犬童頼房作品

鎖の夏合宿

第1話
 夏休みの初め頃、貞聖女子高等学園バドミントン部は、東北地方のスキー場近くの体育館を借りて合宿をおこなう。観光ホテルに寝泊まりし朝から晩までバドミントン漬けの日々を送ることになる。ホテルは、オフシーズンなので空いており、半ば貸し切りのような状態だった。一年生には六人部屋が、二年生には二人部屋が割り当てられる。
 厳しい練習が終わり、幸江たち一年生は大部屋で思い思いに就寝前の時間を過ごしていた。幸江は、体育館からの帰り道にあるコンビニで買ったコーヒー牛乳を飲みながら、昼間の練習のことをぼんやりと思い返していた。
「幸江、ちょっと・・・」
 幸江がふり返ると、美園が堅い表情で立っていた。
「なあに。どうしたの。そんな顔をして」
「千里先輩が呼んでいる。先輩の部屋まで来いって。何だろう」
「さあ」
 幸江は曖昧に返事をした。合宿の期間はもちろんのこと普段の練習でも先輩たちには随分としごかれていたし、上下関係もやかましかったので、正直なところ幸江は先輩の部屋になど行きたくなかった。しかしだからといって行かなければ、それこそ後で何をされるかわかったものではない。
 一つ上の階に上級生たちは寝泊まりしている。幸江と美園とは重い足を運んだ。美園がおずおずと扉をノックする。ドアが開いて千里が顔を覗かせた。
「入って」
「失礼します」
 狭い部屋の中に、ベッドが二つ置かれている。その一つに千里と瑞穂とが腰をかけた。幸江たちは二人の先輩の前に並んで立たされた。緊張のために美園が唾を飲み込む音が、幸江の耳にかすかに聞こえた。
「呼ばれた理由はわかっている?」
 引き締まった長い脚を組みながら千里が静かに口を開いた。たったそれだけで幸江は言いようのない威圧感を身に受けた。呼ばれた理由などわからないのだが、はっきりわからないと言うと先輩の機嫌を損ねそうなので、幸江はややうつむいたまま黙っていた。
「今日の練習のことよ。なあに、あれは。ひどかったわよ」
 そのことか、と幸江は少し安心した。何か先輩の気に障るようなことをしてしまったにではないかと、幸江はビクビクしていたからだ。幸江と美園とは、秋の新人戦でペアを組むことになっている。しかし、今日の部内での練習試合では、二人の動きがかみ合わずに不本意な試合をしてしまったのだ。
「ダブルスは、パートナーへの信頼とコンビネーションとが全てよ。秋の新人戦まであんまり時間がないというのに、あんたたちときたら」
「すみません・・・」
うつむいたまま二人は謝った。
「それで瑞穂ともよく話し合ったのよ。あなたたちは、お互いに心を開き合う必要があるわ」
 千里が目で合図する。瑞穂がすっと立ち上がった。
「いい方法があるの」
 瑞穂は、素早く幸江の背後に回り込み、幸江の両手首をつかんだ。
「えっ・・・?」
 瑞穂の手にはいつの間にか手錠が握られていて、幸江の手は背中の方に回されたまま固定されてしまった。
「な・・・そんな」
 突然のことに幸江は身を堅くした。手錠をかけられたのも初めてならば、後ろ手に拘束されたのも初めての経験だった。理由もわからないし、これからどうされてしまうのかもわからない。拘束から逃れようと手を左右に引っ張ったが、カチャカチャと手錠がなるだけだった。
「驚かなくていいのよ。悪いようにはしないから」
 口元に冷ややかな笑いを浮かべ、千里は何でもないことのように言った。
「そうそう。別に痛い目にあわせようって訳じゃあないんだから」
 幸江の背中にまとわりつき、彼女の頬を撫でながら瑞穂が言う。熱い息がかかるくらい、唇がふれるくらいに幸江の耳に口を近づけ、瑞穂はささやいた。
「でも、もし私たちに逆らったりしたら・・・ふふ・・・想像もできないような酷い目にあわせてあげるから」
 瑞穂の声からは残酷さが滲み出ている。幸江は、以前から先輩たちに得体の知れない恐怖を覚えていたが、まさかこんな目にあわされるとは思ってもいなかった。想像もできないような酷い目というのは決して脅しではないだろう。
 さらに瑞穂は、幸江の左足首と美園の右足首とを手錠で結んだ。幸江は両手を後ろ手に拘束され、その上、左脚をも他人の脚にくくりつけられてしまった。もうほとんど身動きがとれない。
「いい。よく聞きなさい。あなたたち二人には、自由を制限された状態でこれからを過ごしてもらうわ。二人っきりでね。先生に頼んで部屋はとってもらってあるから。あなたたち二人だけのために特別に確保してあげたんだから感謝しなさいよ。
 たとえどんなことがあっても部屋から出てはだめよ。部屋の外にさえ出なければ中でナニをしていてもいいわ。練習にも参加しなくていいから。焦らなくていいのよ。あなたたちにとっては今ここで多少の練習をするよりも、互いの心を開く方がはるかに大切なんだから。朝食と夕食とは運んであげるわ。昼食は抜き。練習に行っていて私たちは留守だから。
 期間は未定。お互いに心を開き合うまでよ。心を閉ざしたままなら、いつまでも手錠を外してあげないからね。
 幸江はほとんど自由がきかないんだから、美園は気を使ってあげてね」
 二人の先輩のすぐ隣の部屋が幸江と美園とのために用意されていた。さっそく二人は二人三脚で歩かされたが、たった数メートルを移動する間に何度もつまずいた。
「先が思いやられるわね」
 そう言いつつ千里はドアを閉めた。
 括られた二人は部屋の入り口にとり残されてしまった。一息つくにも、ベッドまでは距離がある。普通に歩けば何でもない距離なのだが。
「どうしてこんな事になってしまったの。いじめよ、これは。こんなのでバドミントンが上手になるわけないじゃない」
 手錠をカチャカチャとならし、拘束された足元を見つめながら幸江は泣きそうな声を出した。先輩がいなくなって、張りつめていた気持ちが緩み、涙が滲んできてしまう。
「ね、ねえ、幸江。二人三脚の練習をした方がいいみたいよ。私だってこんなのは嫌だけど、とにかくこのままじゃあ不便だわ。泣かないで。さあ」
幸江の肩に美園が手を回してくる。
「美園って前向きなのね」
 涙を溜めたままの赤い目で、幸江は友人を見上げた。
「さあ、幸江も私の肩に手をかけて・・・ あっ、手は使えないんだっけ」
 美園のしなやかな腕に抱き寄せられ、二人の体は密着した。美園の体温が幸江の肌に伝わってくる。
「いくよ。まずは内足から出すよ。次は外足・・・」
 呼吸はぴたりと合い、すぐにベッドにたどり着くことができた。どすんと
ベッドに倒れ込み、二人の少女は顔を見合わせた。
「やればできるじゃない。わたしたち。息もぴったりだわ」
「そうね。そうかも」
 どんなことにでも前向きに対処しようとする美園の強さには、正直、かなわないな、と幸江は思った。
「これならそんなに不便じゃないわね。私、練習で筋肉痛なんだ。ちょうどいいわ。ゆっくり骨休めさせてもらおうよ」
筋肉の痛みをほぐうようにひとつ伸びをすると、美園は目を閉じた。昼間の疲れからだろう、幸江の物言いたげな様子に気づくことなく美園は眠ってしまった。

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