてきました。 僕は真ん中の方の席だったのですが、一番後ろの窓際あたりから聞こえていたので、てっきり外のセミか何かしらの音だとおもっていました。 しかし音は次第に大きくなって『ピチャピチャピチャ・・・ジャーーーーーッ』 さすがにこれはおかしいと思って振り返ると、クラスで1・2を争う可愛さの女子、マリちゃんのイスの下に水溜りができていました。 周りは僕よりも先に気づいていて、コソコソと「おもらし」「おしっこ?」等と囁いていました。 マリちゃんは赤面にした顔を片手で隠して、何とかおしっこを止めようともう片一方の手で押さえていましたが手が濡れるばかりでした。指の隙間からおしっこがジョロジョロ流れ出ていました。 怒りすぎて頭に血が上っていた先生も、流石に水の音は聞こえたみたいで、保健室に連れて行くかな?と思ったが 「お茶か何かこぼしたのか?後で拭いておけよ!」と怒ったような口調で先生は言った。 前の方の女子達が「あれ、おもらしじゃないの?」と先生に聞こえるように話していると先生は 「小6にもなって小便漏らすはずないだろ、幼稚園じゃないんだから」 それだけ言って、何もなかったかのようにまた説教を始めた。 僕はもう一度振り返った。マリちゃんのおしっこはようやく止まったみたいだけど、水溜りはすごいものだった。 2リットルのお茶を床に全部流したかのような水量で、隣の席の男子の所まで流れてきていた。 その男子が思いっきり机を引き離している場面が何か印象的だった。 結果、説教終わりと共に、マリちゃんの周りにはいつも仲がいい女子二人が集まってきて 「マリちゃん大丈夫?」等と言われていました。 どうやら貧血らしく、頭を押さえたりしていて顔色も悪かったです。 まぁ、貧血のせいで漏らした、という理由にはならないだろうけど。 その後が気になったけど、早く帰りたかったからその場を後にしました。 友達と学校帰りに遊んだ後、家路に着こうとしたとき、マリちゃんの友達の一人に会いました。 「マリちゃんの事、イジメたり今日の事広めちゃだめだからね。他の男子にも言って」 その子は男子顔負けの権力を持っていて(お兄ちゃんが暴走族という)、クラスの中心なので、僕は頷いた。 言われるまでもなく、イジメるつもりは全くないのだけど。 その女子のお陰かマリちゃんのカオの良さなのか、誰一人としてマリちゃんをイジメたりする人はいなかったので、マリちゃんも気にする事なく学校に毎日通う事ができていました。 でも、本人がいない時はその話題になってしまうので、広まってしまいました。 そのマリちゃんとは中学、高校と違う学校なのですが、同じ学校の友達からきいた話では中学に入って、小学校が違った男子達にその事を知られ、すれ違い様に「おもらし」「小便」と言われたり、授業中に口で「しぃ〜〜〜ピチャピチャ・・・ジャーー」といわれたりしていたみたいです。 仲が良かったあの友達が違うクラスのせいで、なかなかその嫌がらせは収まらなかったそうです。 |
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主成分:お我 | 体験者:東大出身OL・明美 | 掲載日:2006/1/18 |
昨年の3月に東京大学を卒業した、OLの明美と申します。 実は、高校2年生の時、私は学校でとんでもない失敗をしてしまいました。恥ずかしいのですが、そのことについて書きたいと思います。 私は、身長が170cmあり、周りからは『あけ姉』というあだ名で呼ばれていました。私は子供の頃から、トイレは遠いはずでした。友達からも、 「あけ姉って、全然トイレに行かないね。我慢するのは良くないよ。」 と、言われたりしていました。でも、私自身は決して我慢しているわけではないのです。滅多なことではトイレに行かない分、一回に出る量はかなり多いらしいです。友達は、おしっこは10秒で終わると言いますが、私は最低でも30秒くらいは出ています。その私が、高校2年にもなって失敗してしまったのです。 あれは忘れもしない、2月15日の出来事でした。 私達の高校は制服でした。その日は、朝に自宅でトイレを済ませ、そのまま昼まではほとんどいつもと同じように、適度に水分を取りながら過ごしました。トイレが遠い私は、昼になってもトイレに行きたくならなかったので、そのまま行かずにいました。 事の発端は、昼休みに部室に行ったことでした。私が所属していたテニス部では、2月11日に、部の結束力を強くするという目的で、懇親会を行ったばかりでした。その懇親会で飲みきれなかったジュースが、何本か余っていたのです。同じ部の仲間達が、そのジュースを飲みながら、 「あけ姉も一緒に飲もうよ。」 と、誘ってきました。断る理由もなかったので、私は一緒にジュースを飲みました。しかし、しばらく一緒に飲んでいると、仲間達は、 「私達はもう飲めないから、あとはあけ姉が飲んでよ。」 と、言い出したのです。まだウーロン茶が1リットル以上残っています。しかし、断り切れず、そのまま解散してしまいました。このままウーロン茶を余らせるわけにもいかないので、仕方なく、私はそのウーロン茶を全部飲みました。トイレが気になりましたが、飲んだ直後だったため、まだ尿意は感じていなくて、そのまま午後の授業を迎えました。 午後の最初の授業は数学でした。私達の学校は、大学受験を想定していて、授業時間が90分でした。私は、 『いつも我慢できるから大丈夫だ。』 と、タカをくくっていました。しかし、2月で寒かったせいもあって、授業開始からわずか5分でおしっこがしたくなったのです。 『ウソ・・・・、どうしよう・・・。』 授業は緊張感が張り詰めているし、授業時間の10分の1もたっていないのに、まさかトイレに行かせて下さいとは言えません。我慢するしかありませんでした。 『早く授業が終わってくれますように。』 祈るような気持ちでしたが、徐々に尿意は高まり、集中力もなくなって、ノートをとる手も止まるようになってきました。授業時間の半分が過ぎた頃には、制服のスカートの上から手で股間を押さえるほどになっていました。 『まだ45分もある・・・間に合わないよ。まさか高2にもなっておもらし・・・ダメ!それだけは絶対にダメ!』 おしっこを我慢する体を支えていたのは、私のプライドだけでした。小学校の頃から優等生であること、身長が170cmあること、中学の時にテニス部の部長だったこと・・・・。 優等生、身長170cm、テニス部部長。どれもおもらしする人とは程遠いイメージでした。 『ここでおもらししたら、私の今までのイメージはガタ落ちになっちゃう・・・何としてでも我慢しないと!』 あと30分。下腹部はもうパンパンでした。やはり、昼休みに飲んだウーロン茶が効いているようでした。下腹部がチクチク痛みます。 あと15分。 『やっとあと6分の1まできた。早くして!早くして!』 そして、あと10分になった時、数学の先生が、 「今日の授業はこれで終わりにします。」 と、言いました。 『ラッキー!これでトイレに行ける!』 しかし、その後数学の先生から出た指示に、私は愕然としました。 「あと10分あるので、この前の模試の結果を大会議室まで取りにきて下さい。」 まさに天国から地獄でした。大会議室までは、私の教室からはそれほど遠くありません。しかし、足を1歩踏み出すだけでおしっこが噴き出しそうなこの時の私にとっては、地獄の道のりでした。私は我慢が周りにバレるのを覚悟の上で、スカートの上から手を股間に当てたまま、慎重に歩きました。 『恥ずかしいけど漏らすよりはマシだ・・・』 教室に比べて廊下は凍えるように寒く、さらにおしっこが出るのを後押しします。 何とか大会議室に到着し、模試の結果が配られるのを待ちました。この時には、もう股間に当てた手を離すことができなくなっていました。手を離したら、おしっこが噴き出すことは目に見えていました。それでも、模試の結果を受け取る時は、手を離さなければなりません。 『もう、ダメ・・・・。』 それでも私は必死に漏らさない作戦を考えました。そして、足を交差させておしっこの穴を塞ぐという最後の賭けに出ました。 運命の自分が受け取る番。 『どうかうまくいきます様に!』 そして、作戦通り、足を交差させました。 『塞がった!うまくいった!』 一瞬、そう思いました。しかし、受け取ろうとした次の瞬間、 “ジュッ・・ジュウウウ・・・” 『えっ?・・あっ!!!』 受け取ることに神経を奪われ、足の交差が弱くなってしまったのです。 “ジョワアアアアアアアアアアアアアアアアアア・・・・・・” すごい勢いでおしっこが噴き出しました。まるでこの時を待っていたかのように、溜まりに溜まっていたおしっこがとめどなく溢れてきます。 『そんな・・・・』 私は、生まれてから一番強い羞恥心を感じていました。周りにいるクラスメートは、みんな目をキョトンとさせて私を見ています。それもそのはず、身長170cmで成績優秀な、おもらしとは正反対のイメージがある女子が、おもらししているのです。 “ジョウォーーーーー・・・・ビチャビチャ・・・・” 1分ほど経っても、おしっこは止まる気配すらありません。私の立っている場所の周りには、おしっこの大きな水溜りができています。漏らし始めてから1分近く経つ頃になると、不思議なことに、だんだんおもらしの感覚が気持ちよくなってきました。もう、半分放心状態でおもらしを続けていました。 『あぁ、気持ちいい・・・・・』 ほとんど力を入れなくても、おしっこは凄まじい勢いで出続けています。まさに大量失禁でした。自分でもこんなに大量のおしっこが出るなんて信じられませんでした。 やがて、長いおしっこがようやく止まりました。床には物凄い量のおしっこが広がり、大会議室の中はおしっこの臭いが充満していました。寒かったせいか、床のおしっこからは湯気が立っていました。我に返って状況を理解すると、恥ずかしさのあまり、顔が真っ赤になりました。 静かだった周りは、一転して大騒ぎになりました。先生も、まさか進学校の高校2年生がおもらしするとは思っていなかったらしく、対処に困っていました。 「あけ姉、大丈夫!?」 という声が、どこかから聞こえてきます。しかし、恥ずかしくて顔を上げることもできませんでした。友達が、 「保健室に行こう、ね?」 と、慰めるように言ってくれました。友達も、おしっこの水溜りが大きかったせいで、近づくことができずにいたのです。私は、うつむきながらうなずいて、友達と一緒に保健室に行きました。 私のおしっこは、クラス全員で片付けてくれたそうです。あまりにもおもらしした量が多かったので、片付け終わるまでに30分以上かかったそうです。 おもらしの後、噂はすぐに広がり、隣のクラスも、 「あけ姉、おもらししたらしいよ。」 「マジでーーー」 「明美、ションベンもらしたんだって!」 「えぇー!?あの明美が?」 などと私のおもらしの話題で1週間ほど盛り上がっていました。私も、その話題になると、最初は恥ずかしいと思っていましたが、そのうちに開き直って、おもらしの話をふられても、 「失敗は誰にでもあるよ。しょうがないじゃん。」 とか言えるようになりました。とはいっても、あまりに大きな失敗だったわけですが・・・。 これが、私が今までの人生で経験した中で、最も恥ずかしい思い出です。この1年後、私は奇跡的に東大に現役合格を果たしました。 |
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