悪夢のような1年を桃香は耐え切った。
桃香が働き始めてから1年後の翌年、4月1日。
「矢田です!よろしくお願いします!」
屋敷に、次の"清掃員・補佐"が雇われたのだ。
3月の中頃、桃香は成兼から、"補佐"人としての契約終了、ならびに"指導者"としての1ヶ月間の契約の延長について記された書類にサインを求められた。
"サインをしなかった場合、どうなるのか?"というのが気にならないこともなかったが、もはや桃香に、成兼に逆らうことはおろか質問をする余裕など残っているはずがなかった。
「はい。わかりました」
桃香はあっさりと新しい書類にサインをし、4月からの1ヶ月間を"清掃員・補佐 指導者"という役職で契約を延長した。
胸元が大きく露出したメイド服は回収され、代わりに他のメイドたちと同様の露出の少ないメイド服を与えられた。
そして、以前の自分のように、かなり緊張した面持ちの少女が新しく屋敷にやってきたのである。
その相手の様子には既視感があった。
「あの・・・このメイド服、胸が見えすぎなんですけど・・・」
次の"補佐"として採用された矢田も案の定、桃香同様、それほど高くない身長のわりに、その胸だけは非常に立派に育っていた。
やはり、低身長+巨乳というのが成兼の好みなのだろう。
「あのね、矢田さん・・・」
「これからあなたが勤める補佐という役職は本来、清掃を専門に行う役職ではないんです・・・」
自然と、以前、自分を指導してくれた沼田先輩と同じように、感情のこもっていない機械的な指導・説明になっていることに、桃香自身気づいていた。
だが、"指導者"になる際にサインした新たな契約書により、"特別学習"の内容については守秘義務を課せられていた。
もし、それに反した場合、どのような処罰が与えられるかははっきりとは記載されてはいなかったが、少なくともひどい目にあうであろうということは容易に想像ができた。
なので、桃香はあくまでも"清掃業務"しか教えることができなかった。
新人指導は本当に辛かった。
清掃業務自体は、決して重労働ではない。
「原先輩、私、頑張りますから!」
辛かったのは、これから自身が就くことになる"補佐"という仕事の本当の姿をまったく知らない後輩の、無邪気に頑張る姿だった。
(こんな仕事に就いちゃだめ!)
(屋敷から逃げて!すぐに!)
桃香は必死にその言葉を我慢し続けた。
毎日、一心不乱に清掃業務に励む矢田に、本当のことを伝えられない日々は、くすぐり責めに明け暮れた"補佐"だったころとはまた違った苦しみがあった。
そして、ついにその日がやってきた。
5月1日。
桃香の退職の日である。
荷物の大半はすでに実家に郵送してあり、現在、私服姿の桃香は、財布や携帯電話等の入った小さなかばんに、必要最小限の荷物しか持っていなかった。
これから、執事の一人が来るまで最寄の駅まで送っていってくれるらしい。
成兼とは、朝、別れの挨拶を済ませた。
「今まで、ご苦労だったね。桃香さん」
「これからも、頑張りなさい」
成兼は最後まで、他所向きの偽善者の笑みで、桃香を送り出した。
そして、屋敷の扉を開けたところで・・・。
「原先輩!」
息を切らして、後輩の矢田がやってきた。
"補佐"としての正装である胸元の大きく開いたメイド服が、矢田の色気を際立たせている。
「あの・・・えっと・・・」
「私、その・・・・」
何も送り出す言葉を考えていなかったのか、それとも緊張して、頭が真っ白になったのかはわからないが、矢田が少しの間、言いよどんだ。
だが、数秒の後、矢田は一度、大きくお辞儀をした。
そして、頭をあげ、力強い目で言った。
「今まで、本当にありがとうございました!」
「私、これからも頑張ります!」
その姿が、ちょうど1年前の自分とかぶって見えた。
桃香が、もしかしたら初めてかもしれない笑みを矢田に向けて言った。
「本当に大変なのはこれからよ?」
「どうか、1年間、頑張ってね」
その桃香の言葉に、矢田もにっこりと微笑んだ。
そして、桃香は送迎用の車に乗り込んだ。
ゆっくりと車両が動き出す。
徐々に屋敷から遠ざかっていく。
「・・・・・・」
屋敷の入り口では、これから、悪夢のような日々が待ち構えていることなど知る由もない矢田が、無邪気な笑顔で大きく右手を振っていた。
そして、車両が門から出る直前・・・。
桃香は確かに、矢田が屋敷内に入り、その扉が閉められたのを見たのだった。
結局、桃香は最後まで本当のことを言うことができなかった。
補佐という役職の本当の役割。
それは、主を満足させるためのくすぐり奴隷である、ということを。
(完)
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