ミニメロン作品

学園祭で行こう

7
 案内役のメイドは、島田響子と名乗った。
 四人の客人は彼女の後に続いて階段を昇り、廊下をしばらく歩いた。響子が立ち止まったのは、廊下の突き当たりのドアの前だった。
 響子がポケットから鍵を取り出し、ドアを空けた。
 部屋の中を一瞥すると、美鈴は琴音に囁いた。
「この部屋よ」
 琴音が目を見開いた時、メイドが客人に深々と頭を下げながら、片手を部屋の中へ向けた。
「さあ、どうぞこちらへ」
 響子に促され、四人の客人は部屋に入った。
 部屋の中央のテーブルの周りに並べられた椅子に座るよう響子が促す。それに従う四人。
 響子が入口に立ったまま口を開いた。
「先日もお話ししましたとおり、真希子お嬢様は両親から登校を禁止されてます。あなた方の学園祭の企画が中止になった上でその証拠を持って来て頂けない事には……」
「あの、すいません。今日はあたしたち、ちょっと見せて頂きたい物があるんです」
 響子の話の途中で、琴音が手を上げ、割って入った。
「見せてもらいたい物?」
 響子が怪訝そうに首をかしげる。
「ちょっと、岡本さん、相手の話を遮るなんて、失礼ですよ」
 恵美先生の注意を無視し、琴音は部屋の隅に置かれた机を指さした。
「あの下の金庫に入ってる古文書を見せて頂きたいのです」
 部屋にいた、琴音を除く全員が驚きの表情を見せた。中でも激しく表情を変えたのは、響子だった。目を見開き、呆然とした表情で立ち尽くしている。
「こ、古文書とは、な、何の事でございましょうか」
「とぼけても無駄ですよ。金庫の中に巻物が隠してある事は知ってるんです。ね、美鈴ちゃん」
「え、ええ」
 琴音に同意を求められた美鈴が頷いた。
「そんなはずはありません。あの巻物の存在は私たちだけしか知らないはず……」
 言ってしまってから、響子は慌てて手で口を塞いだ。その様子に恵美先生の目が輝いた。
「ははん、古文書って、巻物なのね」
 先生の言葉と集中する皆の視線に開き直ったのか、響子が厳しい表情を見せた。
「そうよ、巻物よ。それがどうかしたの?」
 今までの余所行きとは明らかに異なる口調に、美鈴と琴音が一瞬身を震わせる。しかし、恵美先生と志津奈は至って冷静だった。
「吉本さん」
 先生に名前を呼ばれた志津奈は、それだけで全てを理解したかのように、机の方へ素早く歩み寄る。
 志津奈の行動を阻止しようとする響子の前に、志津奈先生が立ち塞がる。
 机に到着した志津奈が下部の観音開きの蓋を開くと、数字の書かれたボタンの並んだ黒い頑丈な蓋が出現した。
「あらあら、本当に金庫が出て来たわね。さあ、暗証番号を教えて頂きましょうか」
 響子の慌てぶりとは対照的に、恵美先生は落ち着いた微笑みを浮かべていた。
「仕方がありませんね。でも、あれは私たちが先祖代々から受け継いで来た大切な巻物。そう簡単にお渡しするわけにはいかないのです」
 響子の言葉の途中で、彼女よりも小柄なメイドが二人、部屋に入って来た。閉じたドアに、一人が施錠する。彼女たちの手にはそれぞれロープが握られていた。
 一体何が始まるのかと、四人の客人が一瞬身をこわばらせる。
「どうしてもというのなら、強引に聞き出して頂かなければなりませんわ。あなた方のお得意の方法で」
 そう言いながら、窓際のベッドへと進み横たわる響子。その両手両足を、今入って来た小柄なメイド二人が大きく広げさせ、手首足首をそれぞれベッドの足にロープで結び付けた。
「さあ、遠慮する事はありませんのよ」
 ベッドの上でX字に拘束された響子の、まるで何かを期待しているかのような微笑みに誘われるように、恵美先生と志津奈、それに美鈴と琴音がベッドを取り囲んだ。
「それでは、遠慮なく」
 最初に先生が手を伸ばし、響子の服の上から脇腹に食い込ませた指を激しく蠢かせる。
「んっ、くふっ」
 響子は拘束された身体を僅かに震わせ、一瞬目を閉じる。しかし、その目をすぐに開き、徴発するような笑みを見せる。
「こ、この程度では口を割ったりはしないわ。もっともっと激しくくすぐって頂かなくては」
「私たちもお手伝いしますわ」
 小柄な二人のメイドが、響子の白くて薄い靴下に包まれた左右の足の裏にそれぞれ両手の指を這わせ、激しく蠢かせる。足の指の間にも指を差し入れ、くじり立てる。響子の足は、もがくように指を俯かせたり反らせたりを繰り返す。
 響子は再び目を閉じ、うっとりとした表情を見せる。
「いいわ。すごくいい。もっと……」
 身を震わせながら呟く響子。
 その様子を呆然と眺める三人の生徒。
 響子の足の裏を責め続けるメイドの一人が生徒たちに顔を向けた。
「さあ、あなた方もご一緒に」
 メイドに促された三人は、恐る恐るベッドに近づき、響子の震える身体に手を伸ばした。
 美鈴が腰に食いこませた指を揉むように蠢かせ、志津奈がスカートの中に潜り込ませた手を太股に這わせる。琴音の指が無防備な腋の下をくじり立てる。
「むっ、くっ、はははははぁ、きゃはははは」
 身体のあちこちから送り込まれる六十本の指の刺激に、志津奈はついに甲高い笑い声を上げた。
「すごい。響子のこんな笑い声を聞くの、久しぶりだわ。やっぱりこういう事は、人数が多い方がいいのね」
 小柄なメイドの一人が歓喜の声を上げる。
「そうね。こんな機会はめったにないのだから、もっともっと響子を喜ばせてあげなくてはね」
 もう一人のメイドが、足に這わせる指の動きをさらに加速させながら言い、客人たちに声をかけた。
「さあ、皆さん、もっともっと激しく責めてあげて下さいな。そうでないと、あなた方の望みの物は、手に入らないわよ」
 メイドに言われるまでもなく、恵美先生と四人の生徒たちは、更なる弱点を探るべく、手の位置を少しずつ移動させながら、指をさらに激しく蠢かせる。それに応えるように、響子の笑い声と身悶えが激しくなる。
「しかし、なぜあなた方まで……」
 先生の質問に、メイドの一人が答えた。
「それが彼女の望みだからです。実は私たち三人は姉妹なのです。実家にいた頃は、よく三人でこうして遊んだものです。でも最近は響子、すっかり慣れてしまって、並の刺激では満足しなくなってしまったんです」
 もう一人のメイドが先を続ける。
「しかも、こちらに住み込みで働くようになってからは、このような機会もめっきり減ってしまいました。なぜなら、この屋敷の旦那様と奥様は、人の笑顔と笑い声が大嫌いなお方なのです。笑いは人を堕落させる。それが二人の口ぐせです」
「あなた方がここへいらした今日はたまたま、奥様も旦那様もお出かけです。おまけに、この部屋は彼女の寝室であると同時に、粗相をしたメイドへの懲罰室でもあります。ですから、防音は完璧。笑い声が洩れて他のメイドにばれる心配もありません」
「ですから、今日は思う存分、響子を喜ばせてあげなくては」
 二人のメイドの声に混じって、響子の甲高い笑い声が部屋に響いていた。

 その頃、とある病院の一画に、相沢柚葉の姿があった。病院と言っても、病室の扉は全て外側から鍵がかけられ、廊下の至る所から様々なうめき声や悲鳴、そして野獣の暴れるような、物を激しく叩くような音が響いて来る。
 施錠された扉に小さく空けられた窓には特殊強化ガラスがはめ込まれ、時折見回りに来る看護士が、野獣と化した患者を安全に確認できるようになっている。
 そう。ここはこの精神病院の中でも特に危険な患者ばかりを集めた特殊病棟。ここでは人間も人間としてではなく、危険な猛獣として扱われる。
 その不気味な廊下を歩く時間は、実際よりもはるかに長く感じられる。
 ようやく目的の病室に辿り着き、扉の覗き窓から中を確認する。
 真っ白な作業服のような物を着た人物が、簡素なベッドの上に横たわっていた。高校生くらいの美しい少女だった。
 柚葉は知っていた。彼女が眠り姫のように微動だにせず眠り続けなければならない理由を。もしも今彼女が目を覚ましてしたら、その雪のような美貌に悪意に満ちた恐ろしい表情が浮かぶ事を。そして、他の患者や病棟で働く看護士、そして見舞いに来た自分にすら危険が及ぶという事を。
 だから、彼女は眠らされているのだ。この病室から遠く離れた投薬室から彼女の腕に刺された針へ栄養剤に混ぜて送り込まれる強力な睡眠薬によって。
「ち……」
 ――千春。
 思わず名前を呟きそうになって、慌ててその声を飲み込んだ。たとえどんなに小さな声であっても、たとえ扉の外からでも、ここで彼女の名前を呼ぶ事は看護士から固く禁じられていた。
 ――彼女がすぐ近くにいるのに、話す事はおろか、名前を呼ぶ事もできないなんて……。
 柚葉の頬を涙が伝い落ちる。
 今までもここに足を運んだ事は何度もあった。そしてその度に、同じ切なさを味わって来た。しかし、ここへ来る事をやめる事はできない。
 たとえ辛い思いをしても、千春が生きている事を自分の目で確かめたかった。そして、千春をこのような状態にした学校の不祥事を許さないという決意を。
 舞姫女子学園高校の文化系課外活動は、ハイレベルであると同時に、あまりにもバラエティに富みすぎている。その中には、実際には危険でありながらその危険性が世間に全く認識されていない物も数多い。不幸にも千春はその犠牲者となってしまった。
 しかし、学校側は事件の真相を公にせず、あくまでも隠し通そうとしている。いや、そもそも公にした所で、事が事だけに、信じる者は皆無であろう。
 このような悲劇を二度と起こさない為に、柚葉ができる事といえば、あの学校の新たな動きに厳しく対応する事のみなのだ。
 だから、不健全なイベントを文化祭で行なわせるわけにはいかない。なぜなら、不健全な物にはたいてい目に見えない予測困難な危険性が潜んでいるのだから。

 二人のメイドと四人の客人が、一人のメイドを笑い悶えさせ始めてから、二時間が経過していた。
「響子、そろそろ奥様が帰宅なさる時間です」
 メイドの一人が響子の笑い声に負けない声を上げた。
「きゃはは、わ、分かった。分かったわ。彼女たちの望むままに」
「かしこまりました」
 二人のメイドが声を揃え、響子の身体から手を離したのを合図に、客人たちもくすぐりの手を止め、立ち上がった。
 息を弾ませぐったりと動かなくなった響子の手足の拘束を一人のメイドが解いている間に、もう一人が机の金庫に歩み寄る。
 金庫の前に腰を降ろしたメイドが番号を入力し始めた。番号はあまりにも長く、入力が終わるまでに数分を要した。
 ようやく扉が開き、金庫の中から細長い木箱が取り出された。メイドがその蓋を空け、中の巻物を見せる。
「これは私たちにとって大切な物なのです。ですから……」
「分かっています。用が済みましたら、速やかに返却致します」
 恵美先生は、巻物を箱ごと受け取った。
「今日は久しぶりに楽しかったわ。ところで、よろしければ、その巻物が必要な理由をお聞かせ頂けないかしら」
 拘束を解かれ、ベッドの脇に座った響子が乱れた服装を整えながら質問した。
「分かりました」
 恵美先生は、学校でのこれまでの経緯を説明し始めた。学園祭の事、イベントの事、教育委員会の事、そして、笑い巫女の事。
「イベントを成功させる為、くすぐりの健全性を証明する為に、笑い巫女に関する古文書が必要なのです」
「その巻物が、その古文書だという事は、どのようにして分かったのかしら」
「それは……」
 恵美先生が言い淀んだ時、美鈴が代わりに答えた。
「あの、私、ある文化部の生徒たちに言われて、笑い巫女の儀式をしたんです。方法は彼女たちが考えた自己流でしたが、その時視えたんです。このお屋敷と、この部屋、そして、その巻物が」
 三人のメイドが目を見開き、顔を見合わせた。再び美鈴の方へ向き直ると、響子が言った。
「そう。それならその巻物、少しは役に立つかも知れないわね。教育委員会が学園祭でのそのイベントの開催を認めれば、あるいは真希子お嬢様も登校を許されるかも知れないわ」

 三人の生徒たちが再び恵美先生の車に乗った時には、すでに日が暮れ、辺りは夜闇に包まれていた。
「それにしても、美鈴ちゃん、すごいわ。あの儀式で本当に古文書が見付かるなんて……」
 琴音の上げる感嘆の声を、恵美先生の低い声が遮った。
「私も保健の先生から聞いたけれど、あまり無茶はしない方がいいわよ。一歩間違えたら、活動停止処分対象の部活がまた一つ増える所だったのだから」
 その先を、志津奈が、やはり低い声で続ける。
「一つどころか、あの装置の製作に関わった部が全て、何らかの処分の対象になっていたかも知れないわ」
「ご……ごめんなさい」
 美鈴は小さな声で謝った後、さきほどの会話で浮かんだ疑問を口にした。
「ところで、『また一つ』っていう事は、以前にもそういう処分をされた部活があったっていう事ですか?」
「ええ、一年生のあなた方は知らないかもしれないけれど……」
 志津奈の話によれば、昨日儀式を行なった共同研究室は、昨年までは降霊術研究会の部室だったと言う。
 しかし去年の夏、研究対象としていたある古い占術の再現中、参加していた会員の一人が突然気を失い、そのまま意識不明の状態が数日間続いた。そして、病院で意識を取り戻した時、彼女は彼女でなくなっていた。
「それってどういう事ですか?」
 美鈴の質問に、志津奈が答える。
「私にも分からないわ。あの事件以来、学校の関係者で彼女と会ったことのある人間はほんの数人だけ。噂では、目を血走らせて野獣のようなうめき声を上げ続けていたとか、彼女に近づこうとすると、近くに置いてある物が凶器となって飛んで来るとか」
 まるでホラー映画のような話だ。
「それって、本当なのですか?」
「まさか。でも、以前のような、優しくて明るかった彼女の面影は全くなくなってしまった。それだけは確かだと思うわ」
 いや、それだけではない。恐らく噂は真実なのだ。視えるはずのない巻物を視るという信じ難い体験をした美鈴には分かる。
 一歩間違えれば、自分もそうなっていたかも知れない。
 メイドから受け取った木箱を抱き抱えながら、美鈴は人知れず身を震わせていた。

 次の日の昼休み、職員室で聞いた答えに、美鈴は耳を疑った。
「それはつまり、その巻物は笑い巫女に関する古文書ではなかった、という事でしょうか」
「そういう事になるわね」
 美鈴の念押しにそう答えたのは、古典担当の山室環先生。長い黒髪を三つ編みにして螺旋状に結い上げた彼女の若く美しい顔が、今は暗く沈んでいる。彼女もまた、他の先生方や生徒たちと同様に、美鈴の持ち帰った古文書に大いなる期待を寄せていたのだ。
「でも、全く関係ないわけではないわ」
 環先生は手に持っていたプリントを美鈴に渡した。巻物に書かれた内容の口語訳だった。
 貪るように目を走らせる美鈴。
「先生、これは……」
「そう。善良な人間に取り憑いた悪霊を退散させるための方法よ。その人をくすぐる事によってね」
 先生の言葉どおり、手渡されたプリントには、占術は呪術の失敗で悪霊や悪魔に取り憑かれた人間を元に戻す方法が書かれていた。
「でも、これは笑い巫女の仕事の一つだった可能性もあるのではないでしょうか」
「違うわ。ここを見て。除霊に使う小道具の一つとして、十字架を使うと書かれているでしょ?」
 先生が、美鈴のプリントの一箇所を指さした。
「はい」
「という事は、この除霊の方法は元々日本の物ではなく、キリスト教の信仰の盛んな国から伝えられた物と考えられるわ」
「なるほど」
 美鈴は母親から聞いた話を思い出していた。戦国時代、日本のとある村で信頼されていた、巫女の行なう占術。キリスト教が禁止になった江戸時代でも、一部の地域で伝統行事として行なわれていた儀式。その話からは、笑い巫女の占術がキリスト教に関係があるとは考えにくいように思われた。
「分かりました。お忙しい所をありがとうございました」
 美鈴はプリントを折り畳んで胸のポケットにしまうと、深々と頭を下げた。
「いいのよ。でも困ったわね。これでは教育委員会を説得する事はできないわ」
 先生のその言葉に、美鈴は首をかしげた。
「でも、この除霊術も実際に行なわれていたのであれば、人間を浄化するという健全な目的の為にくすぐりが使われていた証拠として、教育委員会を説得できるのではないでしょうか」
「とんでもない。他の調査員ならともかく、彼女なら除霊術と聞いただけで怒り狂ってしまうわ」
「そんな……」
「あなたは一年生だから知らないかも知れないけれど、去年、放課後の部活動で試していた降霊術が原因で精神を病んでしまった生徒がいるの」
 美鈴は昨日三宅家へ行った帰りの車の中での会話を思い出した。
「それなら知ってます。昨日、椎名先生から聞きました」
「その生徒、相沢千春さんと言うの」
「相沢って、もしかして……」
「そう。あの調査員の妹さんよ」
 相沢柚葉は、妹の治療のため、日本全国の病院を回ったが、いずれの医師も彼女の周りで起こる怪奇現象に目を回し、治療を拒否した。
 どこから情報を得たのか、霊能者と称する輩も何人か訪ねて来た。しかし、実際には彼等には除霊師としての能力などなかった。
 彼等の中には、役に立たないどころか逆に症状を悪化させる者までいた。
 そして除霊が失敗すると、もっと上級の霊能者を紹介すると言って、法外な紹介料を請求したのだ。柚葉は、支払いを拒否する事はなかった。それが妹の為になると信じていた。
 それが間違いであるとようやく気付いてから、柚葉はどんな霊能力者や除霊師の言葉も信用しなくなった。
「だから、そこに書かれた方法を試すのを、彼女が認めるとは思えないわ」
「でも私なら、もしかしたら出来るかもしれないわ。もし成功すれば……」
「だめよ、言ったでしょ、無茶をしちゃいけないって」
 突然聞こえて来た高い声に、美鈴は慌てて振り返った。腕組みをした教師がすぐ目の前に立っていた。
「椎名先生」
 美鈴の顔をまっすぐに見詰める先生の目はあまりにも真剣で、美鈴は先生の名前以外に何も言えなかった。
 やがて、恵美先生がその目を静かに閉じた。
「もう、諦めましょう」
 顔を僅かに俯かせた先生の眉間には小さな襞が刻まれ、閉じた瞼は震えていた。
「諦めるって、文化祭のイベントをですか?」
「そうよ。考えてみれば、あの事件からまだ一年しか経っていないのよ。文化祭で世間の常識を逸脱したイベントを開催するのは、始めから間違っていたんだわ」
「でも……」
 美鈴は反論しようとしたが、言葉が思い浮かばなかった。
 黙って話を聞いていた環先生が口を開いた。
「椎名先生の言うとおりだわ。今日の放課後にでも臨時職員会議を召集するよう、教頭先生に申し入れましょう。このイベントに人一倍乗り気だった椎名先生がそこまでおっしゃるのであれば、だれも反対しないと思うわ」
「そんなのダメです!」
 突然職員室の扉が勢い良く開け放たれた。扉をくぐった三人の生徒が美鈴たち三人の所へ走って来る。魔術研究会の会長である鳴瀬真弓、生徒会長の吉本志津奈、そして岡本琴音だった。
 突然の出来事に目を見開いていた恵美先生に、志津奈が詰め寄る。
「話はあらかた聞かせて頂きました。このような時こそ、我々魔術研究会の出動すべき時」
「あなた、まだ分からないの? 一歩間違えれば、活動停止なのよ」
「分かっています。でも、今や相沢千春さんを救えるかも知れない方法を示した古文書が手元にあり、それを実行できるかも知れない巫女の末裔が、その実践を望むとあらば、そのお手伝いをするのが我々の使命。そのチャンスを逃してしまえば、我々の活動意義という物が揺らいでしまいます。それはすなわち、活動停止と同義なのです」
 生徒会長が後を続ける。
「それに、このイベントを中止したら、代わりの演し物を考えなければなりません。このイベントの案が出る前、職員会議でも何度も議題にされながら、結局結論は出なかったではありませんか。このイベントには、この学園の存続がかかっている。それは先生方もよくご存じのはずです」
「私からもお願いします」
 琴音もまた恵美先生の顔を真っすぐに見詰めて訴える。
「私、くすぐられるのが苦手で、最初はこのイベントもものすごく嫌だったんです。でも、このイベントがあったからこそ、くすぐられるのが少しだけ好きになれたし、美鈴ちゃんとも前よりもっともっと仲良くなれたんです。だから、あたしは成功させたいんです」
 恵美先生は再び目を閉じた。そしてしばしの沈黙の後、口を開いた。
「いいでしょう。あなた方がそこまで言うのなら」
「やったぁ!」
 三人の生徒たちは声を揃えて叫ぶと、互いに肩を抱き合って喜んだ。恵美先生に注意されるまで、ここが職員室である事すら忘れていた。


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