学園祭で行こう |
薄暗い部屋には簡素なベッドが一つだけ置かれていた。その上に、蒲団を被った何かがある。それはベッドに支えられているわけではなく、宙に浮かんでいた。 蒲団の中からは幾つものチューブが伸び、ベッドのそばの壁に繋がれている。 その、宙に浮かんだ蒲団を取り囲むように、幾つもの小さな物体が浮かんでいた。 ドアが開いた瞬間、それらの小物が何であるかを見て取った希美は、壁に叩きつけられたドアに手を伸ばした。 廊下側に開いたドアを再び閉めようと力を込める。しかし、上部隅のドアクローザーによる抵抗のせいで、瞬時には閉まらない。 「みんな、伏せて!」 必死にドアを押さえながら希美が叫んだ瞬間、密閉されつつあった隙間から勢い良く何かが飛び出した。 ハサミ、注射器、メス。病室内に置いてあった医療器具が凶器と化し、それまで美鈴や他の数名のいた空間を貫いた。彼女たちが身を伏せるのが一瞬遅れていれば、かすり傷程度では済まなかっただろう。 しかし、一度獲物を逃したくらいで諦める凶器どもではなかった。向かいの壁に当たる前に方向を変え、生徒たちめがけて再び襲って来る。 「ちょっと!」 「一体何なのよ!」 猛スピードで宙を舞う凶器どもから逃げ惑う生徒たち。 一方希美は全身でドアを押さえつつ、再度施錠すべくドアノブに刺さった鍵に手を伸ばす。その手が届く直前、鍵は鍵穴から抜け、逃げるように廊下の向こうへと飛んで行った。 同時に廊下に落ちていた鍵束が宙に浮き上がった。全ての鍵がリングから外れ、最初の鍵の後を追うかのように飛んで行く。 「い、いかん。このままでは……」 大きく見開いた目で鍵を追う希美の頬を、冷汗が伝う。 そのすぐそばで、シスターの衣裳に身を包んだ一人の小柄な生徒が目を見開き震えていた。首にかけた十字架を両手に握りしめた彼女の視線の先には、鋭利なメスが冷たい光を放ち、彼女の眉間に狙いを定めている。 その凶器が攻撃を開始した瞬間、生徒は何者かに襟を掴まれた。引き寄せられた顔のすぐ横を、メスが猛スピードで通りすぎる。 「お願い、ここ、押さえてて」 間一髪で攻撃を避けた小柄な生徒は、恩人の指示に従いドアを押さえる。何者かが中から押し開けようとしているのか、少しでも力を抜けば、あっと言う間に開いてしまいそうだ。 ドアを生徒に任せた希美は凶器から逃げ惑う生徒たちの前に立つと、白衣の襟に手をかけた。 白衣をマントの如く身体から引き剥す。黒いTシャツ姿となった希美は、手に持った白衣を鞭の如く振り下ろした。 次の瞬間、生徒たちを追い回していた凶器の姿はなかった。全ては白衣に包み込まれ、希美の手によって床に押さえ込まれていた。 「た……助かった」 生徒たちがホッと胸を撫で下ろした瞬間。 ドッカーン! 耳をつんざくほどの大きな音が聞こえた。それと同時に。 「きゃぁっ!」 ドアを押さえていた小柄な生徒が悲鳴を上げた。 皆が振り向いた瞬間、再び爆音。生徒によって押さえられているドアが大きく揺れる。病室の中で何かがドアにぶつかったのだ。 魔術研究会の生徒数名が、ドアを押さえている生徒に加勢する。 「一体中で何が……」 特殊強化ガラスの小さな窓から中を覗こうと、美鈴がドアに近づこうとした瞬間、遠くの方から不気味な音が聞こえて来た。 「こ、今度は一体何?」 美鈴は慌てて廊下の向こうへ目を懲らす。まだ蛍光灯の点いていない闇の中で、人影が動いているのが見えた。 「向こう側からも何か来るわ!」 琴音の声が美鈴が振り返ると、廊下の反対側からも不気味な影の蠢きが近づいて来るのが見て取れた。 「みんな、そのまま動かないで!」 希美は凶器を包み込んだ白衣を片膝で押さえつつ、その白衣のポケットから何かを取り出した。ポケットティッシュとライターだった。 ポケットティッシュに火を点け、投げ上げる。天井に取り付けられた、小さな円い物体に火の玉が命中した瞬間、けたましい警報が鳴り響いた。 同時に、彼女たちのいる辺りの前と後ろの天井から分厚いガラスの壁が降り、廊下を遮断した。 「これで少しは時間が稼げるわ」 希美は膝の下で未だ蠢いている白衣を足に踏み替えて立ち上がると、天井から落下した火の玉をもう片方の足でもみ消した。 彼女たちに近づく影が、蛍光灯の光に照らされた。 「きゃぁっ!」 「な、何なの、あれは!」 口々に叫ぶ生徒たち。 薄汚れたボロボロの服を着た何人もの人間が、目を血走らせ、ヨロヨロと歩いて来る。大部分は男性のようではあるが、その歪んだ形相から性別を判断するのは困難だった。ほとんどは手ぶらだが、中には鉄パイプのような物を手にしている者もいる。 彼等は、美鈴たちの目の前で、透明な壁に阻まれ前進できなくなった。壁に貼りつき、手や凶器で透明な壁を叩く姿は、この上なく不気味だった。 狭い空間に、病室のドアの爆音と、透明な壁を叩く音が絶え間なく響く。そこに閉じ込められた生徒たちは皆、恐怖に身をこわばらせ、目を見開いていた。 「あの人たちって、もしかして……」 美鈴の隣で透明な壁の向こうのおぞましい光景を見据えていた恵美先生の言葉に、希美は視線を動かさずに答える。 「もちろん、ここに収容されている患者よ。連続通り魔殺人事件や無差別爆破事件の犯人で、精神鑑定の結果、責任能力がないと判定された者たち。海外旅行中に軍の実験台にされて精神に異常をきたした者も混ざっているわ。さっき飛んで行った鍵で、彼らの病室のドアが解錠されたのね。それも特に危険な患者ばかり」 「そんな……」 「大丈夫。警備会社には連絡が行っているはずだから、ガラスが破られるまでには特殊部隊が到着するわ」 「でも、このドアはもう長くは持たないわ!」 ドアを押さえていた生徒たちの一人が叫んだ。 魔術研究会会員数名によって押さえられているドアは、内側からの幾度もの衝撃で、わずかに変形し始めている。 それを見守っていた成瀬真弓が静かに呟いた。 「仕方がないわ。ここで第二の儀式を始めましょう。美鈴さん」 「ええ」 美鈴は頷くと、抱えていたノートを広げた。ページを繰り、目的の箇所を探す。 「第二の儀式って……まさか」 恵美先生の言葉に真弓が静かに答える。 「そう。これから、悪魔に対抗する力を持った者を召還するわ」 当初、相沢千春の病室に入ったら、第一の儀式で除霊を行なう予定だった。 神に仕える女僧の姿をした数名の魔法使いが十字架を掲げながら取り囲む事により、悪魔に憑かれた者は身動きができなくなる。その状態で、数人がかりでその者の全身をくすぐれば、悪魔はたちまち逃げて行く。 古文書にはそう書かれていた。 しかし、その方法がどうしても実行不可能な場合に行なう事として、第一の儀式とは全く異なる儀式についても書かれていた。それをこれから実行しようと言うのだ。 真弓はスカートのポケットからチョークを取り出すと、床に大きな円を描いた。 「そんな。無茶をしちゃいけないって、何度言ったら分かるの!」 恵美先生の叫び声を間近で聞きながら、真弓は作業を続けた。円の内側に、さらに幾つかの円が描かれ、それらが様々な幾何学模様で埋めつくされて行く。 黙々と作業をつづけながら、静かに答えた。 「確かに無茶かもしれない。でも、その無茶をしなければ、私たち、死ぬかもしれないわ」 恵美は断続的に揺れるドアと、悲鳴を上げながらそれを押さえる生徒たちに目を向けた。 あのドアの向こうには、今見えている透明な壁の向こうの不気味な人びとの蠢きなど問題ではないほどの、恐ろしい地獄が存在するに違いない。誰かが助けてくれるのを大人しく待っていたら、真弓の言うとおり、本当に死んでしまうかもしれない。 「分かったわ」 恵美が小さく頷いた時、真弓がちょうど作業を終えた所だった。床の上には複雑な魔方陣が描かれていた。 「さあ、柳沢さん、この上に立って腕を広げて。それから、手の空いている人は手伝ってちょうだい」 美鈴は目的のページを開いたノートを真弓に渡すと、言われたとおり魔方陣の中央に立ち、両腕を真横に広げた。それらの腕を、二人の女僧姿の生徒がそれぞれ両手で抱える。 「でも、本当にできるのかしら。ここには、学校にあったような装置なんてないわけだし……」 「大丈夫よ。あなたが笑い巫女の力に目覚めてから、まだそれほど時間が経ってないから。それに古文書にも、この儀式が特別な場所で行なわれたとは書かれていないわ」 真弓の言葉に、美鈴は小さく頷き、静かに目を閉じた。 余計な事は考えない方がいい。今は真弓の言葉を信じるしかないのだから。 そう自分に言い聞かせながら、やがて全身に押し寄せるであろう耐え難く甘味な刺激を待つ。 美鈴の前後に一人ずつ、女僧姿の生徒が立った。 「それじゃ、始めるわよ」 真弓の合図で、二人の生徒が手を伸ばした。後ろの生徒が美鈴の無防備な腋の下を、激しくくじり立て始める。同時に前の生徒の手の指が美鈴の脇腹を這い回り始める。 ブラウスの薄い布地は、指の蠢きの妖しさを敏感な柔肌にくっきりと伝え、耐え難い刺激のうねりを美鈴の身体に送り込む。 「うっ、くふっ、きゃはははっ!」 美鈴の口から笑い声が洩れると、それを喜ぶかのように指の蠢きが激しくなり、さらなる弱点を探すかのように広範囲を動き回る。 そして、美鈴の身体がピクリと震えると、弱点を見付けたとばかりにその部分を徹底的に責めるのだ。 「どう? 私たち、結構上手でしょ? あなたのために特訓したのよ」 後ろの生徒が美鈴の耳もとで囁く。 前の生徒が脇腹で見付けた弱点の一つに指を食いこませ、肋骨の間で蠢かせる。 「きゃはははぁ、くすぐったいわぁ、きゃははははぁ!」 脇腹に生まれた稲妻の凄まじさに、美鈴は思わず甲高い笑い声を上げる。 美鈴の身悶えを自分でも気付かない間に食い入るように見詰めていた琴音は、その笑い声を聞いてたまらなくなり、思わず美鈴に駆け寄った。 「あ、あたしも手伝うわ」 「ありがとう。それじゃ、足をお願い」 後ろの女僧にそう言われ、琴音は美鈴の脇に腰を降ろした。白くふくよかな太腿に手を伸ばし、爪の先で軽く刷くように撫で上げ撫で下ろす。 その刺激に反応した太腿が、フルフルと震える。 「ああん、そこもくすぐったいわぁ、きゃはははぁ……」 両腕を二人がかりで拘束され、無防備になった脇腹や腋の下、そして太腿や脹脛までをも激しくくすぐられて笑い悶える美鈴。 その姿を食い入るように見詰める者がもう一人いた。 「ろしければ、先生も伝って頂けないかしら。見ているだけでは面白くないでしょ?」 真弓に声をかけられ我に帰った恵美は、今にも破られそうな病室のドアに慌てて視線を戻した。 「わ、私は別に……」 「あら、知っるんですよ。先生はいろいろと理由をつけて、生徒をくすぐるんですってね。先生も、ご自分の手で柳沢さんをもっともっと笑わせてあげたい。そうですよね」 「だれがそんな事……悪い事をした生徒にはそれなりの罰を与えるのは、教師として……」 「それなら、教師として生徒たちを守って頂けないかしら。今あなたに出来る事は、あのドアを押さえるか、儀式を手伝うかのどちらかなのですから」 「分かったわ」 数名の生徒が必死に押さえるドアの方へ向かう恵美。 その途中で気がついた。女僧の姿をした生徒たちは、ただ力任せにドアを押さえているわけではない。目を閉じ、小さな声で何かを呟いている。日本語ではない、聞いた事のない言葉だった。 そういえば、ドアを揺るがす衝撃もさきほどまでより弱まっているように感じられる。 その時、恵美は何か目に見えない壁にぶつかり、前進を阻まれた。しかしいくら目をこらして床から天井までを見回しても、そこに透明な壁などあるはずがなかった。 「どうやら彼女達の呪文が柳沢さんの力に同調して効果を発揮し始めたようね。そのドアの周りに結界ができたおかげで、ちょっとだけ時間が稼げるわ」 「ここは私たちで大丈夫ですから、先生は柳沢さんを」 真弓とドアを押さえていた生徒たちの一人の言葉に、恵美は同意するしかなかった。 美鈴の方へ歩み寄り、琴音の反対側に腰を下ろす。躊躇いがちであった恵美でったが、琴音の指の動きに小刻みに震えるふくよかな太腿を目にした時、思わず手を伸ばしていた。 「この子はね、ここもとっても弱いのよね」 片足を片手で抱えて強制的に少しだけ開かせると、太腿の内側に這わせた指を妖しく蠢かせる。 「きゃははは、先生、そこは、きゃははははぁ!」 四人がかりで全身をくすぐられながら、美鈴は激しく笑い悶える。 その様子を満足そうに眺めながら、真弓が呟いた。 「それじゃ、私も始めるわよ」 目の前に開いたノートに視線を落とし、そこに書かれた言葉を読み上げる。 古代の日本語といくつかの外国の言葉を混ぜたような、複雑な呪文だった。 あのような呪文が本当に役に立つのだろうか。 恵美がそう思った時、周りが急に明るくなった。蛍光灯だけではない。何か別な光が辺りを包んでいる。 その光は、床に描かれた魔方陣から発せられていた。その青白い光は、次第に明るさを増して行く。 笑い悶える美鈴の身体が光に包まれ、まるでそれ自体が光を放っているかのように眩く輝く。 「きゃあxっ!」 何かが爆発したかのようなその光に、美鈴を拘束しくすぐっていた生徒たちと恵美は思わず飛び退いた。眩しさに目を閉じる。 その光が消えた時、恵美はゆっくりと目を開いた。 それまで美鈴だった者は、確かに美鈴だった。だが、さきほどまでの美鈴よりもどこか大人びた雰囲気を全身にまとっている。 「そこの者たち、道を開けなさい」 取り澄ました顔のまま視線の先に手を伸ばし、有無を言わさぬ口調で、ドアを押さえていた生徒たちに命じる。 もはやそこには、さきほどまでの美鈴はいなかった。その代わり、儀式によって召還された何者かが美鈴の身体を動かしているのだ。 その迫力に気圧されるように、扉から離れる女僧姿の生徒たち。 あれほど激しかった内側からの衝撃が、いつの間にかピタリと治まっていた。 美鈴の目が、廊下を隔てる透明な壁を手や凶器で叩き続ける不気味な人びとに向けられた。 「あなた方も、自分の病室へ戻りなさい」 美鈴の目が一瞬青白く光った。 人びとは、壁を叩くのをやめ、一斉に回れ右をし、元来た方へと歩いて行く。 それを見届けると、美鈴はドアに向かって腕を伸ばした。人さし指を小さく揺らすと、ドアはひとりでに開いた。 部屋を満たす闇の中に入って行く美鈴。身体が再び光り始め、部屋の内部を照らした。 ヒビ割れた壁、床に散乱するハサミやメス、注射器。それに何本もの管や、何に使うのか分からない様々な器具。 中でも、金属パイプを組み合わせて作ったような大きな物体が、ひときわ目を引く。あまりにも変形が激しく、生徒たちのほとんどは、それがベッドである事を理解するのに数秒を要した。 その雑然とした部屋の中央で、真っ白な作業服のような物を着た一人の少女が、宙に浮いていた。肌は雪のように白く、高級な人形を思わせるほどに調った美貌には、静かな寝顔が浮かんでいる。 突然、彼女の静かに閉じられていた目が大きく見開かれた。それと同時に、それまでの美貌からは想像できないほどに恐ろしい鬼の顔が姿を表した。開いた目は吊り上がり、眉間や額に太い襞が寄っている。 「やだ」 「何あれ」 その恐ろしい形相に、部屋の外で見ていた者全員が凍りついた。 部屋の中に散乱していた雑多な物体が床を離れ、ゆっくりと再び浮上する。 やがて、それらの物体が一斉に美鈴に襲いかかった。ハサミ、メス、注射器、その他様々な器機類、そして、横倒しになっていたベッドまでもが美鈴めがけて飛んで行く。 「きゃぁぁぁっ!」 甲高い悲鳴を上げたのは、部屋の外の生徒たちだった。 その時、部屋の中が凍りついた。 美鈴をめがけて飛んでいた凶器が、突然その動きを止めた。まるでビデオテープを一時停止させたように、時間が止まったかのようだ。 次の瞬間、宙に浮いていた物体は一斉に落下した。 「お、おまえは誰じゃ!」 しわがれた声が、鬼の口から発せられた。 その声に、美鈴が答える。 「私はサラ。あなたを迎えに来たのよ」 「迎えに来たじゃと?」 「そう。あなた、魔女裁判で有罪になり、火あぶりになったんでしょ? だから、来世でもずっと、火の中で悶え続けていた。だから逃げて来たんでしょ?」 「そのとおりよ。あんな所へ戻るのは二度とごめんだわ!」 「そうでしょうね。だから、あなたのいたあの場所ではなく、私のいたもっと素敵な所へ連れて行ってあげる」 美鈴の身体が再び輝きを増し、全身が青白い光と化した。 その頭部から無数の光の髪が伸び、まるで風に吹かれるかのように、宙に浮かんでいる鬼の方へと流れて行く。 それらはあっと言う間に鬼の手首と足首に絡み付き、手足を大の字に開かせる。 さらに別な髪の束が、袖口や衿元から服の中に入り込む。そして、頚筋や足の裏など、露出している部分を撫で回し始めた。 「ぎゃはははぁ、何だこれは、きゃはははははは、やめろぉっ!」 全身を髪の毛に這い回られ、鬼はたちまち笑い声を上げた。 「あら、これはこれは、くすぐりがいがあるわね。あなた、火あぶりになる前は、もっと可愛かったんでしょ? 人間を怨むのはもうやめて、私と一緒にもっと笑いましょう」 美鈴の背中から、新たな光の帯が何本も伸び始めた。さきほどの髪の毛と同じように、笑い悶える鬼の方へと流れて行く。 それらの帯の先が変形し、人の手の形になる。それらのいくつもの手が、鬼の脇腹や腋の下、太腿に到着すると、服の上から激しくくすぐり始めた。 「ぎゃははははぁ、やめろ、やめろぉ、きゃははははは!」 激しくも妖しい指の蠢きに、鬼は更に激しく笑い悶える。 「本当にやめて欲しいの? そんなはずないわよね。だって、こんなに喜んでるんですもの。さあ、あなたの可愛い笑顔を見せてちょうだい」 「きゃははは、そんな事ない、そんな事は……きゃはははははぁ、ど、どうして、どうしてこんな事を……お前は一体……」 「私? 私はね、故郷の村で不作が続いた時、神様への生贄にされたの。 その村での生贄の儀式っていうのはちょっと変わっててね、生贄になる少女を数人がかりで一晩中死ぬまでくすぐり続けるの。 天に届くほどの笑い声を生贄の魂と共に捧げる事により、いつか村人たちがみんなで笑えるようになりますようにっていう事らしいけど、とにかくそういう死に方をしたものだから、来世でも徹底的にくすぐられ続けていたわ。 でもほら、くすうられて死ぬ人って小数派だから、人数少ないのよね、くすぐり地獄に来る人って。だから、地獄の管理人がもっと人を増やそうとしていて、時々こうして現世に使いを出すの。一旦別な地獄に落ちて、現世に逃げ戻って来た者たちを、くすぐり地獄に引き込むためにね」 服の中の髪の毛と外側で蠢く無数の指の動きが、次第に激しくなって行く。 「そんなのいやじゃぁ、きゃはははははぁ」 もはや、笑い悶える顔は、鬼のそれではなかった。鬼の形相は笑顔にかき消され、笑い悶える少女の顔がそこにある。 嗄れていた笑い声も、次第に甲高いものに変わって行く。 「いや? でもだめよ。私は絶対にあなたを連れて行くわ。だってあなたの笑顔、こんなに可愛いんですもの。大丈夫。くすぐり地獄へ来れば、この世への怨みなんか、すぐに忘れてしまうわ」 「きゃははははぁ、いやぁっ、やめてぇ、きゃはははははぁ!」 建物中に響き渡るほどの甲高い悲鳴と笑い声が上がった時、美鈴と少女の身体が眩く輝き、その光が病室内の全てを飲み込んだ。 その光が徐々に弱まり、やがて真っ暗になった時、病室内からは物音一つしなくなっていた。 「一体どうなったのかしら」 最初に口を開いたのは、真弓だった。 希美が、足で踏みつけていた白衣を慎重に広げ、包まれていた凶器をしっかりと握る。その白衣を身に着け、ドアの方へ向き直る。 「私が様子を見て来るわ」 歩き出そうとした時、モーター音が耳に届いた。 廊下を隔てていた透明な壁が上がって行く。そしてその向こうには、武装した特殊部隊隊員数名と共に一人の客人が立っていた。 「一体何があったのですか。妹に……千春に何があったのですか!」 叫んだのは、グレーのスーツに身を包んだ相沢柚葉だった。 廊下に立つ者たちの中に椎名恵美の姿を見てとると、怒りを露わに歩み寄り、胸ぐらをつかんだ。 「あなたの仕業なの? 私があれほど……」 「お姉ちゃん、やめて!」 開け放たれたドアの方から聞こえた声に、柚葉が振り向いた。 闇の中から二人の少女が姿を現した。千春と美鈴だった。 「千春、千春なの?」 「お姉ちゃん!」 駆け寄る千春を、姉はしっかりと抱き止めた。 ドアに立つ美鈴に琴音が駆け寄る。 「美鈴ちゃんも戻ったのね」 「うん」 二人は正気に戻った千春にもう一度顔を向けた。 「良かったね」 「うん」 涙を流して抱き合う姉妹を見詰めながら、美鈴はもう一度、大きく頷いた。 |
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