ミニメロン作品

学園祭で行こう

2
 その日、美鈴は久しぶりに一人で下校した。帰り道で何度か琴音のケータイに電話してみたが、いずれも留守電になっていた。メッセージを残そうかとも思ったが、どんな言葉を残せばいいのか迷っているうちに、いつの間にか家の玄関に着いていた。
「ただいまー」
「きゃはははぁ、だめぇ、そこ弱いの、きゃははははははぁ」
 ドアを開けるなり、どこか遠くから笑い声が聞こえて来た。きっと、地下室へのドアからだ。学校から帰った後も休日も、暇な時は地下室に集まって遊ぶのが、柳沢家での習慣だった。
「あ、美鈴お姉ちゃん、おかえりー」
 階段を登って来る足音。そして、二階への階段のすぐ近くの扉が開いた。顔を出したのは、妹の詩織だった。学校の体操着を着ている。今まで短距離走の練習でもしていたかのように息を弾ませ、顔は紅潮し、うっすらと汗が浮かんでいる。
「今、理奈お姉ちゃんと遊んでるの。美鈴お姉ちゃんも、早く着替えて降りて来なよ」
「ごめん、あたし、ちょっと今日、やる事があるから」
 美鈴は小さな声でそう答えると、二階への階段を登った。その鈍い足取りを詩織の怪訝そうな目が追う。
 自分の部屋に入ると、制服を脱ぐのも忘れて身体をベッドに投げ出した。
 階下から再び笑い声が聞こえてくる。かつて父のオーディオルームであったという地下室には、徹底した防音が施されており、そこではどんなに大声で叫ぼうとも、はるか遠くからのかすかな声にしか聞こえない。
 家族がこれだけ頻繁に笑い声を上げる家庭というのは、今どき珍しい。できれば美鈴も遊びに参加して一緒に笑いたかった。今朝と同じように姉と妹の手によって全身をくすぐられ、狂おしい刺激で悩み事を洗い流し、笑い声と共に吐き出してしまいたい。
 だが、今日ばかりはそれを実行に移す気にはなれなかった。友達が悩んでいるのに、自分だけ笑うなどという事は、許されないような気がする。
 窓のカーテンを閉ざしたまま電気も点けず、薄暗い部屋の天井をぼんやりと見詰める美鈴の脳裏に、先生の言葉が何度も木霊していた。
 ――参加したくないという人はしなくてもいいのよ。でも、後でみんなはその人の事をどう思うかしら?
 突然、階段を上がって来るいくつかの足音。ドアが開き、姉と妹が入って来た。ベッドに飛び乗り、美鈴の手足を広げて押さえ付け、腋の下や脇腹に当てた手の指を激しく蠢かせる。
「きゃはははっ、ちょ、ちょっと、何すんのよ!」
 いきなりの攻撃に、美鈴は思わず笑い声を上げた。
「ここの温度はいつもと変わらないから、熱はないみたいね。それなのに、帰って来るなりあたしたちの遊びに参加しようとせずに寝ちゃうなんて、美鈴らしくないわ。学校で何かあったのね。正直に話しなさい」
 理奈はそう言いながら、指の動きをさらに激しくする。詩織の指の動きも、次第に激しくなって行く。
「きゃははは、何もないわ、何も、きゃはははぁ」
「嘘おっしゃい。正直に言うまで、このままくすぐり続けるわよ」
「そんなぁ、きゃはははははぁ!」
 理奈と詩織の指が、ブラウスの上から腋の下をくじり立て、脇腹を滑ったかと思うと肋骨や腰に食い込んで激しく蠢き、奧の神経を転がす。不意に臍のそばを這い回り、お腹を掴むように食い込んで再び蠢く。
 耐え難い刺激の一つ一つが美鈴の身体を激しく痙攣させ、激しい笑い声となって咽から迸る。そして、思ってしまうのだ。今美鈴を責め嬲っている指が、琴音の指だったらいいのに、と。
 ――琴音ちゃん、ごめん。
 琴音がくすぐりで悩んでいるというのに、自分はそのくすぐりに喜び酔いしれている。しかも、あろう事か彼女を妄想の中にまで登場させてしまっているのだ。
 美鈴は心の中で謝りながら、くすぐりの嵐に身を委ね、笑い声を上げ続けた。あまりのくすぐったさに、目を開けていられない。視界が闇に閉ざされると、意識の全てがくすぐりの嵐に晒される。その嵐もまた、手の動きが見えなくなった事により、さらに激しさを増す。手と指の動きもますます激しくなって行く。凄まじい刺激が美鈴の上半身のあらゆる神経を激しく震わせ、熱狂的な音楽を奏でる。今にも気が狂ってしまいそうだった。
 時々、指が最も耐え難い部分に触れると、身体が大きくのけぞり、激しく蠢く。それを見て取ると、理奈と詩織はその部分を集中的に責め嬲り、美鈴をさらに激しく身悶えさせ、甲高い悲鳴と笑い声を上げさせる。
 美鈴はこれ以上、刺激に身を委ねる事はできなかった。このままくすぐられ続ければ、自分がどうなってしまうか分かっているからだ。もしそうなったら、ますます琴音に申し訳ない。それは、くすぐられる喜びを知らない琴音が決して体験できない至福の境地なのだから。
 美鈴はなおも激しく渦巻くくすぐりの刺激の嵐の中で悲鳴と笑い声を上げながら、今日の学校での出来事を白状した。
「なぁんだ。そんな事なら簡単よ。あたしたちに任せれば、万事解決間違いなし!」
 話を聞き終えた後もなおくすぐりの手を動かしながら、自信たっぷりに言う理奈。
「きゃはははっ、ほ、ほんと?」
「本当よ。さあ、正直に話してくれた御褒美よ。たっぷりと受け取ってちょうだい」
 理奈の指の蠢きが、さきほどにも増して激しくなった。それに合わせて、詩織の指も激しく蠢く。
「そんな、きゃはははははぁ、だめぇ、お願いやめて、きゃははははは」
 たまらず笑い声を上げる美鈴の耳許で、理奈が囁く。
「あれぇ、本当にやめていいのかしら」
「いやぁっ、お姉ちゃんの意地悪ぅ、きゃははははぁ、やめちゃいやぁっ!」
 理奈と詩織は、美鈴の望みのままに、はなおも激しく手と指を動かす。その動きのもたらす凄まじい刺激の嵐に、美鈴は激しく身悶えながら、甲高い悲鳴と笑い声を上げ続けた。

 次の日、美鈴が朝食を食べ終わる頃になっても、呼び鈴は鳴らなかった。ケータイにかけてみたものの、やはり留守電。結局、一人で学校へ向かう事になった。
 学校にも琴音は現れなかった。担任の話によると、体調がすぐれないので休むという連絡が母親からあったそうだ。
 その日は土曜日。授業は午前中で終わり、帰りのホームルームの後、文化祭の準備の続きを行なう事になっていたが、美鈴は琴音の見舞いに行きたいと申し出た。
「そいういう事は、クラス委員長である近藤さんの仕事です」
 担任の椎名恵美先生の言葉に、美鈴は焦りを隠せなかった。教室のみんなの視線が、先生と美鈴との間を往復する。
「彼女が行ったら、余計悪化すると思います」
 自分でも信じられないくらい、強い語気だった。言ってしまってから、美鈴は少しだけ後悔した。あまりにもストレートな言い方が、委員長の気に触れたかもしれない。
「体調不良が、かしら?」
 先生の無神経な発言に、美鈴は眉根を寄せた。先生は、琴音が学校を休んだ事と文化祭とは無関係だと本気で思ってるのだろうか。
「先生、私も柳沢さんに行ってもらった方がいいと思います」
 そう意見を述べたのは、見舞い役に指名されようとしていた本人、クラス委員長の近藤真希子だった。彼女の意見に先生も折れ、美鈴はようやく琴音の見舞いを任されたのだ。
 向かった先は、建てられてからまだ間もない一軒のアパート。一見木造のように見えるが、それはコンクリートの壁に精巧に描かれた木目のせいだ。火事や地震などの災害を想定した頑健な造りでありながら、見る者の目を和ませる美しさを兼ね備えている。
 二階への階段を登り、名簿に書かれていた番号のドアの前で立ち止まる。脇の壁に「岡本」という表札が掛けられていた。
「こんばんわぁ。琴音ちゃーん、あたしよぉ、美鈴ぅ」
 呼び鈴を鳴らしてしばらくすると、ドアが静かに開いた。顔を覗かせたのは、琴音をそっくり大人にしたような、美しい女性だった。透き通るような肌、ぱっちりと開いた目の中で輝く黒く大きな瞳、そして長く滑らかな艶のある髪が印象的だ。
 美鈴はドアの前で一瞬固まってしまった。
「ごめんなさいね。琴音、今日は誰とも会いたくないって……」
 女性がいいかけた時、奧の方から声が聞こえてきた。
「お母さん、美鈴ちゃんでしょ。彼女はいいの。入ってもらって」
 体調不良の割には張りのある声だった。やはり学校を休んだのには、他に理由があるのだ。
 琴音の言葉に頷くと、母親は美鈴を部屋の中に招き入れた。
 奧の襖を母親が開けると、その向うの部屋で勉強机の椅子に琴音が腰かけていた。美鈴に向ける笑顔がどことなく暗く不自然に見える。
「琴音ちゃん、体調悪いって聞いたけど、寝てなくて大丈夫なの?」
 美鈴はあえて、琴音の体調不良を信じている振りをしてみた。
「ごめんなさい、美鈴ちゃん。あたし、本当は学校へ行くつもりだったの。だけど、家を出たとたん、足がすくんで……どうしても、ダメだったの」
 琴音のか細い声に、母親が補足する。
「この子、生れつき肌が敏感で、くすぐられるとダメなのよ」
 そう言いながら、母親は悲しげに視線を逸らす。それは、何か言いたくない事を隠しているかのような仕種にも見えたが、美鈴は気に留めなかった。
 この時、美鈴の心は不謹慎な妄想に支配されていた。自分より敏感な肌を持つ琴音がくすぐられる時のくすぐったさはどれほどのものだろうかと想像しながら、人知れず胸を高鳴らせていたのだ。

 外に出てケータイで短い会話を交わした後、再び琴音の部屋に戻った美鈴は、これから琴音に家に泊まりに来てほしいと言った。
「お姉ちゃんが、ぜひ琴音ちゃんとゆっくり話がしたいって言うの。もちろん、琴音がいやじゃなければだけど」
「そんな、とんでもない。ぜひ遊びに行きたいわ」
 琴音の目が、普段の輝きを取り戻していた。
 先に外へ出て待っていた美鈴の前に、琴音は水色のTシャツにジーンズの半ズボンという姿で現れた。
 ほどなく二人は美鈴の家の玄関に立った。理奈に詩織、そして聡子までが出迎えにやって来た。
「琴音ちゃん、よく来たわね。さあ、上がってちょうだい」
 姉の理奈が琴音を応接間に案内するのを見送りながら、母の聡子が美鈴の耳許で囁く。
「なかなか可愛い子ね」
「それより、本当に治るの? 彼女のくすぐり恐怖症」
 聡子は、美鈴から聞いた琴音の様子から、彼女がくすぐりに対して過剰に嫌悪感を示すのは、肌が敏感である事よりも、何か精神的な物が強く影響しているからだと結論づけていた。
 声をひそめて聞き返す美鈴に、聡子は自信たっぷりに答えた。
「大丈夫。あたしたちの手にかかれば、簡単よ。さっそく準備するから、着替えたら降りて来るのよ」
 そう言うと、聡子は詩織と共に地下室へと消えて行った。

 応接室の横長のソファに腰かけた琴音は、ひどく緊張していた。家の前までは毎朝のように来ていたものの、中に入ったのは今日が初めてなのだ。それに加えて、美鈴の姉である理奈がすぐ隣に座り、琴音の横顔をまじまじと覗き込んでいる。琴音と違い、理奈には遠慮という物が全くない。琴音は理奈と二人きりである状況に、ある種の不安を感じ始めていた。
「ふふっ、そんなに固くならなくてもいいのよ。笑った顔を見せてちょうだい」
 理奈は美貌に微笑みを浮かべながら、片手の指先を一つに束ね、琴音のむき出しの膝に当てた。その指をゆっくりと広げる。
 それだけで、琴音の身体がガクガクと震えた。
「いやぁっ、ちょっと、やめて下さいっ!」
 琴音は逃げるようにソファから立ち上がっていた。半ば、理奈を睨むように大きく見開いた目には、うっすらと涙が浮かんでいる。
「ごめんごめん。琴音ちゃんがあんまり緊張してるもんだから、つい笑わせてみたくなったのよ」
 だが、結果としては逆効果だったようだ。理奈が琴音に近づこうと一歩進むと、琴音は逃れるように一歩後退する。理奈の顔にはとびきりの笑顔が浮かんでいるのだが、その笑顔がかえって琴音の恐怖感に拍車をかけているのだ。
「み……美鈴ちゃんは、どこに行ったんですか?」
 琴音は恐怖に怯えながら質問する。この家で唯一信頼できるのは、美鈴ちゃんだけ。琴音の本能は、そう判断していた。美鈴がいなければ、自分の安全は確保されない。
 その時、廊下から声が聞こえた。
「理奈お姉ちゃん、準備できたよぉ」
 詩織の声だった。
「ありがとう。今行くわ」
 詩織にそう答えてから、理奈は琴音に妖しげな笑顔を向けた。
「さあ、これからあなたの望みどおり、美鈴の所へ案内するわ」

 理奈は地下室への扉を開けると、美鈴に先に降りるよう促し、自分は後に続いた。
 やや黄色みがかった柔らかな電灯の光に照らされた階段を降りると、突き当たりに重厚なドアがあった。
 琴音は理奈に促され、ドアノブに手をかけた。向こう側に押すと、ギイ、と音がして、ドアが開いた。部屋の中は暗く、階段の光に慣れた目では様子を窺い知る事はできなかった。
 理奈に背中を押されるようにして、部屋に入る。二人の後ろで、再びドアが閉まった。理奈が壁のスイッチに手を伸ばした。
「ひぃっ!」
 ちょっとしたボール遊びができそうなほどの広さの部屋が電灯の白い光に照らされた瞬間、琴音は息を飲んだ。恐怖に怯えた顔が、見る間に青ざめる。
「い、一体、これはどういう事ですかっ!」
 琴音が驚くのも無理はない。彼女の目に飛び込んで来たのは、部屋の中央に立てられたX字のハリツケ台に手足をサポーターで拘束された、体操着姿の美鈴だったのだから。
 琴音が唯一頼りにしていた親友が、無防備な姿で手足の自由を封じられている。仲間を敵に捕えられたような状況に、どう対応していいのか分からなかった。
「琴音ちゃん、恐がらなくていいの。琴音ちゃんには、誰も何もしないから。ただ、あたしを見てくれてさえいればいいの」
 落ち着いた声でそう言ったのは、手足を拘束されている美鈴だった。すぐ傍には、美鈴と同じように体操着に着替えた詩織が、ハリツケ台に寄りかかるようにして立っている。
 さらに、その近くには、黒いシンプルなドレスを着た女が立っていた。お腹から脇腹にかけて、花の刺繍が施され、襟元や袖、そしてスカートの裾は複雑な柄のレースとなっている。まるで舞台の上のマジシャンを思わせる姿のその女性は、美鈴の母、柳沢聡子である。薄く化粧を施した彼女の顔は、理奈の姉と言っても通るほど若々しく見えた。
 無論、彼女にマジックの経験などはなく、これから始まるイベントも、マジックショーなどではない。
 聡子はハリツケ台の後ろに立つと、両手を美鈴の腋の下に近づけ、指を蠢かせた。
「いやぁっ!」
 悲鳴を上げたのは、琴音だった。指の蠢きを見ただけで、まるで自分がその指に触れられたような錯覚に陥ってしまう。
 思わず目を背けた美鈴の顔を、背後に立っていた理奈が両手で挟み込み、再び美鈴の方へ向けさせた。。
「琴音ちゃん、目を背けちゃだめよ。美鈴も言ったでしょ。見ていて欲しいって。さあ、美鈴の顔を良く見て。あの子はいやがってなんかいないわ。むしろ、早くしてほしくてたまらないのよ」
 理奈に促されて恐る恐る目を開く琴音。美鈴は指の蠢きが身体に触れるのを、静かに目を閉じて待っている。その顔には、うっとりとした笑みが浮かんでいる。
 全く恐がっていない、と言えば嘘になる。里美の指は、美鈴の身体にちりばめられた弱点の全てを知りつくしている。その指に激しく責め嬲られればひとたまりもない。
 美鈴が幼い頃、お昼寝の時や夜のお休みの時になかなか眠れないでいると、決まって聡子の指に小さな身体を弄ばれた。そして、痛くはないのに耐える事の難しい不思議な刺激の凄まじい嵐の中で悲鳴を上げているうちに、いつしか意識が遠のいて行くのだった。
 美鈴だけではない。理奈も詩織も、聡子の指の威力を十分すぎるほど体験し、恐れすら抱いている。
 しかし、美鈴はその指による気の狂うような刺激を再び存分に味わえる事に、胸を高鳴らせていた。それは遊園地で乗り込んだ絶叫マシンが動き出すのを今か今かと待っている時の気分に似ていた。
 腋の下に指の蠢きが触れた瞬間、美鈴の身体が大きくのけぞった。
「きゃはははははぁ、あああぁっ、だめぇ、お願い、きゃはははは」
 甲高い悲鳴と笑い声が、部屋に響く。
 腋の下から脇腹、腰へと激しく移動しながら蠢く指先の触れる箇所は、全て美鈴の我慢できないポイントであり、それらを美鈴の最も苦手な動きで責め嬲っている。ある箇所では触れるか触れないかの微妙なタッチで撫でさすり、ある箇所では柔肌に深く食い込んで奧の神経を激しく転がす。
 それらの動きの一つ一つが、美鈴の身体の中に、耐え難い刺激の嵐を送り込む。しかも、指は弱点から弱点へと絶え間なく移動し、その攻撃に慣れる暇を与えないのだ。
 これまで美鈴がくすぐられるのを何度か見た事がある琴音にも、聡子のくすぐりの凄まじさと巧みさがクラスメートたちのそれとは全く違うものである事が容易に見て取れた。
 激しく身悶える美鈴の狂気の悲鳴と笑い声に、琴音は再び目を背け、手で耳を塞ごうとした。その腕を、理奈の手が掴む。
 次の瞬間、理奈は琴音の両腕を自分の両腋に挟み込むようにして押さえ込んでいた。
 後ろから羽交締めにされた琴音のそばに、いつの間にか詩織が立っていた。琴音の目の前に腰を降ろし、両手を琴音の脇腹に伸ばす。Tシャツの上から肋骨に食い込んだ指に、琴音は恐怖の悲鳴を上げた。
「言ったでしょ? ちゃんと見てなきゃダメ。今度目を逸らしたら、この指を動かすわよ」
 脇腹に指という凶器を突き付けられた琴音は、自分よりも年下の詩織の言葉に逆らう事ができなかった。懸命に開いた目を、笑い悶える美鈴の顔に向ける。
 上半身の神経の全てをロックギターの弦のごとくかき鳴らす指の動きに、全身を激しく痙攣させる美鈴。顔を大きく歪め、笑い声とも悲鳴ともつかない狂気の声を上げ続ける。
 その美鈴にさらなる悲鳴と笑い声を上げさせようと、くすぐりの手をなおも激しく蠢かせる聡子に、琴音は思わず叫んでいた。
「やめて、もうやめてあげて! 美鈴ちゃんが何したって言うのよ!」
 その瞬間、琴音の指が一度だけ蠢いた。
「ああぁぁっ!」
 ただ一度の、一瞬の衝撃。しかし、琴音にとっては十分すぎるほどの刺激だった。身体が大きくのけぞり、甲高い悲鳴が迸った。
 その耳許で、理奈の低い声が囁く。
「琴音ちゃんは、自分の立場というものが分かってないようね。それとも、美鈴を見て、あなたもも同じ事をされてみる気になったのかしら?」
 琴音の可愛らしい顔が、恐怖に引きつった。もはや抵抗する事も声を上げる事もできず、ただ黙って親友が弄ばれる様を見守り続けるしかなかった。
 やがて、美鈴の笑い声が弱まり、身体の蠢きも次第に衰えて来た。全身から力が抜けて行く。
 突然、聡子によるくすぐりの手が止まった。
 笑いすぎて乱れきった呼吸を、息を弾ませながら整える美鈴。汗でぬれた頬に、振り乱した髪が貼りついている。
 美鈴の身悶えと狂気の声に引きつっていた琴音の顔から、力が抜けた。
 ようやく呼吸の震えが治まりかけると、美鈴は目を閉じたままうわ言のように呟いた。
「お願い……やめないで……もう一度して……」
 琴音は耳を疑った。あれほど美鈴を身悶えさせ、狂わせ、甲高い悲鳴と笑い声を上げさせていた指の蠢きを、美鈴は再び求めているのだ。
「そ、そんな……美鈴ちゃん……」
 叫び声がかすれた。見開いた琴音の目から涙がこぼれ、頬を伝った。
 くすぐりの刺激の凄まじさに、とうとう美鈴ちゃんが狂ってしまった。自分の知っている美鈴ちゃんではなくなってしまった。
 あまりにも突然の出来事に、琴音は混乱していた。どうしていいのか分からず、それがあまりにも悲しくて、目に溢れた涙が頬を伝う。
「琴音ちゃん、どうして……泣いてるの?」
 親友の涙を見て問い掛ける美鈴の声は、未だくすぐり責めの後遺症に震えている。
「だって……あたし……やめてって言ったのに……やめないから……美鈴ちゃん……おかしくなって……あたし……あたし……」
 自分でも何を言っているのか分からない言葉を呟きながら、いつの間にか琴音は理奈に誘導されるようにして美鈴の目の前まで来ていた。
 理奈によって抱え込まれていた両手が、その拘束を解かれ、今度は聡子の手によって手首を掴まれた。その手が美鈴の脇腹に導かれる。指が強制的に、美鈴の肋骨に食い込まされた。
「さあ、琴音ちゃん。今度はあなたが美鈴を喜ばせる番よ」
 耳許で囁かれる理奈の低い声に、琴音は思わず悲鳴を上げた。
「いやっ、そんな事、あたし、できないわ!」
 いやいやをするように首を振る琴音の頭の上から、美鈴の信じられない言葉が聞こえた。
「あたし、琴音ちゃんに狂わされてみたいの。あなたのその指、そのまま動かして見て。ちょうど、あたしの弱い所に当たってるから」
 美鈴の顔を見上げた琴音の目が、恐怖に見開かれる。いつものように優しく微笑む美鈴の顔が、目の前にあった。
「びっくりさせてごめん。でも、これが本当のあたし。みんなで身体をくすぐり合うのが、あたしたちの楽しみなの。だから琴音ちゃんも、あたしと一緒に楽しみましょう」
 琴音は自分が現実の世界にいるのか、それとも悪い夢を見ているのか、分からなかった。
 美鈴の言葉に何も言えず、何もできず、ただ呆然としている琴音の脇腹に、理奈が両手を当てた。
「琴音ちゃん、分かるかしら? あなたは可愛いから、みんなあなたの笑顔が見たくて、ついくすぐってみたくなっちゃうの。でも、美鈴がまだだめだって言うから、あたしたち我慢してるのよ。この中であなたを一番くすぐってみたいと思ってるのは、美鈴なのにね。でも、あなたが美鈴の言う事が聞けないのなら、あたしたちも遠慮なくいくわよ」
 理奈の意地悪な言葉と押し当てられた指の感触に、琴音は震え上がった。
「わ、分かりました。ごめんなさい……」
 慌てて両手の指を蠢かせる。美鈴の肋骨の震えが指先に感じられる。
「んあっ、くふっ、も……もっと、激しく動かして」
 琴音は言われるままに、指を激しく蠢かせる。その手を、聡子の手が巧みに移動させ、美鈴のいくつもの弱点を一つ一つ巡らせる。
「きゃはははっ、くすぐったい!」
「美鈴ちゃん、ごめん、大丈夫?」
 美鈴の悲鳴に、琴音は思わず指を止めて尋ねる。
「大丈夫よ。それ、すごくいいの。もっと激しくしてちょうだい。あたしが悲鳴を上げたり、身体が震えたりしたら、そこを集中的に責めるのよ」
 普段の美鈴からは考えられない倒錯的な言葉ではあったが、異常な雰囲気に半ば判断力を失いかけていた琴音は、もはや何の疑問も抱く事なくその言葉を受け入れ、夢中で指を動かしていた。
 やがてその指が力つき、思うように動かなくなると、聡子はようやく琴音の手首を放した。同時に、美鈴の両手両足の拘束も解かれる。
 その場に座り込んでしまった琴音の肩を、美鈴は両手で抱き締めた。
「琴音ちゃんの指、とっても良かったわよ。できればあたしからもお礼にお返しがしたいのだけど……」
 琴音の背中に回り込んだ手が、脇腹に触れる。
「い、いやっ、だめっ、それだけはやめて!」
 琴音は抱きすくめられた身体をガクガクと震わせる。その耳許で、美鈴は諭すように囁きながら、両手を肩の後ろに回し、優しく抱き締めた。
「ごめん。恐がらせるつもりはないの。琴音ちゃんがいやなら、何もしないから。でも、さっきお姉ちゃんが言った事は、本当の事なの。あたし、琴音ちゃんの身体、思いっきりくすぐってみたい。あたしの指で、琴音ちゃんを笑わせて、狂わせてみたい。今はまだだめでも、いつかきっと……」

 その夜、琴音は自宅に電話をかけ、「美鈴の家に泊まる事にした」と告げた。
 入浴をすませ、美鈴の家族と共に夕食を取った琴音は、美鈴の部屋で、その日の学校の授業内容について教えてもらえないかと頼んだ。琴音の優等生らしい考えに関心すると同時に、自分の嫌いな勉強の事を思い出さなければならない事に半ば苦痛を感じつつ、美鈴はノートを見せ、投げかけられる質問に必死に答えた。
 その後、二人はベッドの上に寄り添って横たわった。毛布の中でお互いに向き合い、片手を相手の脇腹にそっと当てる。美鈴が脇腹を撫でるように手を動かすと、琴音の身体がピクンと震えた。
「いやならいいの。無理にとは言わないわ」
 美鈴の言葉に、琴音は首を振った。
「ううん。あたし、がんばる。がんばって、早く美鈴ちゃんにあたしの身体、くすぐらせてあげられるようにするわ。だから、そのまま動かしてて」
 琴音は身体を小刻みに震わせながら、静かに目を閉じた。最初は耐え難く感じられていた親友の手の動きであったが、琴音の身体は意外にも早く慣れ、いつの間にか心地よく揺れるさざ波のように感じられるようになった。
 くすぐられて笑い悶えていた美鈴の顔、そして、その刺激を求める美鈴の声が不意に思い出された。その時の美鈴の気持が、今なら何となく分かるような気がする。
 美鈴の手による緩やかなさざ波に揺られながら、琴音は深い眠りへと落ちて行った。

 琴音は夢を見ていた。
 洋風な屋敷の廊下を、まだ幼い琴音が歩いていた。時刻は真夜中。お腹がすいて目が覚め、母親の所へ行こうとしていた。
 母の寝室に近づくにつれ、くぐもったうめき声が聞こえてきた。ドアを細く開けて中を覗くと、そこには異様な光景があった。ネグリジェを着た母がベッドの上に仰向けになり、両手両足を大きく広げた状態で、それぞれベッドの脚にロープで結ばれている。その上に父親がのしかかり、母親の無防備な脇腹に這わせた指を激しく蠢かせているのだ。
 母親は身体をガクガクと震わせ続けている。固く目を閉じ、何か叫んでいるようだが、口に異物を噛まされているせいで、うめき声にしか聞こえなない。異物から伸びた紐が頭の後ろでしっかりと結ばれており、口から外れる事を防いでいる。
 その様子を食い入るように見詰めているうちに、いつの間にか琴音は部屋の中に足を踏み入れてしまっていた。
 それに気付いた父親はベッドから降りると、琴音の方へ手を伸ばした。父親は、いつもと同じ、優しい表情を浮かべていた。
 しかし、ベッドの上の母親は、しきりに首を左右に振りながらうめき声を上げている。大きく開いた目が何かを訴えているかのように見えたが、それが何なのか、琴音には分からない。
 琴音が両手を伸ばすと、父親は琴音を抱き抱えた。ベッドの上に腰を降ろすと、琴音を自分の膝の上に座らせた。そして突然、脇腹に当てていた手の指を食いこませ、蠢かせ始めたのだ。
「きゃははは、何? 何なのこれ、きゃははははぁ」
 脇腹の至る所を突き刺すようにして身体に送り込まれた初めての異様な刺激に、琴音はたまらず笑い声を上げた。面白いわけではなく、おかしいわけでもないのに、なぜ笑いたくなるのか、全く分からなかった。痛くはないのに、その刺激から逃れたくてたまらなかった。
「あんまり大声を上げると、近所迷惑だなぁ」
 父親はそう言うと、片方の手で琴音の口を塞いだ。そしてもう片方の手を琴音のお腹の辺りに移動させ、再び指を食いこませて蠢かせ始めたのだ。
 新たな部分に襲いかかる異様な刺激に身悶えながら、笑い声も悲鳴を上げることができない。塞がれた口で息をする事ができずに激しく混乱していた琴音は、鼻で息をする方法を咄嗟に思い出す事ができなかった。琴音は凄まじい刺激の嵐と、だれにも助けを求められない恐怖と息苦しさの中で、深い闇に落ちて行った。


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