ミニメロン作品

学園祭で行こう

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 教職員をはじめ、生徒会や学園祭実行委員会主要メンバー等、学園祭の企画に関わった様々な人物が会議室に集められていた。長机がコの字形に並べられ、皆はその外側のパイプ椅子に着席している。
 コの字の開いた部分には移動式の黒板が置かれ、その前に教育委員会から派遣されて来たという調査員の女性数名が立っている。その中の一人、相沢柚葉が厳かに口を開いた。
「女性限定とはいえ、学外の者たちに女子生徒の身体を悪戯させてお金をもらう。これは立派な風俗業よ。それを一教育機関が全校規模で行なおうとしていたというのは、ゆゆしき問題ね」
 柚葉の言葉に反論できる者はいなかった。
 この会議に呼び出されていた美鈴もまた、部屋の隅の席で黙って話を聞いているしかない。昨日、家に伝わる神聖な儀式としての意味を持つと母から聞いた「くすぐり」が、大人たちの劣情を満たすための行為であると言われたのは心外であったが、それを口に出した所で勝ち目はないように思われた。
「それに我々の所には、この企画が原因で学校を休んだ生徒が数名いるという情報が入っています」
 学園祭の企画が原因で、不登校が発生した。その言葉に会議室の中は騒然となった。
 琴音だけではない、と美鈴は悟った。「数名」という事は、琴音の他にもくすぐりに対して耐え難い嫌悪感を抱く生徒がいたという事だ。情報を流したのはその生徒たちの中の一人、あるいはその保護者といった所だろう。そしてその生徒というのは、もしかしたら琴音なのかもしれない。
「学園の運営費が必要であれば、文化活動のレベルを上げる事によって対応すべきなのに、それ以外の方法の立案を実行委員に求めた上、このようないかがわしい企画を易々と承認してしまうなんて。こうなった以上は責任の所在を早急に明らかにし、しかるべき措置を取って頂かなければなりません事よ」
 部屋の中が一瞬静まり返った。もとより私語を発する者などいるはずはなかったが、この時ばかりはノートにペンを滑らせる音すら聞こえなくなった。
 しかるべき措置。それは、この件について責任があると認められた教職員あるいは生徒への何らかの処分を意味している。
「柳沢美鈴さん」
「えっ、は、はいっ!」
 突然名前を呼ばれた美鈴は、慌てて椅子から立ち上がった。
「あなたはこの企画の準備が全校規模で開始された次の日、学校を休んだ岡本琴音さんの家にお見舞いに行きましたね。欠席の理由は体調不良との事でしたが、実際はどうだったのですか?」
 皆の視線が美鈴に集中した。自分の発言には教職員の処分がかかっている。このような質問が来たという事は、情報を流したのは少なくとも琴音やその家族ではないのだろう。いや、もしかしたら、すでに答えを知っているのに、あえて尋ねているのかもしれない。いずれにしても、今琴音が別室で取り調べを受けている以上、下手に嘘をつく事はできない。
 すぐ隣には担任の椎名恵美先生が座っているが、彼女だけは机の上に広げたノートに顔を向けている為、表情を確かめる事ができない。
 美鈴は仕方なく、おずおずと口を開いた。
「彼女は……その……くすぐり恐怖症だったもので……」
「それで、文化祭の準備がイヤで学校に来なかったのね?」
「は……はい」
 会議室の中にどよめきが走った。
「くすぐりを苦に不登校……」
「まさかそんな事が本当に……」
「まったく最近の若い者は……」
 そんな声がざわざわと響く。
 パンパン。
 柚葉が手を叩く音が室内に大きく響き、それを合図に室内は静寂を取り戻した。
「くすぐりは、かつて拷問や刑罰として使われた事のある残酷な行為なのです。それを苦に学校に来なかったとしても、本人を責める事はできないでしょう。不当な要求をしたのは学校側なのですからね」
 部屋は静まりかえったまま。誰も反論する者などいない。その沈黙を破ったのは、美鈴だった。
「でも……彼女は今日、私と一緒に登校しました。だからもう、不登校ではないんです。それに……」
 目の前の机に視線を落としたまま話す美鈴の声は小さかったが、静まりかえった会議室には大きく響いた。
「それに?」
 柚葉が先を促した。それに応えるように、美鈴は顔を上げ、柚葉の顔をまっすぐに見据えた。
「それに、くすぐりは必ずしも拷問の手段とは限りません。私の家では神聖な儀式なんです!」
「神聖な儀式?」
「はい。私の家のご先祖様は、くすぐられる事によって占いをする『笑い巫女』なんです。そのなごりで、私の家では、くすぐりは福の神を召還する神聖な儀式と考えられているんです」
「それは面白いわ!」
 唐突に声を上げたのは、歴史を教えるやや年輩の女性教師だった。
「このイベントを通してそのような歴史的文化を校内外に紹介できれば、文化祭としては健全かつ有意義なものになるのではないかしら」
 彼女の言葉に、再び室内が騒がしくなった。
 そうね、そのとおりだわ…。
 当時の史料なんかがあれば……。
 さっそく今日の歴史の授業で……。
「皆さん、お静かに!」
 再び柚葉の声が室内に響き、教師たちのざわめきを鎮めた。
「昔と今とでは、時代背景が違うのです。昔は神聖な儀式であった事も、現代では不健全な大人たちの遊びと化している事だってあるのです」
 美鈴には柚葉が何を指して「不健全な大人たちの遊び」と言っているのか分からなかった。話の流れから考えれば、それは明らかに「くすぐり」の事であろうはずであるが、そのどこが「不健全」なのか。いや、そもそも「不健全な」は「遊び」にかかるのか、それとも「大人たち」にかかるのか。しかし、その理解不能な言葉も、大人たちを動揺させるだけの効果は持っていたようだ。
 確かに、それは言えてるわね……。
 このイベントがきっかけで、生徒達が将来そういう道へ走ったら……。
 そんな声が教師たちの間でヒソヒソと飛び交い始めた時、一人の生徒が手を挙げた。
「不健全な大人たちの遊びとは、一体どういう事でしょうか」
 静かではあるがよく通る凜としたその声は、生徒会長の吉本志津奈のものだった。肩の所で切り揃えた黒髪に、端麗な美貌を包んでいる。柚葉をまっすぐに見詰める切れ長の目が印象的だった。
「そのような事は、未成年者であるあなた方が知る必要はありません」
 質問への回答を拒否された生徒会長は、まるでそれを予想していたかのように、即座に次なる行動を起こした。
「それでは、未成年者である私たちはこれ以上ここにいるべきではないという事ですね。生徒の皆さん、この後の議論は大人の方々にお任せして、教室に戻りましょう」
 椅子から離れ、堂々と会議室の出口へと向かう生徒会長。その姿を呆然と見詰めたまま生徒たちが動こうとしない事に気付き、再び顔を皆に向ける。
「何をぼやぼやしているのですか。生徒の皆さんは早く教室へ戻りましょう」
 彼女と目の合った数名の生徒が慌てて立ち上がった。それがきっかけとなって、他の生徒たちも次々と立ち上がり、生徒会長の後に続く。
 生徒たちの行動に柚葉はかすかに眉根を寄せていたが、止めようとする様子はない。
「せ、先生……」
 美鈴は隣に座っている椎名恵美先生にどうすべきか問いかけた。
「彼女の言うとおりよ。早く教室に戻りなさい」
 先生にそう促された美鈴は、他の生徒たちに続いて廊下に出た。生徒たちの中で最後だった美鈴は、扉を閉めた。
 廊下では、生徒会長が他の生徒たちに取り囲まれていた。
「これからどうすればよいのでしょうか」
 生徒たちの一人が不安気な面もちで生徒会長に問い掛けている。おそらく学園祭実行委員の一人であろう。
 彼女の問いには、流石の生徒会長もすぐには答えを出す事ができずにいた。切れ長の目の間にわずかに皺を寄せ、考えに耽っている。
 それにしても、と美鈴は思う。子供向けのテレビ番組にも時々登場する「くすぐり」という行為が、「不健全な大人たちの遊び」と見なされているとは、一体どういう事なのかと。
 何年か前、出版物などにおける行きすぎた表現が問題となり、法律による規制が強化されようとした時、出版関係者らは猛反発したという。その時はあまり気にしていなかった美鈴であるが、今は柚葉の言葉と何か関係があるのかと気になって仕方がない。
「くすぐり自体が不健全という事ではないと思う。多分、くすぐり以外に他の要素が組み合わされた結果、不健全と思われてるんじゃないかな。例えば、女の人がただくすぐられるだけじゃなくて、裸の女性がくすぐられていたりする内容のビデオとか」
 生徒会長が、まるで美鈴の心を読んだかのような回答を示した。
「もしかして、見たことがおありなんですか?」
 別な生徒が過激な発言に驚いて尋ねた。
「まさか。くすぐりという行為が、それ単体で不健全な大人たちの遊びとして成立するはずがない。そう考えれば、答えはおのずと限られてくるでしょ?」
 なるほど、と、皆は一斉に頷いた。
「とにかく、今の所はこれで解散。多分、この状況じゃ、各クラスでの学園祭準備は中止になるでしょうから、放課後になったら生徒会室に集まる事。みんなで対応策を考えましょう」
 生徒会長の言葉にはっとして、美鈴は皆の顔を見回した。そういえば、自分以外は全て、生徒会か学園祭実行委員会のメンバーだ。彼女の言う「みんな」の中に、おそらく自分は入っていない。
 そう思った時、生徒会長の切れ長の目が美鈴の視線を捕えた。皆が教室に向かって歩き始める中、生徒会長は一人、美鈴の方へ歩みよって来た。
「さあ、行きましょうか」
「え?」
 解散した生徒たちの中で、なぜ自分の方へまっすぐ来るのか、美鈴には一瞬理解できなかった。
「生徒指導室へ」
 その言葉で美鈴ははっとした。
 そうだ。まだ琴音が生徒会室で取り調べを受けているかもしれない。教室へ向かうよりもそちらを確かめる方が先だ。
「はい。参りましょう」
 二人は連れだって、生徒指導室を目指して歩き始めた。

 美鈴は生徒指導室の扉に耳を押し当てていた。しかし、いくら耳を澄ましても、防音の施された扉からは中の様子を窺い知る事はできない。もとより、すでに琴音の取り調べは終わっているかもしれない。それを確認する為に、鍵が返されているかどうかを生徒会長が見に行ってくれている。
 それでも、万が一中にいる琴音が大きな悲鳴を上げたりしたら、その時は絶対に聞き逃すまい。そして、扉を蹴破ってでも助けに入るのだ。
 そう思いながら、扉に押し当てた耳に全神経を集中していた。だから、背後に歩み寄って来る足音にも全く気付かずにいたのだ。
 しかも、他人の目にはずいぶんと怪しげに映るに違いない。そう認めていたからこそ、誰かに肩を軽く叩かれた時、思わず身を震わせ、悲鳴を上げそうになった。
「大丈夫? そんなに驚く事もないでしょ? 鍵、返されてたわ。どうやら彼女に対する取り調べは終わったようね」
 悪戯の現場を見られたような顔の美鈴の大きく見開かれた目の前に立っていたのは、微笑みを浮かべた生徒会長だった。
「もしかしたら、もう教室に戻っているかも。一緒に行かせてもらっていいかしら」
「え、ええ」
 生徒会長も琴音の事を心配してくれているのだ、と、美鈴は思った。彼女を案内するように、先に立って歩く美鈴。
 教室のある階に到着した時、廊下に洩れた悲鳴のような笑い声が耳に届いた。
「まさか!」
 美鈴は血相を変えて廊下を走った。普段であれば「廊下を走らないように」と注意すべき生徒会長も、黙って後に続く。
「きゃははは、あたしそこだめぇ、くすぐったぁい、きゃはははぁ!」
 教室に近づくにつれて、悲鳴と笑い声はますます甲高く聞こえて来る。それは間違いなく琴音のものだった。
 到着するやいなや、美鈴は扉を勢い良く開け放った。
「あんたたち、何をやってるの!」
 教室へ飛びこんだ美鈴の目に最初に飛びこんで来たのは、大きく広げた両腕を数名の生徒に抱え込まれた琴音の姿だった。
 美鈴の声に驚いたのか、琴音の腕を抱える生徒たちも、琴音の前に立って脇腹に手を伸ばしている生徒も、彼女たちを観察していた周りの生徒たちも、美鈴の方へ顔を向けたまま凍りついていた。
 美鈴は教室に入ると、琴音の前で脇腹に手を伸ばしていた生徒へと大股に歩み寄り、右手を大きく振り上げた。
「美鈴ちゃん、待って!」
 静止した右手が反対方向へ動こうとしたちょうどその時、琴音の大声が教室に響いた。
「いいの。あたし、もう恐くないから」
 同時に、美鈴の右手が委員長の手に掴まれた。まるで人形の腕の角度を直すかのように、そのまま下へと押し下げがれ、スカートの脇に位置付けた所で委員長の手が離れた。美鈴の右手はそのまま動こうとはしなかった。
「琴音ちゃん……」
 力なく呼びかけた美鈴に、委員長が囁いた。
「この子もそう言ってるわ。学校を休んだのは本当に体調不良が原因だったようね。それとも、この週末に何かあったのかしら? 前よりもだいぶ素直になったみたいだけど」
「それは……」
 どう説明しようかと迷った美鈴が琴音の方に顔を向けると、そこには明るい笑顔があった。
「先週、みんなの弱点、調べ合ったんでしょ? みんなに教えてあげてよ、あたしの弱点を」
「琴音ちゃん……」
 先日の琴音からは考えられない変わりように、美鈴は一瞬どうすればいいのか分からずにいた。その美鈴の耳もとで、再び委員長が囁いた。
「もしかして、妬きもち? 自分以外の人にこの子をくすぐられるのがいやなのかしら?」
 図星を言われた美鈴は再び琴音の笑顔に目を向けた。
 耳許の囁きはなおも続く。
「でも、あなたが弱点を教えてくれないのなら、あたしたち、勝手に探すわよ」
 委員長の言葉に促されるように、美鈴は答えていた。
「彼女、腰と脇腹と腋の下がとっても敏感なの。でも他の場所も、くすぐり方によってはすごくくすぐったいみたい。あたしが手本を見せてあげるわ」
 美鈴は琴音の背後へと回り、背中に指を這わせた。夏の制服の上から軽く押し当てた指先を蠢かせながら背骨に沿って少しずつ上下させる。
「きゃははは、だめぇ、それ、すごい、きゃはははは」
 琴音はたまらず身を震わせ、甲高い笑い声を上げる。
「ここも、こうすると……」
 美鈴の手が肩から腕へと移動し、二の腕を指先で執拗に撫で回す。その動きもまた、琴音を狂わせるのには十分だった。
 再び肩へと移動した指先は、首筋から再び背中へと移動し、その後、不意に脹脛へと移動する。そこを執拗に責め嬲った後、片方の足首を掴んで持ち上げ、上履きを脱がせた。無防備になった脚の裏に、靴下の上から指を這わせ、指の間をくじり立てる。
 それらの動きの一つ一つに、琴音は甲高い悲鳴と笑い声を上げる。その様子を、周りの生徒たちは息をするのも忘れて見詰めていた。
「さあ、みんなも手伝って。腋の下は軽くひっかくように、脇腹は指を食いこませて思いっきり蠢かせるのよ」
 美鈴の言葉に、周りの生徒が動き始めた。最も近くにいた数名が、琴音の脇腹や腋の下に手を伸ばす。それらの手が妖しく蠢き始め、教室に響く美鈴の悲鳴と笑い声は一段と激しくなった。
「きゃははは、だめぇ、そこ、くすぐったぁい、きゃはははははぁ!」
 美鈴以外のクラスメートは、琴音がこれほどまでに激しく笑うのを見たことがなかった。滅多に笑う事のない琴音が、これほどまでに顔を歪め、笑い悶えている。その姿と悲鳴と笑い声に誘われるように、生徒たちの手が次々と琴音の全身に群がる。両足の上履きを脱がされ、可愛らしい足にもいくつもの手が群がり蠢いていた。
 悲鳴と笑い声を上げ続ける琴音の耳もとで、美鈴が囁く。
「どこが一番くすぐったいかしら?」
 その意地悪な質問に、琴音は必死に答える。
「きゃはははぁ、腋の下、きゃははははぁ、脇腹も、くすぐったぁい、太股も、足の裏も、きゃはははは、みんな、みんなくすぐったいわぁ、きゃははははは」
 皆は、自分の責めている所が一番くすぐったいでしょ、と言わんばかりに、ますます激しく指を蠢かせる。
「きゃはははぁ、だめぇ、ああぁぁっ、きゃははははははぁ!」
 もはや言葉を発する余裕はなく、琴音の口からは悲鳴と笑い声だけが激しく迸っている。
「やめてほしいの?」
 再び囁かれた美鈴の質問に、琴音は激しく首を振るばかり。
「答えてくれなきゃ分からないわ。やめてほしいの? ほしくないの?」
 琴音の笑い声の中で、美鈴の質問への答えが悲鳴のように甲高く響いた。
「きゃはははぁ、やめちゃいやぁ、やめないでぇ、きゃはははははは!」
 短い髪を激しく振り乱しながらそう叫ぶ琴音を、群がる生徒たちの無数の指先は、ますますその動きを激しくさせ、琴音をなおも激しく身悶えさせる。
 たまたま離れていたせいでせいでその集団に加わる事のできなかった生徒たちは、群れの中心で笑い悶える琴音の様子を食い入るように見詰めていた。
 その中の一人が、無意識に脇腹に密着させていた腕を小刻みに震わせた。クラス委員長の近藤真希子だった。
「あたし……もうたまんないわ」
 真希子は近くにいた数名の生徒たちと目を合わせ、頷き合うと、腕を大きく拡げた。すかさず、近くの生徒二人がその腕を抱え込み、もう一人が背後に立って、無防備となった脇腹に制服の上から指を這わせる。指が蠢き始めると、真希子はたまらず身を捩り始めた。
「きゃははは、それ、すごい、きゃはははははぁ、だめぇ、やめてぇ、きゃはははは」
 琴音の声に混じって、真希子の悲鳴と笑い声が教室に響いた。
 いつの間にか教室のあちこちで、生徒たちが他の生徒たちにくすぐられていた。いくつもの甲高い悲鳴と笑い声が教室に響き続けていた。
 今は授業中ではあるが、教師たちがまだ会議室に集まっている今、だれも止める者はいない。
 クラス委員長ですらこの倒錯的な宴に耽っている状況に、生徒会長の吉本志津奈もまた無駄な干渉をする事はなかった。そのかわり、何かを思いついたかのように微笑むと、数名のクラスメートと共に琴音への悪戯に興じている美鈴の耳許で囁いた。
「柳沢さん、放課後は必ず生徒会室へ来て。岡本さんも一緒にね」
 突然の言葉に美鈴が振り返った時には、すでに志津奈は足早に教室の出口をくぐっていく所だった。

 生徒会室には、生徒会と学園祭実行委員のメンバーが勢揃いしていた。長机を部屋の中央に集め、その周りに並べたパイプ椅子に皆が着席している。美鈴と琴音の席は、黒板の中央の正面に位置する場所に指定されていた。
 黒板の前に、生徒会長が立った。切れ長の目で部屋に集まった生徒たちを見渡すと、手に持ったノートを広げた。
「ご存知のとおり、学園祭での『女子高生をくすぐりま笑』イベント企画について、教育委員会の調査が入りました。調査の結果による当初の教育委員会の判断は、この企画を直ちに中止すべきであるというものでした。しかし、先生方による懸命な説得の結果、企画再開の条件を取り付ける事ができたのです」
 生徒会長の説明によれば、企画再開のための条件は二つ。
 一つは、この企画が原因で不登校になりつつあると思われる生徒五人を今週中に全員復学させる事。
 残る一つは、この企画の健全性を示す資料を提示する事。
「まずは、不登校予備軍について」
 生徒会長の指示により、書記が黒板に五人のクラスと名前を並べた。一年生が三人、二年生と三年生が一人ずつ。クラスは全てバラバラだった。
「基本的には担任の先生方の家庭訪問によって復学を図る事になりますが、それが不可能な場合、皆さんにも協力をお願いするかもしれません。特に、柳沢さんと岡本さん」
 いきなり名前を呼ばれた美鈴と琴音に、皆の視線が注目した。
「は、はい」
 二人は驚いて同時に返事をした。
「最終手段として、あなた方にも協力して頂くかもしれません。よろしいですね」
 おだやかではあるが有無を言わせぬ雰囲気を持つ生徒会長のその言葉に、二人は黙って頷くしかなかった。
「結構。それでは、残る一つの条件についてですが、柳沢さんのご先祖樣は『笑い巫女』だったそうですね。くわしい話をお聞かせ願えないかしら?」
 美鈴は一瞬、どう答えていいか分からなかった。
「あの……私も昨日家族の者に聞いたばかりですので、詳しい話といっても……」
 顔に突き刺さるいくつもの視線に耐えながら、今にも消え入りそうな声で答えた美鈴に、早々と質問の嵐が押し寄せる。
「家族って、お父樣やお母様の事?」
「家宝の古文書とか、ないの? それに当時の様子が詳しく書かれていたりとか」
「そうそう。それがあれば、国語の先生に訳してもらって……」
「だめよ、そんな大事な物、学校に持って来させるなんて。あたしたちが先生を連れておじゃまするの。先生だって、貴重な資料を拝見できるチャンスですもの、喜んで協力して頂けるわ」
「それに、あの先生、学園祭のイベントに、結構乗り気だったし……」
 パンパンパン。
 様々な質問や意見が勝手に飛び交い騒然となりつつあった室内に、生徒会長の手を打つ音が響いた。
「皆さん、静粛に」
 生徒会室に再び静かな空間が戻った。美鈴に視線を合わせ、厳かな口調で質問した。
「柳沢さん、笑い巫女の末裔であるあなたなら、私たちが企画した学園祭でのこのイベント、成功させたいと思っているはずよね」
「それは……」
 美鈴はまたも一瞬返答に困った。家族から毎日のようにくすぐられている美鈴にとっては、学園祭で今度のイベントが行なわれようと中止になろうと、さしたる問題ではない。
 けれども、他の生徒たちはどうなるだろう。もしも中止になれば、その影響は拡大し、今行なわれているような学校でのくすぐりは、タブーとなってしまうかもしれない。そうなってしまったら、休み時間に琴音を堂々とくすぐる事もできなくなってしまうかも。それではせっかく琴音がくすぐられる喜びを覚え始めたというのに、学校に来る楽しみが減ってしまう。
「ぜひ、成功させたいと思います」
 美鈴は大きく頷きながら、はっきりと答えた。
「結構。それではお家に帰ったら、さっそく家族の方々に聞いてみて頂けないかしら?」
「分かりました」
 美鈴の返事の後、次の日の放課後に再び集まるようにとの生徒会長の指示を以って、この日の会議は解散となった。

「美鈴ちゃん、楽しみだね」
 家への帰り道を歩きながら、琴音は隣で手をつないで歩く美鈴に笑顔を向けた。
「そうね」
 そう答える美鈴も期待の笑顔を浮かべていた。
 笑い巫女について書かれた古文書。母親から話を聞いた時には思いもよらなかった発想であったが、本当にそのような物が存在するのであれば、ぜひ見てみたいと思った。
 その気持ちは琴音も同じだったらしく、家に帰る前に美鈴の家に寄って行くという。
 二人は自分たちでは気付かないまま、いつの間にか歩みの速度を増していた。


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