眩い虹色の光の中を、美鈴は漂っていた。全身が白い光に包まれている。手首の拘束はなくなっていたが、手足を動かしても手応えはなく、自分の意志で進む方向を変える事すらできない。
宙に浮いた身体が光の流れに流される先には、巨大な建物が見える。最初は小さな点にしか見えなかったその建物は、美鈴が近づくにつれて、宙に浮かぶ荘厳な姿を明らかにしつつあった。日本の物とも西洋の物とも違う、球体を幾つも組み合わせたような、見た事のない形をした巨大な建物だった。
その姿が視界を覆い尽くした時、美鈴を包んでいた光が急に強くなり、視界が白色に染まった。
再び視界が開けた時、美鈴は巨大な円形の門の前に立っていた。と言っても、地面があるわけではない。ただ、空間の中に身体を伸ばして浮いているのだ。白く光る薄い生地で出来た和服に身を包み、腰から下には赤い光を放つ袴を穿いている。足を動かしているわけではないのに、美鈴の身体は大きく開いた門へと進んで行く。
門の内側には、同様の服装をした若い女たちが、美鈴の進路を挟むように二列に並んで立っている。列は門の向こうの空間の奧まで無限に続いているかのように見えた。
「ようこそ、笑い神の城へ」
美鈴の身体が門を通過した時、無限の裂に並んだ女たちが声を揃え、一斉に頭を下げた。
このものものしい歓迎にどう応えいいか、美鈴には分からなかった。
部屋はあまりに広く、様々な色で複雑な紋様の描かれた壁も床も天井も、はるか彼方。その空間の真ん中に浮かぶ美鈴は、震える瞳で辺りを見回しながら、手足を硬直させたまま、紅白の和服の美女たちの列の間を、自分の意志とは関わりなく進んで行く。
門のすぐそばに立っていた数名の女が美鈴の方へ泳ぐように近づいて来た。
「ここは初めてかしら。そのご様子ではずいぶんと緊張してらっしゃるようですわね。あたしたちがじっくりとほぐして差し上げますわ」
二人の女が美鈴の腕をそれぞれ掴み、大きく拡げさせた。無防備になった脇腹に、他の数名の手が伸びる。
幾つもの指が薄い生地の上から脇腹に食い込み、激しく蠢いた。
「うくぅっ、いやっ!」
あまりにも突然の出来事に、美鈴は思わず拒絶の声を上げた。その声に、女たちの一人が怪訝そうに首をかしげた。
「イヤ? そんなはずはないわ。だって、これをいやがるような子なら、ここに来られるはずがないもの。どう? 本当は嬉しいんでしょ? もっとしてほしいんでしょう? 遠慮なんてする必要ないのよ」
美鈴の周りに、さらに何人もの女が群がり、次々と手を伸ばす。彼女たちの身体はまるで実体のない影のように互いに重なり合い、美鈴の身体に触れる指先もまた、数が増すに連れて互いに重なったり通り抜けたりする。それでいながら、その蠢きの感触だけははっきりと美鈴の身体に染み込んで来る。
今や脇腹や腋の下ばかりでなく、腕や肩、頚筋、お腹、太股、脹脛など、全身のあらゆる部分が蠢き這い回る指先で埋め尽くされている。
「きゃははははぁ、だめぇ、こんなの、こんなの、初めて……きゃははははぁ!」
夥しい数の指先による妖しき刺激のあまりの凄まじさに、美鈴はたまらず身を捩り、甲高い笑い声を上げる。すると、その反応を楽しむかのように、群がる指はさらに数を増し、その動きも激しさを増して行く。
今や手や足の指の間にまでいくつもの指が入り込んでくじり立てている。その刺激だけでも、正常な神経を狂わせるには十分なものなのだ。その猛烈な刺激が全身から送り込まれているのだからたまらない。
「きゃははははぁ、ああああぁぁっ、きゃははははははぁっ!」
刺激の嵐は美鈴の体内を激しく吹き荒れ、抵抗する力を奪って行く。女たちに抱き抱えられた手足を振りほどこうにも、身体に力が入らない。もはや女たちのなすがままに弄ばれながら甲高い笑い声を上げる事しかできなかった。
「ふふっ、あなたの笑い声、とっても可愛いわ。あたしたちの指がよっぽど気に入ったのね。もっともっと喜ばせてあげる。さあ、あなたの一番好きな所はどこかしら?」
美鈴の耳もとで囁かれる意地悪な質問。無論それにまともに答える事はできず、喉から迸るのは甲高い笑い声のみ。
「え? 何? ちゃんと答えてくれなきゃ分からないわ。さあ、答えてよ。一番好きな所はどこ? 答えないと、全体的にもっと加勢するわよ」
そ、そんな……。
そう抗議しようとしても、笑い声意外の声を出せる余裕はなかった。
美鈴の全身を埋めつくし蠢き全身を這い回っていた指が、さらに数を増した。新たな指が入り込む隙間などないはずなのに、増えた指は互いに重なりすり抜けるようにしながら全身のあらゆる箇所に食いこんで蠢き、同時にその箇所を別な指が刷くように滑って行くのだ。
柔肌の表面と奧の神経に同時に送り込まれる刺激に、美鈴の全身のあらゆる部分が勝手に笑い悶えている。
美鈴にとって長い時間が過ぎ去った後、不意に指の動きが止まり、美鈴の身体を離れて行った。
全身を吹き抜けた刺激の嵐の余韻に身を震わせ、息を調える。乱れた服を直しながら周りを見回す。いつの間にか遠くへ移動してきてしまたのか、入って来た門はどこにも見当たらない。周りの女たちは方々へ散らばり、ひれ伏していた。
彼女たちの頭の先には、巨大な女神の顔が浮かんでいた。顔も全身も眩ゆい光に包まれている為、服装はよく分からない。白く光る長い髪を片手で優雅にかきあげながら、女神が口を開いた。
「柳沢美鈴、ようこそ我が城へ。まずは歴代の巫女たちの歓迎の挨拶、気に入って頂けたであろう」
女神の澄んだ声は、広大な部屋に厳かに響いた。
「歴代の巫女?」
美鈴は周りでひれ伏している若い女たちを改めて見回した。確かに巫女の服装だ。という事は、ここは彼女たちの死後の世界。部屋にひれ伏す巫女は少なくとも数百人はいる。彼女たちの占術は、何世代にも渡って受け継がれていたのだ。ある一時までは。
「では、そろそろ、訪問の理由を聞かせてもらおうではないか」
美鈴が言葉を発しようとした時、女神はさらに先を続けた。
「ただし、願いを叶えた暁には、我も彼女たちと同じように楽しませてもらわなければならぬがな」
掻き上げられた女神の美しい髪の毛が前方になびき、美鈴の周りに広がった。髪の毛の一本一本お尖端が、美鈴の周りで妖しく蠢く。
美鈴の身体が一瞬だけ震えた。さきほどよりもさらに凄まじい刺激への恐怖と、それ以上の期待に。
美鈴は意を決し、胸元に両手を当てて叫んだ。
「私たち、笑い巫女に関する文献を探してるんです。学園祭のイベントの為に。あなたがたのさきほどのご挨拶の健全性を証明する為に」
「よかろう。見せてしんぜよう。そなたの探している物のありかを」
女神の言葉と同時に、視界が再び純白の光の霧に包まれた。
霧が晴れると、そこは見知らぬ住宅街だった。無数の家屋がはるか下方に小さく見える。美鈴は今、空に浮かんでいるのだ。自分の意志に関わらず、徐々に高度を下げて行く。小さな家屋に囲まれるように、広大な緑の土地があった。手入れの行き届いた樹々の生い茂る土地の中央に、城を思わせる洋館が建っている。美鈴はその洋館に近づきつつあった。
やがて足の先が洋館の屋上に辿り着くと、その足がコンクリートの中へと何の抵抗もなく潜り込んだ。
洋館の中ではメイド服を着た何人もの若い女性が掃除や洗濯などの家事をしている。美鈴の身体が次々と壁をすり抜けて行く部屋は、どれもかなり広い。そのままパーティー会場になりそうな、テーブルがいくつも並べられた洋間もあれば、武術の稽古場ほどの広さを持つ和室もある。
いつの間にか美鈴は、ある一つの部屋に立っていた。屋根とカーテンの付いた豪華なベッドとグランドピアノが置いてあり、唐草模様の描かれた壁には有名絵画がいくつも飾られている。壁際の棚にはいくつもの美術品が置かれ、アーチ形の巨大な窓から差し込む外の光が部屋を明るく照らしている。部屋の隅に置かれた机にも、複雑な装飾が施されている。
その部屋の中央で、美鈴と同じくらいの歳の少女が、若いメイドの一人と何か口論をしている。どうやら美鈴の姿は、二人には見えていないようだ。
「お願い、私を学校へ行かせてちょうだい」
少女は目の前に立つメイドの両肩に両手を付いて懇願する。
「だめです。いくらお嬢様の頼みとあっても、そればかりはできません。あなたのお母様にきつく言われておりますので……」
美鈴の身体が意志とは関係なく部屋を通過し、メイドの声が次第に遠のいて行く。
やがて美鈴は、廊下の突き当たりの部屋へ、閉まったドアを通り抜けて入って行った。
そこは、洋館の部屋よりもはるかに狭かった。と言っても、ちょうど美鈴の家の部屋の二倍くらいの広さはある。
部屋の中央には小さなテーブルと幾つかの椅子が置かれ、壁際には質素なベッド、そしてその近くの壁際に本棚のついた机が置かれている。美鈴はその机の方へ引き寄せられるように移動して行く。
やがて、木製の机が次第に色あせて行った。不透明だった材質が次第に透明度を増し、やがて色の付いたガラスのように、向こう側が透けて見えるようになった。
机の下部に付いた収納部分の、数字の書かれたボタンが隅に並んだ蓋の向こうに、淡い光を放つ円筒形の物体が見える。細長い直方体の質素な木箱に収められたその物体は、長い紙を筒状に丸めた物だった。
「あれって、もしかして……」
美鈴がその巻物へ向けて手を伸ばそうとした瞬間、再び視界が白い闇に閉ざされた。
美鈴は再び女神と巫女たちの浮かぶ空間にいた。
「これでそなたは古文書にありつけよう。さあ、今度は我を楽しませてもらう番だ」
目の前に浮かぶ巨大な女神の言葉に、美鈴は抗議する。
「ちょっと待って。あたし、さっきのあの家がどこにあるか分からないわ。一体どうすれば……」
「そのうちに分かる。そなたはただ、成行きに任せていればよい。そなたの仲間たちが、そなたを導く」
美鈴の周りに広がり取り囲んでいた、純白の光を放つ女神の髪が、美鈴の手足に絡み付いた。
「さあ、もうそのような難しい顔をするのはやめて、我にそなたのとびきりの笑顔を見せるのじゃ」
女神が妖しく微笑んだ時、光の髪が美鈴の服の内側へ浸入して来た。次から次へと群がって来る髪が、美鈴の全身の肌をくまなく包み込み、撫で回す。手に絡み付いた髪によって大きく開かされた腋の下にも無数の毛先が群がり、撫でさすっている。波打つ髪が、腕や太股、腰やお腹、背中、太股、脹脛を這い回る。そして、足の裏や指の間を無数の毛先がくじり立てる。
「いやぁっ、ひゃうぅ、くふぅ、あふぅ、ああぁぁっ!」
肌に染み込む気の狂うようなこそばゆさに、美鈴はたまらずあられもない声を上げてしまう。
「どうじゃ。指とはまた違った感触であろう。さあ、もっともっと、その可愛らしい顔と声で、我を楽しませるのじゃ」
髪の毛の動きはさらに妖しさを増して行く。全身のある部分では緩やかな動きになり、ある部分では逆に緩慢になる。そうかと思えばその変化は逆転する。あらゆる部分で毛の動きと激しさ、そして肌に触れる強さが絶えず変化し続ける。
決して慣れることのできない無数の蠢きに、美鈴は激しく身をよじりながら、悲鳴とも笑い声ともつかない、今まで上げたことのない声を上げ続ける。
やがて全身から送り込まれる刺激の嵐に意識がバラバラに砕かれ、視界が白色の闇に覆われた。
気がつくと、美鈴はベッドの上に寝かされていた。ベッドの周りを生徒たちが取り囲んでいる。どうやら学校の保健室らしい。
「やっと気がついたわ」
顔を覗き込んでいた琴音が安堵の声を上げた。
保健の先生が駆け寄って来た。普段は落ち着いた印象を与える、栗色のショートヘアに包まれた若き美貌が、今は不安に曇っている。生徒たちをかき分け、心配そうな表情で美鈴の顔を見下ろした。
「大丈夫かしら?」
「は……はい、もう平気です」
ベッドから起き上がった美鈴の言葉を聞いて胸を撫で降ろす先生。しかし、次の瞬間、きつく鋭い視線を周りの生徒たちに走らせた。彼女たちの中には、魔術研究会やその関係者の者たちもいた。
「やはり危険なようですね。今回の事故の原因が分かるまで、あの装置の使用は禁止しなければなりません」
「そんな、まだ事故と決まったわけではないのに……」
魔術研究会の会長である鳴瀬真弓が抗議する。
「装置を使った実験中、被検者が気を失った。それを事故と呼ばずに何と呼べばよろしいのかしら」
先生のその言葉に、魔術研究会の会員たちは、返す言葉がなかった。顔を曇らせ俯く彼女たちに、先生が追い撃ちをかける。
「それと、今後二度とこのような事のないよう、あなた方にはお仕置きを受けてもらいますからね」
「そ、そんなぁ……」
彼女たちが慌てて顔を上げ、拒絶の声を揃える。しかし彼女たちの目は、これから楽しい遊びを始めるかのように嬉しそうに輝き、頬はほんのりと紅潮していた。
「まずは鳴瀬さん、あなたからよ」
「そんな、あたしが最初だなんて……」
不平の言葉をもらしながらも、真弓は先生に促されるまま、隣のベッドに向かった。
ベッドに横たわると、分かりきったように、手足を大きく広げた。ベッドの周りに待機していた保健委員の生徒数名が、真弓の手首と足首を、ベッドの手摺りに縄跳びで縛りつける。
真弓は自分を拘束する保健委員たちを軽く睨んだ。
「あたしにこんな事をして、ただで済むと思ってないでしょうね」
「もちろん思ってないわ。あなた方の三倍返し、楽しみに待ってるわ」
真弓の言葉に、保健委員の生徒の一人が満面の笑みを浮かべて答えた。
「それじゃ、始めるわよ」
今や手足を拘束され無防備となった真弓の全身に、保健委員たちの手が一斉に襲いかかった。
ブラウスの上から、腋の下をくじり立てる指もあれば、脇腹に食い込んで激しく蠢く指もある。太股と脹脛を往復しながら妖しく蠢く指もある。また、一人の手は真弓の上履きを脱がせ、靴下の上から足の裏に指を這わせ、執ように滑らせる。そして時折指を、足の指の間へと差し入れ、くじり立てる。
「きゃははは、くすぐったい、ああっ、ああっ、きゃはははははぁ!」
真弓の身体がベッドの上で何度も大きく跳ね、甲高い笑い声が保健室に響く。
「どう? あたしたち、とっても上手でしょ?」
脇腹を責めていた保健委員の一人が無邪気に質問する。
その質問に答える事なく、真弓は悲鳴と笑い声を上げ続ける。全身から送り込まれる凄まじい嵐に耐えているだけで、精いっぱいなのだ。
「あたしは聞いているのよ。まあいいわ。答えたくなければ、それでも。答えてくれるまで、もっともっと悶えさせてあげる」
保健委員たちの指の動きが激しくなった。真弓の身体が何度ものけぞり、凄まじい悲鳴と笑い声が部屋に響く。
「ふふっ、もっともっと大声を出してもいいのよ。防音がしっかりしてるこの部屋なら、外の人に聞かれる心配なんてないんだから」
保健委員の歌うような声が、真弓の悲鳴と笑い声に混じる。
やがて、真弓の身体の蠢きが少しずつ緩慢になり、激しかった悲鳴と笑い声が、次第に弱まり始めた。そしてその声は、いつしか甘い声音へと変わっていた。
「ああっ、んあああぁぁっ、くふぅ、ひゃぁっ!」
高く妖艶な声を上げながらベッドの上で身をくねらせる真弓の姿に、他の生徒たちの視線がくぎ付けになっていた。
「ふふっ、そんな色っぽい声出しちゃって、もしかして、くすぐられるのが気持ちよくなってきたのかしら?」
「ああん、そんな事聞いちゃいやぁ」
耳もとで囁かれる保健委員の質問に、真弓は紅潮させた顔を恥ずかしそうに背ける。
「ちゃんと答えてくれなきゃ、やめちゃうわよ。どう? 気持ちいいんでしょ?」
その意地悪な言葉と同時に、くすぐりの手を弱める保健委員の生徒たち。
「いやぁっ、お願い、やめちゃいやよ!」
泣きそうな声で懇願する真弓。その顔が恥ずかしさにますます赤く染まる。
「ふふっ、それでいいわ。素直に答えてくれたご褒美に、もう少しだけ続けてあげる」
くすぐりの手の動きが再び激しくなり、真弓は再び妖しき歓喜の声を上げながら、身をくねらせ続けた。
やがてくすぐりの手が止まり、手足を拘束していた縄跳びが解かれた。ベッドから降ろされた後、真弓は弾む息を調えながら、刺激の余韻に浸るかのように両手で自らの身体を抱き抱えるようにしながら、脇腹を指先で撫で続けていた。
「さあ、次はだれにお仕置きをしてあげましょうか」
保健委員のその言葉を合図に、美鈴のベッドの周りに群がっていた生徒たちのほとんどが、一斉に保健委員の周りに押し寄せた。
「あたしが受けるわ」
「いや、あたしが」
魔術研究会のメンバーたちが、我先にと保健委員に詰め寄る。
そんな彼女たちの様子を眺めていた琴音が、口を尖らせ、美鈴美鈴の耳許で囁く。
「何よ、みんな楽しんじゃって。あのどこがお仕置きだって言うのよ、ねえ……」
「う……うん」
同意を求める琴音に頷きながら、美鈴は自問していた。さきほど見た光景は、ただの夢だったのか。
夢にしては鮮明な記憶だった。恐らくそれが、あの装置の効果なのだろう。
人間に鮮明な幻覚を見せる、ただそれだけの効果しか持たない機械。だから、見た夢に何らかの意味があるなどという事は、期待できない。
それに、もしもあの屋敷が実在するとしても、一体どうやって探せば良いのか。
仲間がその場所に導いてくれると女神は言っていたが、一体仲間とは誰の事なのか。
不意に、保健室の扉が開いた。
「柳沢さん、こんな所にいらしたのね。約束どおり迎えに来たわよ」
入って来たのは、生徒会長の吉本志津奈だった。
気がつけば、壁にかけられた時計の針は、すでに放課後の時刻を示していた。
志津奈は美鈴と琴音を、職員駐車場へと案内した。三人が入口付近に到着すると、一台の赤い車が近づいて来た。運転席に座っているのは、美鈴の担任である椎名恵美先生だった。
助手席に志津奈が、後部座席に美鈴と琴音が乗ると、車は出発した。
車の中で、志津奈は美鈴にクリップボードを渡した。そこには、一人の生徒の名前や住所、家族構成などが書かれた一枚の書類が挟んであった。
「名前は三宅真希子。詳しいことは分からないけれど、彼女の家は先祖代々からの資産家らしいわ」
恵美先生の話によると、真希子の両親は二人とも大企業を経営しており、住まいである巨大な屋敷は会社の取引先を招いてのパーティーにも使われる。
屋敷には十数名のメイドが住み込みで働いており、そのうちの一人が現在学校に行っていない真希子の家庭教師を務めているという。
書類を見ながら先生の話を聞いていた美鈴は、車の振動で揺れる文字を追うのに疲れ、ふと窓の外を眺めた。
「この風景……」
美鈴は思わず窓に顔を近づけた。
「どうしたの? 何か気になる物でもあったの?」
「う、ううん。何でもないわ」
琴音の問いに、首を振る美鈴。しかし、窓の外の風景がどうしても気になってしまう。来た事のない場所のはずなのに、見覚えがあるような気がするのだ。過去に、同じように誰かの車でどこかへ向かう途中で通った事があるのだろうか。
ふと、視線を前方に向けると、はるか遠くに緑に囲まれた土地が見えて来た。
美鈴は思わず大きく目を見開いていた。
「屋敷の庭が見えて来たわ。もうすぐ到着よ」
先生の言葉に、琴音が声を上げる。
「お金持ちのお屋敷かぁ。何だか楽しみだわ。ね、美鈴ちゃん」
「え、ええ」
美鈴は同意の言葉を返しながらも、その光景が信じられずにいた。
さきほどの夢に出て来た緑の土地が、目の前に迫りつつあった。
背の高い門の左右には、それと同様に高いフェンスが広がり、公園を思わせる広い土地を取り囲んでいた。
志津奈が車から降りると、門の脇のインターホンへと向かった。
ボタンを押すと、すぐに女性の声が返って来た。
「どちら様でしょうか」
「私、舞姫女子学園高校の生徒会長を務めさせて頂いております、吉本志津奈と申します」
その後、いくつかの言葉のやりとりが行なわれ、ほどなく門が左右に開いた。
再び志津奈を乗せた車は、樹々の間に伸びる、緩やかにカーブした道をゆっくりと進み始めた。
「一体何て言ったの? 前に来た時、もう二度と来るなと言われたのに」
恵美先生が助手席の志津奈に尋ねた。
「それは彼女のお母さんにでしょ? 今の人は、もっと話の分かる人よ」
ほどなくして、樹々の間から建物が見え始めた。
――やっぱり!
美鈴は目を見開いた。西洋の城を思わせる巨大な建物。それはさきほどの夢に出て来た洋館そのものだった。
洋館の正面玄関前で、生徒三人は車を降りた。先生が駐車場へ車を置いて戻るのを待ち、四人揃った所で志津奈がドアの脇のインターホンのボタンを押した。
「ただ今参ります」
インターホンがそう答えてからほどなく、観音開きのドアが開いた。
ドアを開いたのは二人のメイド。そしてもう一人の案内役らしいメイドがドアの向こうに立ち、建物の奧の方へ案内するように手を向けている。そして、その両脇には、何人ものメイドが整列し、客人に余所行きの笑顔を向けている。
案内役のメイドは、夢の中で少女と口論していた女性だった。
四人はその女性の後に続いて、ロビーの床に敷かれた赤い絨毯の上を歩いて行く。
「なんだか凄いお屋敷だね」
ロビーを照らす豪華なシャンデリアや、壁の至る所に掛けられた絵画や装飾品の数々に目を奪われながら、琴音が美鈴の耳許で囁いた。
「え? ええ」
四人を案内するメイドの後ろ姿を食い入るように見詰めたまま返事をする美鈴。
その顔を、琴音が怪訝そうに覗き込んだ。
「美鈴ちゃん、どうかしたの?」
「な、何でもないわ」
小声で尋ねる琴音に、美鈴も琴音にだけ聞こえる小さな声で答える。
「うそ。さっきから何だか様子が変よ」
「そう。実はね……」
美鈴はそれ以上隠しておく事を諦め、琴音の耳許に唇を近づけて手で覆い、ヒソヒソ話を始めた。
「ええっ!」
話の途中で琴音の上げた大声に後を振り返る先生と生徒会長とメイド。
「ちょ、ちょっと!」
美鈴は慌てて琴音の口を手で塞いだ。
「あなたたち、余所様の家で大声を出すなんて、みっともないわよ」
「す、すいません」
先生に注意されて、美鈴と琴音は声を揃えて頭を下げた。
前の三人が再び進み始めた時、顔を上げた琴音は美鈴に尋ねた。
「それで、その場所、覚えてるの?」
「ええ」
「それじゃ、後でそこに置いてある巻物、見せてもらいましょうよ」
「そうね。見せてもらいましょう」
美鈴は歩きながら、それをいつどのように頼むべきかを思案していた。
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