『脱走』
秘書の伝えた報告は、北田の大きな衝撃を与え、考えようもなかった不祥事に、北田の心はパニックに陥った。
「何ぃ!脱走ぉ!?それは一大事だ!」
張りつめた緊張感は、影山の棒読み的な発言で一気に終息した。
「・・・・・・・・・・・・」
北田とその秘書は、揃って発言者の方を見やると、彼はばつの悪そうな表情で周囲に視線を泳がせ、やがてはそっぽを向いた。
「貴方ですかっ!貴方ですねっ!」
いきなり北田は影山の白衣の胸ぐらを掴んでガクガクと揺らした。確証も何もなかったが、不思議と雰囲気がそうだという状況を作っており、彼はそれを確信に変えて問いただした。
「お、落ち着け、落ち着くのだ。暴力にって得た証言は証拠として採用されないぞ」
北田のあまりの剣幕に、たまらず影山は両手を上げて降参の意を示した。
「緊急事態にこそ、冷静さが必要なんだぞ。まずは状況を把握する事だ」
(確かに・・・・)
あまりに唐突に発生した事態に、混乱し取り乱した自分を恥じた北田は、影山を解放し、軽く深呼吸した。
状況が少し落ち着くのを見計らって、再び影山が口を開いた。
「まず、脱走の原因からだが・・・・」
意味ありげに語る影山に、北田と秘書の視線が集中した。
「全て俺が原因だ」
直後に、北田のネックハンギングが影山にきまった。
「だ、だから、俺に対する暴力では、事態の解決にはならないんだって・・・・」
「そ、それでは、事に至った理由があるのでしたら、伺いたく存じますが」
とりあえず影山を解放した北田は、殺気だった目で詰問した。
「ま、まず、手引きに関してだが、計画性はない。ちょっとしたチャンスを与えただけで、脱走者はそれを活かしただけだ」
「どういう事ですか?」
「最初の施設巡回の時に3階も見回っただろ。その時、俺の予備IDカードと今回の施設チェックの予定表を「落として」行ったんだ。彼女達はそれを見て、セキュリティの幾つかが停止したタイミングを見計らって脱出したってわけだ」
「何故そんなことを?」
当然の質問である。
「その返答の前に、指摘しておくが、ここの職員は今日の点検でシステムの一部が停止するのは知っていたはずだ。だが、独立したIDカード式セキュリティに依存して、警備を怠った・・・・鍵一つで安心していた結果が、今回の事態だ」
北田は言葉に詰まった。かなり強引な話題転化ではあったが、確かに鍵に関する手引きがあったとは言え、指摘された過失によるところも大きいと思えた。詳しくは関係者の事情を聞くべきであろうが、機器類に管理を依存していた傾向は否めない。
「とまぁ、この手引きで事件が起きる事は予想していたから、これからが抜き打ち訓練の本番だ。早速始めようか」
このコロコロ変わる展開に、北田は脱走報告を受けた以上に戸惑った。
「は?はぁ?」
セキュリティに関する評価をしたかと思えば、今度は訓練云々である。状況を理解しきっていない北田についていける内容ではなかった。
「逃げた奴隷の追跡訓練だよ。まさか放置して置くわけにもいかないだろ?」
影山は呆ける北田に要点を告げた。
「そ、それはそうですが、追跡なんて出来るんですか?逃亡人数も未確認ですが、密林に逃げ込んまれては・・・」
逃亡が不可能・無意味な環境に設立されていただけあって、脱走などと言う行為は起きないと言う概念が勝手に誕生しており、逃亡時の対処案が存在していなかったのである。
「言っただろ、訓練だって。奴隷連中はくすぐりコルセットを常時着用させているんだろ?」
「それはもちろんです」
「奴隷自ら外す事は?」
「出来ません」
「なら大丈夫だ」
各種簡単な質問による、総合的な結論を一言で言いまとめる影山。
「・・・・・・あ、あの、影山さん」
「ん?」
「この騒ぎも、当初の予定通りなんですか?本当に?」
彼の妙な落ち着きと、楽しそうな目は、責任者と言う立場にいる北田には、今のところ大きな不安材料でしかない。
「ああ。ついで言うと、公式な物でもあるぞ。いくら俺でも未公認でここまではしないさ」
そう言って影山は、懐から封書に入った報告書を取り出し、それを北田に差し出した。
そこには、何かと理由を付けて今回の一件の実施を要望する申請書と、何故かためらいがちに押されたように見える、水沢の承認印があった。ともかくも、形式だけは整っているのは間違いなかった。
「あっ、そう言えば、この『企画』を本当に実施する際には、これを君にって預かってたんだ」
思い出したように影山はもう一通の封書を、差し出した。
北田はそれを受け取ると、早速封を切り、その中の文面に目を通した。
『大変だろうが、自分を見失わずに・・・・・・お気の毒に・・・・』
ただ一行、手書きでそう書かれているだけであったが、水沢が心底、北田に同情しているのが分かるような気がする文面だった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
組織の評価は正しい。北田は心底そう思った。
「さぁ、全員を会議室に集めてくれ。今回の趣向を説明するから」
「趣向?」
当人の心配をよそに影山は言った。今ひとつ、彼の考えが分からない北田であった。
あれから早々に呼集がかけられ、施設の職員全員が2階の会議室に集められた。
各席には職員。壇上には北田と影山が立って、話が勧められていた。
「では、密林に逃げ込んだのは3人だけと言う事か?」
「はい、確認しています」
影山の確認に、調教師の一人が自信を持って答えた。当初、3階の奴隷フロアより逃亡した者は12人であったが、9人が密林に逃げ込むことを躊躇して、あるいは逃走手段を探して屋上やガレージにいた所を捕獲されていた。
残った3人が、思い切りよくあるいは無謀にも、裸同然の姿で密林に逃げ込み、行方をくらましている・・・・・・・と言うのが現状であった。
まずは全員で状況確認という事で、話を進めていたのだが、この数値は北田にとっては予想より少なく、影山にとっては少なすぎた。
『企画者』である影山の構想では、10人前後の逃亡が望ましかったのだが、やり直しが出来ないため、現状のまま進めるしかなかった。
「わかった。ではこれより、逃亡者3名追跡に関するルールを説明する」
「「ルール?」」
思いがけない単語に、会議室内がざわついた。
「なんだ?事もあろうに、この施設を脱走した者を、全員で連れ戻してそして終わり・・・・なんて思ってたのか?」
一同の反応に、影山はそれこそ不思議そうな眼差しで、室内を見回した。
「いいか、この追跡には幾つもの目的がある。1つは、この施設からの脱出は不可能である事を改めて奴隷連中に知らしめる。2つ目は、例え密林に逃げ込んでも、結果は同じと言う事も教える事。3つ目はそう言った軽率な行動がどういう結果になるかを改めて思い知らせる事。そして、追跡者となる君達の非常時訓練だ」
本当か?横で聞いていた北田は思った。
「特に今回は、非常時における君達の能力を見るには良い機会だと思っている。それに、この訓練において、成績の良い者にはそれなりの報酬・・・と言うより、役得があるんだが、分かるか?」
「ひょ、ひょっとして・・・・」
影山の発言に、にわかに室内がざわついた。
「逃亡者を捕らえた者は、その場で自由な『懲罰』を与える権限を与える」
影山の明言に、調教師達が一斉に色めき立った。
「だが、最低限の事は守ってもらいたいために、これからそのルールを説明する」
勝手に盛り上がりかけた場を、影山が素早く制し、話を続けた。
「まず、追跡者となる君達全員には、奴隷達が着用しているくすぐりコルセットの起動リモコン兼、探知機を供給する。これは、コルセットの受信反応を利用した探知機で、奴隷達のおおよその位置が表示されるようになっていると同時に、コルセットのくすぐり機能の起動スイッチでもある」
「ただし、訓練と言う余興の名目上、その精度は良くはない。探知機の探査能力はおおよそ100メートル前後で、表示は約20メートル単位となっている為に正確な位置が割り出せない上に、起動スイッチも半径7メートル以内でなければ起動しないようになっている。わかるな?この条件下で逃亡者を捜索しろと言う事だ」
「そして、捕獲に成功した時点でこちらに報告すること。報告が成された時点で、他の追跡者は横取りをしないこと」
「捕獲方法や懲罰に関しての手法は問わないが、致命傷を与えないこと・・・・・以上を遵守して行動してもらいたい」
一つ一つの条件を、確実に把握してもらうよう、区切りをつけて説明する影山。
「ちなみに、目に余る違反をした者は、清水ガールズや、お嬢様方の生贄にするのでそのつもりで」
「他に質問は?」
言いたいことを言い終えた影山が一同を見回す。
ない!
一同の表情が語っていた。それよりも早く追わせろと言う意志がひしひしと感じられた。
「それじゃ、スタート」
その重いが通じたのか、影山はえらくあっさりポンと手を叩くと訓練という名目の、少女追跡ゲームの開始を宣言した。同時に調教師達は我先にと一斉に会議室から出ていった。
「ん〜、みんな元気で良いねぇ」
小学校時に教わったマナーをすっかりと忘れた勢いの一同を見送って、影山は嬉しそうに頷いた。
「何だか、勢いよすぎる気もしますが・・・・」
「それだけ欲求不満だったってことさ?」
「そうなんですか?」
「そりゃそうさ、ここは特別調教施設だろ。調教師は色々な女と対面する機会はあっても、その手法はマニュアル化されていて、他のように自分の自由に出来る事が少ないだろ。だから欲求もたまるってもんだ」
「そう言われれば・・・・」
「君は秘書さんと上手くやっているから気づかなかったかな?」
「お恥ずかしい話です。管理者としては配慮が足りませんでしたね」
「な〜に、俺もここへ来る事が決まってから、何か手みやげでもと思って、色々考えた結果、こういった余興の方がうけるだろうと思ったまでさ」
「そうすると、3人だけの楽しみにしかなりませんか?」
「上位3人に入れなかった連中には、逃亡途中で失敗した9人の集団懲罰を残念賞にしてあてがえば良いだろ。当初の予定じゃ、もう少し多く逃亡すると思っていたんだが、それは奴隷達が精神的に逃げられないと諦めての結果だろうし、その点はこの施設の普段の評価に値するんだけどね」
施設の玄関から勢いよく出ていく追跡者達を窓から眺めながら語る影山を、北田は複雑な心境で眺めた。
「・・・・・・・・・・」
「ん?どうした?」
「いえ、影山さんって、色々考えているんですね・・・と思いまして」
「ただ、退屈なのが嫌なだけだよ。状況を利用して、自分で何かできるなら実施して、楽しまないとな。もっとも、失敗して騒動になることもあるけど」
「騒動・・・ですか」
北田は噂に聞いている影山関連の騒ぎが、そう言った思考の産物である事を何となく悟った。噂の騒動に統一性がないことから、本当にその場の状況から何かをしでかそうとしたのだろうと一人で納得した。
「それはそうと、こちらも各員の発信をトレースして、状況観察でもしようか」
影山は、自分の端末を会議室の端末に繋ぎ、それを経由して会議室モニターにCGによる地図を表示させた。
地図の中央にはこの施設が位置し、半径10キロの密林が表示されていた。その密林内に3つの赤い光点と、施設から各方向へ広がる青い光点が28個分存在した。これが調教師達を中心とした追跡チームであった。
現時点では供給された探知機の範囲外であることが明白だったため、全員が均等に全方向へと散開したのである。その方向に逃亡者がいるかどうかは運次第ではあるが、全員が我こそはと獲物を狙っているのは間違いなかった。
「逃亡者の二人は組んで逃げているな」
揃っている2つの光点を指差し、影山が言った。
「あれは・・・川の方角ですね、流される程、急流でもない小川ですけど、あれに従って下れば、村にまで行ける可能性はありますね」
「村?見なかったけど?」
「既に廃村です。ですが、緊急時用に我々の避難用家屋が幾つか用意されています。外見は廃屋なので、この二人に見分けがつくとは思いませんが・・・」
「捕獲の仕方によっては、そこがお楽しみの会場となるかな?」
「そうかもしれません」
二人は言葉を交わしながらモニターを見つめ続けた。
『目標』に着実に近づく者、迷走し捕捉コースを外れる者、既に捕獲チャンスがなくなった者、そして確実に施設から遠ざかろうとする逃亡者。
全ての状況がこのモニターでチェックされていたが、影山は楽しげに眺めるだけで決して指示を出そうとはしなかった。
彼自身が明言したように、これは一種のゲームであり訓練でもあった。だからこそ、現場にいる者達の判断のみで行動させているのであり、本当の突発事態であれば、このモニターにより的確な指示が与えられ、逃亡者は迅速に捕らえられていただろう。
望んでいたことではなかったにせよ、施設は始まって以来、初めての活気に満ちていた。
そう北田は感じるのであった。
(予告)
逃げるから追う、追われるから逃げる。
光と影、男と女、表裏一体の関係は、どの様な結果となるのか?
次回、マッド「C」の生活 『影山の多忙な1日』〜後編〜
無謀な逃亡者に未来は遠い
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