ミニメロン作品

乙女の指が踊る時

1:若葉の季節
 異国の城を思わせる白い建物が、春の柔らかな陽射しを受けて美しく輝いていた。壁にはアーチ形や円形をした窓が規則正しく並び、所々に小さな装飾の施された銀色の線に縁取られている。屋上の中央に設けられた時計台は、その建物が学校の校舎である事を物語っていた。聖スマイル女学園に三年前に完成した、新校舎だ。
 満開の桜に囲まれた校庭には、全校生徒と教職員が整列していた。女子生徒たちの身体を包むのは、白を基調としたセーラー服。セーラーカラーと手首回りはオレンジ色。同じくオレンジ色のスカートは太腿の上までのミニ。膝から下を覆うのは、黒のニーソックス。ミニスカートとニーソックスとの間に露出する太腿が、彼女たちの健康美をなお一層際だたせて見せている。
 演台の上では校長先生として紹介された女性が、凜とした声で話をしている。
 生徒たちの列の中で顔を上げた吉本若菜は、演台に立つ彼女の姿を見て息を飲んだ。校長先生と呼ばれる割にはかなり若い。
 校長先生ばかりではない。演台の前に並ぶ他の先生方も、今年学校を卒業したばかりと言って通るほどの若さに見えた。
 若菜は胸に抱いていた期待の中に少なからず混じっていた不安が少しずつ晴れて行くのを感じた。新しい学校、新しい生活。それらにうまくなじめるかどうか分からない不安。そういった物が、校舎の美しさや若く親しみやすそうな先生方を目の前にした事によって徐々に消え始めていた。
「乙女たる者、決して笑顔を絶やしてはなりません。笑顔を絶やさなければ、どんな困難でも乗り越える事ができる。ここはそれを学ぶ場所なのですから」
 校長先生はそう締めくくって、演台を降りた。
「笑顔か……」
 若菜は校長先生の言うとおり、試しに笑顔を作ってみた。そうしてみて始めて自分が今まで転校の不安に顔をこわばらせていた事が分かる。
 肩の下まで伸びたツインテールの栗色の髪を春風に揺らしながら、それまでわずかに曇らせていた顔を明るく輝かせる。
 微笑みを浮かべてみると、何だか気持ちまで明るくなるような気がした。

「ねえ、あなた、吉本若菜さんでしょ?」
 始業式が終わり、生徒達の列が崩れ始め、昇降口に向かって歩き始めた時、若菜はいきなり手を掴まれた。
 驚いて振り向くと、大きな目をクリクリと輝かせた小動物のような感じの小柄な少女が目の前に居た。柔らかそうな栗色の髪をポニーテールにまとめ、肩の下まで伸ばしている。好奇心いっぱいの表情で、若菜の手首を両手で掴んでいた。
「え、ええ、そうですけど」
 咄嗟に答える若菜の声は、緊張して震えていた。
「あたしは、松澤理紗っていうの。理紗って呼んで。それで、あなたの事、若菜って呼んでいい?」
 若菜をつかまえた事が嬉しくてたまらないといった様子でまくし立てる理紗に、若菜は思わず頷く。
「え、ええ」
「やったぁ! 若菜、寮に入るんでしょ? あたし、若菜と同じ部屋なんだ。それで、ホームルームが終わったら、あたしが寮部屋まで案内してあげる……と言いたい所だけど、あたし、今日は放課後用事があるんだ。おーい、美咲ぃ!」
 若菜の声に横顔を向けたのは、まっすぐな黒髪を肩の下まで伸ばした美少女だった。理紗と若菜に冷たい視線を投げてよこしながら、ぶっきらぼうに言った。
「何か用?」
 彼女の態度の冷たさに、思わず立ち止まり身を固まらせる理紗と若菜。咄嗟に首を横に振る。
「しゃべってばかりいないで、さっさと教室へ戻るのよ」
「「はーい」」
 若菜と美咲は口を揃えて答えた。
 人混みに流されるように歩きながら、若菜は神妙な顔で美咲にそっと耳打ちした。
「あの人、恐い」
「そう? 今はそうだったわね。でも、普段はそんな事ないのよ。あの子ったらね……」
 含み笑いを浮かべながら小声で話す理紗の声が聞こえたのか、美咲の流し目が再び二人に向けられた。その視線の冷たさに、若菜は再び身を凍らせた。

「それでは皆さんに改めて転入生を紹介します」
 教室に戻った後、若菜は担任の先生に促され、みんなの前で自己紹介をした。
「吉本若菜と申します。親の都合でこの学校に転入する事になりました。よろしくお願いします」
 若菜が頭を下げた時、クラスのみんなが口々に感嘆の声を上げた。
「あの子、転入生だったの?」
「どうりで、見たことのない顔だと思ったわ」
 彼女たちの言葉を聞いて、若菜は気付いた。今日は始業式。クラス替えが行なわれたばかりで、みんなお互いの事をほとんど何も知らないのだ。それにも関わらず、理紗は若菜の事をいち早く見付けて声をかけてくれたのだ。
 顔を上げた時、先生が空席を指さした。
「あなたの席はあそこ」
 そこは、理紗の隣だった。
 若菜が席に着くと、理紗は嬉しそうに手を振って見せた。他の生徒たちも何人か若菜の方を珍しそうに見ている。
 ただ、理紗の向こうの遠く離れた席に座っていた美咲は、若菜に関心などないかのように、ただじっと前を向いたままだった。

「おーい、美咲ぃ!」
 ホームルームが解散になった直後、教室を出て行こうとする美咲を呼び止めた。若菜の手を引き教室の出口に立つ美咲に追いついた。
「分かってると思うけど、あたし、これから大切な用事があるの。だから、吉本さんをあたしたちの部屋まで案内してあげて」
「いいわ」
 美咲はいたって事務的な口調で答えた。まるで面倒な仕事を言いつけられたかのような様子だった。
「それじゃ、行くわよ」
「は、はい」
 教室を出て行く美咲を、若菜は慌てて追いかけた。
 昇降口までの廊下を歩きながら、明るい口調で話しかけてみる。
「ねえ、美咲さん」
 下の名前で呼ばれた直後、美咲は振り返った。眉間に襞を寄せている。
「初対面の人の事を下の名前で呼ぶなんて、礼儀知らずな子ね」
「え? あ、ごめんなさい。上の名前、まだ聞いてなかったもので」
 一瞬たじろぎながらも、若菜はおどけるように自分の頭を手で叩いて見せる若菜。
「まあいいわ。私は湯本美咲」
「私は吉本若菜」
「それは知ってるわ。さっき紹介されたばかりだもの。それより、何? 聞きたい事でも?」
「え、えーっと……」
 さきほどの美咲のあまりの無愛想な反応に、若菜は何を聞こうとしていたのかを一瞬忘れてしまっていた。
「あ、そうだ。私を湯本さんたちの部屋へ案内して頂けるのは、そこでこれからイベントか何かが行なわれるからでしょうか」
 その質問に、美咲は再び不機嫌な顔を向けた。
「何を言ってるの。そこはあなたの部屋でもあるのよ」
 その意味を理解した時、美咲の不機嫌な理由が分かった。同時に若菜の気分もまた一気に重くなって行った。
 ――私の部屋って、もしかして3人部屋? しかもこの人と同室になるの?
 このような無愛想な人間と同じ部屋で何ヶ月も生活するなど、若菜には到底不可能な事のように思えた。
 その時、ある考えが浮かんだ。
 ――そうだ。確か、こういう無愛想な子もこうすると……。
 若菜は再び前を向いて歩き出した美咲の背後に近づくと、いきなり彼女の左右の腰と腕との間に自分の手を入れた。
「湯本さん、腰揉んであげましょうね」
 そう言いながら、制服の上から腰に指を食い込ませ、揉むように蠢かせる。
「あっ、きゃははははぁっ!」
 突然脇腹に襲いかかった異様な刺戟に、美咲は思わず甲高い笑い声を上げた。廊下を歩いていた他の生徒たちの視線が二人に集中する。
 とっさに美咲の手を振りほどいた美咲が若菜の方に向き直る。その顔は、さきほどにも増して怒りに満ちていた。
「一つだけ言っておくわ。学校でも寮でも、今みたいな事は絶対禁止だから!」
 静かだが、殺気に満ち溢れた声だった。
「ごめんなさい、ごめんなさい!」
 ごめんなさいを連発しながら何度も頭を下げる若菜。
「分かればいいのよ」
 美咲は踵を返すと、再び昇降口へ向かって歩き始めた。

 校舎を出て校庭とは反対方向へ少し歩いた所に、学校と寮の敷地を分け隔てる門があった。
 門を通り、何種類かの花に彩られた小さな庭を通りすぎると、三階建ての四角い建物の玄関に辿り着いた。
 学校と同様最近できたばかりの建物らしく、軟らかな色の絨毯の上のあちこちにソファーが散在するロビーは、まるでホテルのような感じだった。
 階段で2階に上がり、案内された部屋には机とベッドが三つずつ。
「荷物はもう届いているわ」
 美咲は三つ並んだベッドのうち、真ん中に位置するものの脇に並べられている三つの段ボール箱を指さした。
「それじゃ、あたしは宿題をやってるから」
 美咲は部屋の一番奥、窓際の机の前の椅子に座ると、鞄から取りだした教科書とノーツを机の上に広げた。
 恐らくその机の後ろにあるベッドが美咲ので、部屋に入って一番手前の机とベッドが理紗のなのだろう。
 二人とも真ん中を使っていないという事は、美咲と理紗の中はあまりよろしくないのだろうか。学校ではそうは見えなかったが。
 そんな事を考えながら、若菜は一個目の段ボール箱を開けた。中味は下着や私服など衣料品類。どこにしまえば良いのか探そうと辺りを見回すが、どこにも洋服箪笥らしき物はない。
 その時、美咲が机に向かったまま唐突に言った。
「ベッドの下、引き出しになってるから」
 若菜がベッドの下を覗くと、確かに左右3段に分かれた引き出しがあった。

 三つの段ボール箱の中味をようやくしまい終えた時、若菜はふとある事を思い出し、生徒手帳を取り出した。校則の書かれたページに目を通す。他人をくすぐってはいけないという校則は、どこにも見当たらない。
 もう一度最初から念入りに読み返そうと思った時、部屋のドアが開き、理紗が入って来た。
「おーい、美咲ぃ。あれ、寝てるの?」
 いつの間にか、美咲は机の上に乗せた両腕を枕にして静かな寝息を立てていた。大きく開かれた腋と脇腹が、制服に包まれているとは言え、ひどく無防備に見える。
 若菜は美咲の寝顔を覗き込んでみた。その平穏で可愛らしい寝顔からは、起きている時の態度の冷たさは想像できなかった。
 理紗は意地悪な好奇心に目を輝かせながら美咲の背後に歩み寄ると、彼女の無防備な左右の脇腹に制服の上から両手の指を食いこませ、激しく蠢かせた。
「んっ、ああっ、あはははははっ!」
 甲高い笑い声と共に目を見開き身を起こす美咲。とっさに閉じた腕と脇腹との間に、理紗の両手が挟み込まれた。その手の指を理紗はなおも激しく蠢かせ続ける。
 もがきながら椅子から立ち上がる美咲。ようやく理紗の手から逃れると、腕をきつく閉じたまま身を震わせながら、理紗の顔を思いっきり睨んだ。
「なんでこんな事ばっかりするの。やめてって言ってるでしょ?」
「だって、美咲の笑った顔、とっても可愛いんだもん」
 美咲の笑顔にひどく感激したと言わんばかりの表情で答える理紗の顔を、なおも睨み続ける美咲。
 そこへ、若菜が恐る恐る割って入る。
「あの……松沢さん、やっぱり寮則違反は良くないと思うのですが……」
「寮則違反?」
 キョトンとした顔で若菜と美咲の顔を交互に見比べる理紗。美咲は理紗からそらした視線を天井の方へさまよわせている。
「湯本さんから聞きました。学校でも寮でも、人をくすぐっちゃいけない決まりとか」
「え?」
 若菜の言葉に理紗は目を見開き、口まであんぐりと開けたま数秒間固まっていた。
「それ、美咲が言ったの?」
「そう言ったつもりなのですが」
 理紗が美咲の方へ視線を向けると、美咲もまた一瞬だけ理紗に視線を向け、再び天井に向けた。
 しばしの沈黙の後、突然理紗がお腹をかかえて笑い出した。
「な、何がおかしいの? 本当の事よ。くすぐるのは禁止っ!」
 美咲は赤らめた顔を膨らませて抗議する。
「きゃはははは、美咲ったら、自分がくすぐられるのがいやだからって、転入生にそんなデマを……きゃははははは!」
 制服のまま絨毯の上で笑い転げる理紗。
「そうなんですか?」
 若菜は美咲の方へ顔を向けてみる。美咲は相変わらず上を見上げたまま何も答えない。
 そんな美咲に、いきなり理紗が飛びかかった。
「正直に言いなさい!」
 勢い余ってベッドに倒れ込む理紗と美咲。すかさず美咲の両脇腹を捕まえる理紗。制服の上から指を食い込ませ、はげしく蠢かせる。
 美咲はたまらず甲高い笑い声を上げた。
「きゃははは、いやぁっ、やめて、やめて、きゃはははははぁ!」
 激しく御を捩り、理紗の手の指の蠢きから必死に逃れようとする美咲。しかし振りほどかれた理紗の手は、それを待っていたかのように、お腹や背中へと移動し、さらには制服の内側へともぐり込み、なおも激しく蠢きながら、美咲の身体に耐え難い刺激の嵐を送り込む。
 湯本美咲がこれほど激しく笑うのは、若菜にとっては意外だった。いつも落ち着き払っていて、どこか冷たい。そんな普段の彼女からは想像できない笑顔だった。
「さあ、若菜もいっしょに……」
 理紗が若菜の方へ顔を向けた時、その一瞬の隙をついて、美咲が理紗の手から逃れた。ベッドから転がり落ちるように降り、立ち上がる。
 慌てて追いかけようとする理紗。その時、部屋に乾いた音が響いた。
 次の瞬間、まるで時間が止まったかのような静けさが部屋を満たしていた。理紗がベッドの上に座ったまま、赤く腫れた頬に手を当てている。
「いい加減にしなさい!」
 美咲の叫び声が狭い部屋に響く。
「ごめん」
 理紗が小さく呟いた時、部屋にノックの音が聞こえた。
「は、はい」
 対峙している美咲と理紗のかわりに、若菜がドアへ向かった。
 ドアを開けると、制服を着た一人の生徒が立っていた。肩の下まで伸びた黒髪を左右の三つ編みにまとめ、前髪を綺麗に切り揃えている。一瞬目を丸くして若菜の顔を見つめた後、分かった、と言うように頷いた。
「あなたが吉本若菜さんね。ちょうどいいわ。あなたたちを呼びに来たの」
 そう言ってから部屋の中を覗き、美咲と理紗に声をかける。
「理紗ってば、また美咲とケンカ? あたしは二人をを呼んで来てって頼んだだけなのに、どうしてこうなるのよ」
「あ、ごめんごめん。さあ若菜、行くよ」
 頭に手を当て渋面を浮かべながら若菜の手を取りドアの方へ走り寄る理紗。美咲も額に眉根を寄せたまま歩いて来る。
「あっ、あの、あたしたちにに用事って……」
 若菜の質問に、理紗が慌てて答える。
「ああ、これから新入寮生の歓迎会があるの。もちろん、歓迎される新入寮生の中にはあなたも含まれているわ」

 食堂の席はは制服を着た生徒たちでほぼ埋まっていた。
 入学式を明日に控えた一年生のうち、寮に入るのはわずか十数名。彼女たちは食堂の中央付近の長テーブルに着席し、それを在寮生たちの着席する丸いテーブルが囲んでいた。
 着席した生徒たちの前に配られたお菓子やジュースは、理紗を含む数名が買い出して来たものだった。進行役の三年生によって乾杯の音頭が取られてから、皆それぞれの話題に花を咲かせていた。
 若菜も新入寮生なのだが、丸いテーブルに理紗と美咲の間に座っていた。若菜のテーブルにはあと二人。一人はさきほど若菜たちを呼びに部屋へ来た加納雪絵。黒髪を肩の上で切り揃えたもう一人は、本島聡美。二人とも若菜たちの隣の部屋だと言う。
「そう。それでケンカになったわけね」
 若菜の話を聞いた聡美は笑顔を浮かべながらクッキーを口に運んだ。
「もしかして、三人になったら理紗だけじゃなく若菜にもくすぐられると思ったのかしら」
 雪絵もおかしくてたまらないといった顔をしている。
「そうなの?」
 理紗が美咲に聞いた。他の三人の視線も美咲に向けられている。
「そんなの、どうでもいいでしょ?」
 低く呟きながら両手に持った紙コップで顔を隠すようにジュースをすする美咲。
「やっぱり図星か。ここに来た時から美咲ちゃん、くすぐられるのが人一倍苦手だったもんね」
 言いながら、雪絵がクスクスと笑う。
「ねえ、くすぐられるのって、そんなに辛いものなのかな」
 誰にともなく投げかけられた若菜のその質問に、四人の手が止まった。今度は若菜の方に視線が集まっていた。
「いや、あたし、今まであんまりくすぐられた事ってなかったから、どんな感じなのかなって思ったわけで……」
 何かおかしな事を言ってしまったのではと思い、慌てて弁解する若菜。
「それじゃ、試してみる?」
 若菜の方へ近づいて来た理紗は、若菜の返事を待たずにテーブルの下に手を伸ばした。美咲のむき出しの膝頭に軽く閉じた指を触れさせ、ゆっくりと広げる。
 指の滑る膝に、ぞわぞわとした蠢きが生まれ、指の動きに合わせて広がって行く。
「な、何?」
 未知の感覚に思わず身を震わせる若菜。思わず理紗の指から逃げるように遠ざけた膝を撫でさする。
「ご、ごめん、大丈夫?」
「もしかしたら、若菜も相当弱いのかも。美咲ちゃんみたいにならなきゃいいけど」
 咄嗟に謝る理紗と、からかうように言う雪絵の言葉をよそに、若菜は理紗の指によって与えられた不思議な感覚の蠢きに必死に耐えていた。
 その感覚が消えた後、今度は自分の指を膝頭に滑らせてみる。理紗にされたのと同じように、すぼめた指先を膝の上でゆっくりと広げる。
 しかし、感じられるのは指の触れている感覚だけ。理紗にされた時のような不思議な感覚はどこにもない。
「あれ? 今度は何ともない」
 自分の指を何度も膝に滑らせながら首をひねる若菜に、理紗が言った。
「自分でやってもだめよ。他人にやられなきゃ、さっきみたいにはならないわよ」
「へえ、そうなの。そうだよね。自分で自分をくすぐってもくすぐったくないって言うわよね。それじゃ、もう一回やってみて」
「え?」
 理紗と雪絵、そして聡美が顔を見合わせた。
「ふふっ、これは面白い事になるかも」
 悪戯っぽい笑みを浮かべる三人を見て、若菜が首をかしげる。その若菜に理紗が向き直った。
「それじゃ、望みどおり、またしてあげる。ただし、今度はもっともっとすごいわよ。まずは手を上げてみて」
 若菜は部屋で美咲が腋の下をくすぐられていたのを思い出した。
「分かったわ」
 若菜が手を上げた時、雑多な話し声に満たされていた食堂が急に静まり返った。次の瞬間、スピーカーから上級生の声が響いた。
「それでは今手を上げた人から、自己紹介をお願いします」
「ええっ?」
 改めて周りを見回すと、他のテーブルに座っている生徒たちの視線が一斉に若菜に向けられている。慌てて立ち上がる若菜。
「えっと、親の都合で2年からこちらに編入する事になりました、吉本若菜です。よろしくお願いします」
 小さくお辞儀をして着席した後、生徒たちの静かな拍手が聞こえた。
「ごめん、若菜。こんな事になってるなんて知らなかった」
 若菜に向かって手を合わせ、ペコペコと頭を下げる理紗。
「二人とも悪ふざけばかりしてるからよ」
 美咲が低い声で指摘しながらジュースをすする。
「それでは二年生の新入寮生の自己紹介が終わったので、残るは一年生。吉本さんから一番近い席に座っているあなたから、順番にお願いします」
 上級生に指さされた、四角いテーブルの一番端に着席している生徒が立ち上がった。ウェーブのかかった飴色の髪を肩の下まで伸ばした、一年生の中でも特に目立つ美少女だった。
「◯◯県の××中学から来ました、桜井千鶴です。よろしくお願いします」
 落ち着いた、しかしよく通る声でそう言いながら、ゆっくりと頭を下げる。
 突然、ガタン、という音が食堂に響いた。美咲が勢い良く立ち上がったのだ。何か異形の物に出会ったかのような顔で身を震わせながら、千鶴を指さしている。
「あ、あ、あ、あんたは……」
 美咲がようやく声を搾り出した時、千鶴の目も大きく見開かれた。
「ああっ、美咲ちゃん、湯本美咲ちゃんね?」
 上級生の美咲をちゃん付けで呼んだ千鶴の顔は、嬉しさに明るく輝いて見えた。それに対して美咲は恐怖に身を震わせている。
「うぉっほん!」
 進行役の咳払いがスピーカーから放たれた。
「「し、失礼しました!」」
 二人とも我に返ったかのように同時に叫び、慌てて腰を降ろす。
「ねえ、今の人、知り合い?」
 理紗の質問に美咲は答えず、頭をかかえながら目を見開き、まるで何かに取りつかれたかのように震え続けていた。


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