ミニメロン作品

学園祭で行こう

1
 朝の到来を告げる小鳥のさえずりに、柳沢美鈴は蒲団の中で耳を傾けた。窓のカーテンの隙間からは真っ青な空が覗いている。昨晩の雨が嘘のようだ。
 残暑の厳しい夜が続く中、昨晩は一日中降り続いた雨で涼しく、久しぶりにぐっすりと眠る事ができた。おかげで、いつもよりも少しだけ早く目が覚めたのだ。
 だが、すぐに毛布から出ようとはしなかった。枕元の時計を確認する。あと十分もすれば、家族が起こしに来る。その時まで待つのだ。なぜなら、家族に起こされる事は、美鈴にとって一日の最初の大切な楽しみだから。
 廊下からの足音は、意外に早くやって来た。続いて姉と妹の微かな囁き声。どうやら彼女たちもまた、今日に限って早く目が覚めたらしい。
 ――これならいつもよりも長く楽しめるわね。
 間もなく始まる至福の時間に胸を踊らせながら、美鈴は静かに目を閉じ、まだ眠っている振りを決め込む。
 ドアが開き、最初に入って来たのは妹の詩織だった。寝起き直後のショートヘアは多少乱れてはいるが、それでも精巧に作られた人形のような目鼻立ちの美しさは失われていない。黒々とした大きな瞳が好奇心に踊っていた。
 妹に続いて入って来たのは、姉の理奈。長い髪に包まれた端整な美貌に落ち着いた笑みを浮かべている。
 二人ともまだ起きたばかりらしく、パジャマ姿だった。
 無論、美鈴には彼女たちの姿を閉じた目で確認する事はできないが、脳裏には彼女たちの様子が克明に再現されていた。
 それでも、彼女たちの手の動きまでは分からない。それらの手がどこから責めて来るかは、その日その日で異なるからだ。
 薄目を開ければ確認できなくはないだろうが、それでは楽しみが減ってしまう。だから美鈴は視界を闇に閉ざしたまま、その瞬間を待つ。身体が震えないよう、全身からできるだけ力を抜く。
 その幸せそうな寝顔を見下ろしながら、詩織が囁いた。
「美鈴お姉ちゃん、まだぐっすり寝てるみたい」
「本当ね。でも、いつまで眠っていられるかしら」
 理奈の一オクターブ低い囁き声にも、好奇心がたっぷりと染み込んでいる。
 二人は「せーの」でベッドから毛布を剥ぎ取った。パジャマに包まれた美鈴は、ベッドの上で手足を大の字に大きく広げていた。姉と妹が美鈴を起こすやり方は、いつも決まっている。そのやり方を最大限に満喫しようという体勢なのだ。
 互いに顔を見合わせ、妖しげな微笑みを交わす詩織と理奈。美鈴が眠っている振りをしている事は明らかだが、それでも本人がしっかりと目覚めを認め、ベッドから飛び降りるまで徹底的に起こすのが、彼女たちの間の暗黙の決まり事だった。
 二人はベッドの上のターゲットに容赦なく攻撃を開始した。
 最初に狙ったのは、むき出しの足の裏だった。ベッド脇にしゃがみ、詩織が左、理奈が右の足をそれぞれ腕でしっかりと抱え、土踏まずに指を這わせ、蠢かせる。
 普段は感じることのない妖しい刺激を左右の足の裏から同時に送り込まれ、その耐え難さに美鈴の身体が一瞬震える。穏やかだった寝顔に緊張が走る。
 震える全身から懸命に力を抜く。別な生き物であるかのように勝手に蠢きだしだしてしまいそうな足先に送り込まれようとする力を必死に抑え込む。喉をついて洩れそうになる声を噛み殺す。
 そうしている間にも、足への攻撃はさらに凄まじく耐え難いものとなる。片方の手の指が土踏まずを這い回りながら、もう片方の手の指が足の指の間にもぐり込み、激しくくじり立てる。そして、指の内側や、土踏まずとの間のふくよかな膨らみにも指が容赦なく這い回り、妖しくも耐え難い刺激の嵐を送り込み続ける。それらの攻撃が、左右の足で同時に行なわれるのだ。
 美鈴はもはや身体の反応を隠す事はできなかった。眉根を寄せ、歯を食いしばりながらも、時折全身に力が入り、足の指が勝手に蠢いてしまうのをどうする事もできない。
 しかし、悪戯に夢中になっている二人は美鈴の反応を、本人の望みどおり、完璧に無視し、さらに激しく指を蠢かせる。
 いや、無視はしていない。二人は美鈴の反応の強弱を見極め、美鈴の弱点を確かめ、その部分をより執拗に責め立てているのだ。そしてその部分に慣れ始めた頃に、指は新たな弱点を求めて這い回るのだ。
 やがて好奇心旺盛な詩織の指は、足先から脹脛、太腿へと移動し、パジャマの上から妖しい刺激を送り込む。その手は時折左の足へも飛び移り、あるいは左と右の太腿に同時に妖しげな曲線を何本も描く。
 新たな部分に這い回る指の刺激に、太腿が小刻みに痙攣する。その痙攣を楽しみながら、指はさらに上へと這い進み、ついに上半身へと達した。細く括れた腰に指を食い込ませ、揉むように蠢かせると、美鈴の身体がまな板の上の魚のようにビクビクと跳ねた。
「眠ってる間にこんなに激しく動くなんて、お姉ちゃん寝相悪い」
 からかうように囁きながら、なおも激しく指を動かす詩織。
 一方、理奈は美鈴の大きく開いた足を閉じさせてまっすぐに揃えさせた。ベッドの上に上がり、揃えた美鈴の足を跨ぐようにして膝の上に腰を降ろす。そして目の前に二つ揃った足先に手を伸ばし、左右の足の裏と指の間を同時に責め嬲る。
 上半身では、新たな弱点を求めて移動した詩織の手の指が脇腹に食い込み、肋骨の間の敏感な神経の一つ一つを丹念に激しく揉み転がしている。
「んっ、くふっ……」
 噛み殺し損ねた声が美鈴の口から微かに洩れる。食い込ませた詩織の指先に、身体の震えがはっきりと感じられる。それらの反応の一つ一つを確かめながら、もっとも弱い箇所を探るように、蠢く指先を少しずつ移動させて行く詩織。
 突然、美鈴の身体が一際激しく震え、のけぞった。詩織はすかさず、脇腹に食いこませていた全ての指を、その箇所で激しく蠢かせる。
「ぐふっ、んああぁっ!」
 敏感な脇腹の中でも特に敏感な部分に炸裂した耐え難い刺激が、短い悲鳴となって迸る。その刺激から逃れようと、無意識のうちに身体を蠢かせ、大きく開いていた腕を閉じそうになる。美鈴は掌でシーツを力一杯握りしめ、腕が閉じようとする力に必死に抵抗していた。だが、それももう限界だった。脇腹のその場所を、あとほんの少しでも強く責められれば、あるいはそのすぐそばに潜んでいるかもしれないもっと敏感なポイントに指の蠢きが少しでも触れれば、腕は掌の抵抗を振り払って脇腹に密着し、甲高い悲鳴と笑い声が喉から迸ってしまいそうだった。美鈴の顔が刺激の嵐に大きく歪む。
 不意に、脇腹から詩織の手が離れた。次の瞬間、詩織もまたベッドの上に上がっていた。顔を跨ぐようにして開いた両膝が、それぞれ美鈴の大きく開いた腕の上に乗る。これで美鈴がどんなに腕に力を入れようとも、閉じる事はできない。その状態で、詩織は再び脇腹に手を伸ばした。
 その手はさきほどの弱点を正確に覚えていた。再び送り込まれる凄まじい刺激の稲妻に、悲鳴と笑い声を必死に噛み殺しながら耐え続ける美鈴。だが、身体の蠢きと痙攣はどうしようもない。
 それでもようやくそのポイントへの刺激に慣れ始めた時、指は再び移動し、ついに腋の下へと到着した。そこをパジャマの上からくじり立てられると、凄まじい稲妻がいくつも生まれ、身体の中を通り抜ける。
 さらに、さきほど責められていた脇腹にも、いつの間にか身体の向きを変えていた理奈の手が伸び、耐え難い弱点に指が食い込んで蠢き始めた。
「んっあぁっ、きゃはははははははぁっ、もうだめぇ、ああぁぁっ、きゃはははぁ!」
 ついに甲高い悲鳴と笑い声が部屋に響いた。必死に噛み殺そうとしても、一度迸った声はとめどなく溢れ、止めようがない。
「お姉ちゃん、起きた?」
「きゃははは、まだ起きてない。これは夢よ、寝言よ、きゃははははぁ」
 無邪気に尋ねる妹に、美鈴は笑声を上げながらもシラを切る。この笑い声はあくまでも寝言であると言い張る。
「乙女が寝言でこんな大声上げるなんて、恥ずかしい事この上ないわね。たっぷりとお仕置きしてあげる。夢の中でしっかりと受けなさい」
 理奈はそう言うと、なおも激しく脇腹の指を蠢かせる。同時に腋の下をくじり立てる詩織の指の動きも、よりいっそう激しさを増す。そして、美鈴の口から迸る悲鳴と笑い声も、次第に激しさを増して行った。
 だが、どれほど耐え難い刺激に苛まれようとも、「やめて」とは言わない。どれほど激しく笑い悶えても、姉と妹の執拗な指の動きが弱まる気配を見せない事に、美鈴はむしろ安心していた。この気の狂うような刺激の嵐を一秒でも長く味わっていたかった。自分の身体がどんなに激しく暴れても、やめてほしくなかった。
 美鈴の望みどおり、姉と妹によるくすぐり責めはなおも激しさを増して行った。
 やがて悲鳴を上げる体力を消耗し、笑い声の勢いが弱まり始めた頃、階下から母の声が聞こえた。
「みんな、早く降りて来なさい。ごはんですよ」
「はーい!」
 詩織と理奈は揃って返事をした。
「お姉ちゃん、まだ起きないね」
 なおも美鈴の腋の下を責めながら、詩織が言った。
「そうね。でももう時間ないから、美鈴は放っておこうか」
「そうだね」
 二人はくすぐりの手を止め、ベッドから飛び降りた。
 拘束の解かれた両腕をばね仕掛けのように脇腹に密着させ、上半身を起き上がらせる美鈴。身体の痙攣は治まらず、小さな声を上げながら笑い続けている。全身の骨と神経が、甘く痺れていた。
「おはよ、お姉ちゃん。大丈夫?」
 詩織は明るい笑みを浮かべながら、美鈴の顔を覗き込んだ。
 美鈴はようやく腋の下に密着させた腕を降ろし、顔を上げた。
「おはよう。……ふふっ、ははははっ、今日はね、あたし、最高の気分よ。だって、とっても楽しい夢を見たんだもの。ふふっ……」
 くすぐり責めの後遺症に身を震わせる美鈴。肩まで伸びた黒髪も小刻みに揺れている。美貌に浮かぶ笑みは本当に幸せそうに見えた。その笑顔につられてか、いつの間にか姉と妹も声を上げて笑っていた。

 柳沢美鈴は高校一年生。姉の理奈は今年高校を卒業し、地元の大学へ通っている。妹の詩織は中学二年生だ。その三姉妹と母親が、茶の間で朝食のテーブルを囲んでいた。美鈴と詩織は、すでにそれぞれの通う学校の制服を着ている。二人とも白いブラウスに紺のプリーツスカートだが、襟を結ぶリボンの形と左胸に描かれた校章が異なっている。美鈴は髪を左右の三つ編みに結い、白いTシャツにジーンズという軽快な服装の理奈も、肩の下まで伸びた後髪をポニーテールにまとめている。ちなみに父は海外に単身赴任中なので、ここにはいない。
「そういえば、舞姫ではそろそろ文化祭の準備が始まるんじゃないかしら」
 母親の聡子のその一言で、その日の朝食時の話題は美鈴の学校での文化祭となった。
 美鈴の通う舞姫女子学園高校の文化祭では、毎年のように演劇部や吹奏楽部などの文化系課外活動を中心に、様々なイベントが行なわれる。また、各クラスでもそれぞれの教室を会場として芸術科目での作品の展示会が行なわれる。それらのレベルの高さゆえか、各会場に入るには入場料を払う必要があり、それが学園の運営資金の一部となっている。その為、他の学校に比べて文化祭には特に力を入れており、準備作業も早めに始まるのだ。準備作業は主に放課後に行なわれ、深夜にまで及ぶ事もあるという。
 私立高校の中では格段に安い授業料でありながら、レベルの高い文化教育を受けられるというのが、舞姫の売り文句の一つであった。しかし、美鈴の入学とほぼ同時に同学園のPTAに加わった聡子は、学園の経営状況の実態に関する噂を耳にする事となった。ここ最近、文化祭での収入が減少傾向にあり、赤字経営が目の前に迫っているというのだ。
 受験教育を期待する親たちの意見を反映してか、現在は一般教科の教育に力を入れている分、芸術科目の時間数が昔に比べて削減されている。それに加え、課外活動に所属する生徒数も減少しているのだ。その為、文化祭のレベルは年々低下する一方だという。
 しかし聡子としては、娘の帰りが遅くなるという事が何よりも心配なのだ。
「とにかく、あまり遅くなるような時は、連絡するのよ」
 美鈴に向けられた聡子の言葉に妹の詩織が続く。
「そうそう。その時は、あたしたちも一緒に車に乗って、迎えに行くから」
「あら、迎えに行くのは私一人で十分よ。あなたたちが一緒だったら、うるさくて運転に集中できやしないわ」
 聡子は、もうこりごりといった様子でかぶりを振った。三姉妹のうち二人でも後部座席に揃えば、甲高い笑い声が車内に響き続ける事になるのだ。
「大丈夫よ。その時までには猿轡でも用意しとくから」
 姉の理奈の言葉に聡子が何か言い返そうとした時、呼び鈴が鳴った。慌てて時計を見る美鈴。
「あ、もうこんな時間だ。急がなきゃ」
 美鈴は顔色を変えて朝食の残りをかき込んだ。
「ごちそうさま。行ってきまーす」
 鞄を持ち、部屋を出て玄関に急ぐ。
 ドアを開けると、美鈴と同じ制服に身を包んだ小柄な少女が立っていた。美しい栗色の髪は、後ろを肩の上で、前を眉の高さで切り揃えられている。白い肌は餠のように柔らかそうで、整った目鼻立ちは西洋の人形を思わせる可憐さと同時に、少し幼げな雰囲気を漂わせている。ぽっちゃりとした小柄な体形が可愛らしい。クラスメートの岡本琴音である。
「おはよう、美鈴ちゃん」
「おはよう、琴音ちゃん」
 二人は連れだって学校への道を歩き始めた。
 学校へ向かう途中、二人はほとん喋らない。昨日見たテレビ番組や、学校の宿題の事など、数分も話をすると、すぐに話題が途絶える。二人揃って静かに学校への道を進む。
 話す事は山ほどあるはずなのに、美鈴の口からはうまく言葉が出てこない。琴音の方も、特に自分から話そうとはしない。ただ静かな微笑みを浮かべた顔を、まっすぐ前に向けている。
 美鈴はそんな琴音の横顔に思わず見惚れてしまう。そして、彼女の小さな身体に指を這わせたくてたまらなくなる。同時に、彼女の繊細な指で触れて欲しくてたまらなくなる。
 背中や腋の下や脇腹をくすぐられる喜びを、自分の指で教えて上げたい。そして、彼女の繊細な指による腋の下や脇腹への悪戯に、狂わされてみたい。
 そんな妄想を振り払うかのように、美鈴は激しく首を振る。
「美鈴ちゃん、どうしたの?」
 気がつくと、琴音が怪訝そうな顔を向けていた。
「あ、な、何でもないわ。ちょっと考え事してただけ」
「ふうん。美鈴ちゃん、最近考え事多いよ」
 琴音の言葉に一瞬どきりとしたが、それ以上追及される事はなかったので、内心ホッとした。
 自分の望みを美鈴に正直に伝える事はできない。そんな事をしたら、二人の友情が壊れてしまうかもしれないのだ。なぜなら、琴音はくすぐりが大の苦手なのだから。

 舞姫女子学園高校に入学して初めて琴音を見た時、美鈴は胸を高鳴らせた。早く友達になりたいと思った。
 琴音は休み時間になると、いつも一人で本を読んでいた。他のクラスメートも彼女とお近付きになりたいと思っているはずなのだが、美鈴は休み時間に彼女が誰かと話をしているのをあまり見た事がなかった。
 美鈴は彼女の席の近くまで何度も足を運んだが、いざ彼女を目の前にすると、何も言えなかった。本を読むのを邪魔したら、嫌われてしまうのではないか。そんな不安があったのだ。
 数週間が過ぎたある日、担任である椎名恵美先生の英語の授業でたまたま琴音が忘れ物をした時、先生が選んだお仕置きは「くすぐりの刑」だった。
 先生の目の前に立つ琴音に、クラス全員からの好奇心に満ちた視線が集中した。
 しかし、普段は感情を隠すように取り澄ました琴音の顔が、この時ばかりは青ざめて見えた。
「お願いです。それだけはやめて下さい。これからもう二度と忘れませんから」
 何度も頭を下げながら必死に訴える琴音であったが、先生は無情にも「お仕置き」を決行した。
 先生の指示でブレザーを脱ぎ、カカシのように大きく広げた両腕を、指名された二人の生徒の手によって抱え込まれた琴音の顔は、まるで凶暴な暴漢に囲まれたかのように怯え切っていた。
 無防備になった脇腹にブラウスの上から先生が両手の指を当てただけで、琴音は悲鳴を上げた。殺される直前に上げるような、恐ろしい悲鳴だった。指が妖しく蠢き始めると、悲鳴は一際激しくなり、甲高い笑い声が混じった。
 それから数秒も経たないうちに、隣の教室からやって来た別な先生が、咎めるような目で廊下から様子を窺っていた。それに気付いた椎名先生は、刑を中断するしかなかった。
「今回はこれで勘弁してあげるわ。もう二度と忘れ物はしない事よ」
 先生にそう言われて席に戻った琴音は、授業が終わるまでの間、ずっと震えていた。机の上に俯けた顔は栗色の髪で隠され、美鈴の席から見る事はできなかった。
 英語の授業が終わった後は、昼休みだった。美鈴は足早に琴音の席に向かった。
「岡本さん、大丈夫? 保健室へ行く?」
 まだ身体の震えが残る琴音に、美鈴は恐る恐る声をかけた。琴音に声をかけるのは、これが初めてだった。
「大丈夫。このままじっとしていれば落ち着くと思うから……」
 琴音は机の上に視線を落としたまま、美鈴の目を見ようともせず、乾いた小さな声でそう答えた。
「でも……」
 念のため、ベッドで休んでた方がいいよ、と言いかけた時、遠くから別な声が聞こえた。
「美鈴、早く弁当食べに行こうよ」
 結局、美鈴は琴音を教室に残し、席の近いクラスメート数名と共に屋上で弁当を食べた。
 教室に戻ると、琴音はクラス委員長の近藤真希子をはじめとする数名のクラスメートたちに取り囲まれていた。一人席に俯いている琴音に、生徒たちが冷たい視線を向けていたのだ。
「自分が悪いのに、そのお仕置きを免れる為にあんな大声で喚き散らすなんて、信じらんないわ」
 委員長の刺々しい声は、廊下にまで聞こえた。
 彼女は琴音の腕を引きあげ無理矢理立たせた。他の二人の生徒が琴音の左右の手を掴み、大きく広げさせる。
「いやぁっ、お願いです、やめて下さい!」
 これから何をされるのか思いあたった琴音の顔は、さきほどの授業中と同じように青ざめていた。
 美鈴は直感していた。恐らく琴音は、くすぐられるのがものすごく苦手な体質なのだ。
 幼少の頃から毎日のように好き好んで家族からくすぐられている美鈴にとって、琴音の抱いている恐怖は想像し難いものではあったが、とにかくそれ以上琴音が怯えるのを見ている事はできなかった。
「委員長、待って下さい! その子、いやがってるじゃないですか!」
 慌てて止めに入った美鈴に、委員長は毅然とした態度で答えた。
「何言ってるのよ。この子は先生からのお仕置きを拒否したのよ。学校の生徒としてあるまじき行為だわ。だから、さっき先生が決行できなかったお仕置きを、あたしたちが代わりにしてあげるのよ」
「それは、先生から指示された事ですか?」
 美鈴は勇気を振り搾って聞き返した。
 一部のクラスメートたちと同様、美鈴はこの委員長が苦手だ。彼女の言葉は刺々しいものではあるが、一応筋が通っており反論するのは難しい。だが、クラス全員をまとめ上げる役には、そんな彼女のような性格が多かれ少なかれ必要なものなのかもしれない。
「違うわ。でも、他の生徒たちが納得しないのよ。この子がくすぐられる所を見物できなくて、とても残念がってるわ」
 美鈴は教室にいた他の生徒たちを見回した。自分の席に座っている者も、他の席に集まっていた者たちも皆、好奇心に満ちた視線を琴音の方へ向けている。
「それなら、私が身代りになるわ。昼休みが終わるまで、たっぷりとくすぐられてあげる。だからそれに免じて、彼女の事は許して上げて」
 委員長は、琴音を取り囲んでいた数名のクラスメートたちと目配せを交わし、彼女たちと同時に頷いた。
「分かったわ。でも、後で後悔しても知らないわよ」
 真希子の指示で、琴音の腕を抱えていたクラスメートが手を離し、代わりにブレザーを脱いだ美鈴の大きく広げた両手を抱え込んだ。すぐそばに立っていた別な二人の生徒が、美鈴の前と後ろに移動した。後ろに立った生徒の両手が美鈴の腋の下に、前に立った生徒の両手が脇腹に伸び、それらの指が同時に蠢き始めた。
「くふっ、むふっ、きゃはははははぁ!」
 理奈や詩織と違い、二人のクラスメートの指の動きはくすぐりの経験に乏しい拙いものだった。美鈴の弱点を知らず、それらを的確に探り当てる事もままならない指の動き。それでも、美鈴に笑い声を上げさせるには十分だった。笑いを堪えようとはしなかった。むしろ、クラスメートたちへのサービスとばかりに、多少大袈裟に笑って見せた。
 笑いながら、教室の生徒たちの顔を見回す。皆、さきほどにも増して、目を好奇心に輝かせている。
 しばらくすると、その中の一人が椅子から立ち上がって近づいて来た。
「あたしにもやらせてよ」
 それにつられたかのように、別な生徒が近づいて来た。
「あたしもしたい」
 一人、また一人と、美鈴の周りに生徒たちが集まって来る。その中には、さきほど美鈴と共に屋上で弁当を食べた数名の友達も含まれていた。
 その後、昼休みが終わるまでの約三十分間、教室にいた生徒全員が交代で美鈴の身体をくすぐり続けた。ただ一人、自分の席に座り、机の上に落とした視線を時折申し訳なさそうに美鈴に向けていた琴音を除いて。
 この日以来、美鈴と琴音は連れだって登下校するようになった。

 五時間目になった。
 朝食時に美鈴の母の聡子が予想したとおり、今日から文化祭の準備が始まると言う。その為、五時間目と六時間目がロングホームルームとなり、担任の椎名恵美先生から詳細が伝えられた。その内容は、生徒たちにとって全く予想外のものだった。
 今年の学園祭では、恒例の文化系課外活動の発表を一切行なわず、その代わり、全校生徒が一丸となって、あるイベントに取り組むという。それは、生徒たちの身体を女性客にくすぐらせてお金をもらうというものだ。
 先生の説明が終わった後、教室は静まりかえっていた。
 美鈴は周りの生徒たちの顔を見回した。琴音の顔は、以前お仕置きを受けそうになったあの日のように怯え切っている。そればかりか、他の生徒たちの顔にも怯えの色が見て取れる。
 みんな自分勝手だ、と美鈴は思った。あの日、他人の身体を散々弄んで楽しんだというのに、同じ事を自分がされるとなると、とたんに態度が変わる。
 沈黙を破ったのは、クラス委員長の近藤真希子だった。勢い良く椅子から立ち上がり、抗議の言葉をぶつけた。
「先生、その話、納得できません。他のみんなも同じだと思います。それって、まるであたしたちに身体を売れと言っているようなものではないですか」
「何を言っているのです。さっきも説明したとおり、入場者は女性に限定します。あなたがたの身体を男性に触れさせるような事はありません」
「しかし……」
「それに、この決定がなされたそもそもの発端は、あなたたちなのですよ」
 先生のその言葉に唖然とする真希子。言葉はさらに続いた。
「忘れたのですか? ある生徒が私の授業で忘れ物をした日の昼休み、一人の生徒にあなたたちが寄ってたかって何をしたのか。学園祭実行委員会のメンバーがその時の様子を偶然目にした事が、今回の決定につながったのです」
 美鈴は、はっとして、琴音の顔を見た。琴音と目が合った。顔を人一倍青ざめさせた琴音の目が震えている。その目をまともに見る事ができず、美鈴は自分の机の上に視線を落とす。
 自分のせいだ。自分のせいで、琴音を苦しめる事になってしまった。あの時、琴音の身代りになるのではなく、クラスメートたちによる私刑自体をやめさせていれば、こんな事にはならなかったかもしれない。
 ――後悔しても知らないわよ。
 あの時の真希子の言葉が頭に響く。あの時の真希子の意図とは別な意味で、美鈴は激しく後悔していた。
 だが、いつまでも自責の念に取り憑かれている時間はなかった。
「それでは、これからさっそく準備に入ります。まずは各グループに分かれて、全員の感度と弱点の確認よ。今日の結果は入場者の方々に見せる案内書作りにも使うから、しっかり記録しておく事。いいわね」
 先生のその言葉に、皆はしぶしぶと従った。あらかじめ決められていたグループ毎に机を寄せ合い、相談を始める……というよりも、メンバーの顔色を窺う。最初にくすぐられるのはいやだ、と、皆の顔に書いてある。
 そんな彼女たちの背後で、さらに先生の声が響いた。
「ちなみに売り上げ一位だったクラスには、一週間の私服登校と、好きな先生を全員で存分にくすぐる権利が与えられるそうだから、みんながんばるのよ」
 その言葉に、それまで淀んでいたクラスの雰囲気が、急に張りを取りもどしたようだった。彼女たちの目にも、怯えより好奇心が宿り、輝く。
 その直後、売り上げ最下位のクラスには全校生徒によるくすぐりの刑が待っているとの声も聞こえたが、もはや皆は気にしていないようだった。
「それじゃ、まずはあたしからね」
 美鈴は、自ら進んで最初の被験者になる事を申し出た。同じグループの中に反論する者はなかった。
 大きく広げた両腕をグループ内の二人が抱えこみ、一人が美鈴の後ろに立つ。残る一人がノートを広げて準備完了だ。
 後ろに立った生徒の手が、無防備になった美鈴の脇腹にブラウスの上から両手の指を当て、蠢かせ始めた。
「ふふっ、きゃはははっ、そこ……もうちょっと上、そう、そこ弱いの、きゃははは、くすぐったい、でも……すぐに慣れちゃうから……少しずつ場所を変えてみて……」
 美鈴の笑い声に触発されたのか、他のグループの生徒たちも作業を開始した。
 教室中に笑い声が響く中、突然、ドアの開け放たれる音が聞こえた。誰か生徒の一人が足早に教室を出て行く。
 美鈴は慌てて教室を見回した。琴音の姿が見当たらない。先生も、琴音がいなくなった事に気付いていないらしい。琴音の席から遠く離れたグループの生徒たちと何やら話し込んでいる。
 くすぐったさに笑い声を上げながらも胸騒ぎを覚えつつ、美鈴はグループ内での最初の被験者としての役割を果たし続けた。

 ひとしきり身体をくすぐられ、その役を他のメンバーと交代すると、美鈴は次に回って来た記録係の仕事をも他のメンバーに押し付け、教室を飛び出した。
 真っ先に向かったのは保健室だった。しかし、そこに美鈴の姿はなかった。
 他のクラスの教室では、やはり文化祭に向けて、生徒たちのボディチェックが行なわれている。生徒たちの笑い声が廊下にも洩れてきていた。
 音楽室や理科室といった特別教室には、鍵がかけられていて入れないはずだ。
 教室への道を引き返しながら通りかかったトイレを一つ一つ確認しているうちに、女子生徒の泣き声を耳にした。個室の一つに鍵がかかっており、泣き声はその中から聞こえる。
「琴音ちゃんなの?」
「……美鈴ちゃん?」
 やはり個室で泣いていたのは琴音だった。
「琴音ちゃん、大丈夫? 教室に戻ろうよ」
 啜り泣きの音、そしてしばしの沈黙の後、個室から涙混じりの返事が返って来た。
「お願い、今はこのまま放っておいて」
 しばらく考えてから、美鈴は頷いた。
「分かったわ。先生には、早退したって言っとく。それから、琴音ちゃんをイベントのメンバーから外してもらえるよう説得してみる」
 そう言って、美鈴は廊下へのドアに向かった。
「美鈴ちゃん……ありがとう」
 後ろから聞こえた琴音の声には、未だ啜り泣きの涙が混じっていた。


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