(た)作品

入試帰りの高速バス、
知らされなかった傾向と対策

第1章 利香子の悪夢、それは、悲劇への幕開け
「あのときトイレに行っとけばよかった」

 渋滞につかまってしまった高速バスの車内で、女子高生の後悔が始まっていた。

 バスはさっきから、ほとんど止まったままである。人生の大イベント、大学入試の試練は、まだ終わったわけではなかったのだ。


 それはまだ、つくばエクスプレスが開通する、もっと以前のことだった。藤倉利香子と小野寺裕美という2人の女子高生は、静岡の同じ高校に通うクラスメートだった。2人は、性格的にはどちらかというと対照的で、利香子は明るくはしゃぐタイプ、一方の裕美は、おとなしくて思慮深いタイプ、でも、どちらもスレンダーな美人であった。そして、2人は性格は違えども、いつも一緒で普段から仲が良かった。

 昨日から、2人はつくばに前泊し、今朝からは市内の大学の入学試験に臨んだ。そして、無事に試験も終わって、あとは帰るだけになった2人は、とりあえず当時の最も簡単な移動手段として、東京行き高速バス「つくば号」に乗り込み、都心へと向かったのだった。

 そんな2人のうちの無邪気で陽気なほう、藤倉利香子という名の美しい女の子に、さっきから思いもよらない苦難が襲いかかっていた。


 今日の入試の出来ばえについては、どうやら、2人で明暗が分かれたようだった。利香子は、まあ実力は出し切ったかなという感じであったが、裕美のほうはというと、もしかしたら解答欄の記入場所を間違えた箇所があるかも知れないということで、少し不安そうな表情を浮かべていた。そんな裕美に向かって利香子は、そんなの思い過ごしだから絶対に大丈夫だよ、と言って、いつもの明るい笑顔で励ましていた。

 しばらくは落ち込んでいた裕美であったが、そんな利香子の言葉でやがては気を取り直し、2人は出発前に予定していた通り、都心見物を兼ねて途中で遊んで帰ることにした。筑波は寒いと先輩から脅されていたので、今までやけに厚着をしている2人であったが、もう入試は終わったのだ。着替えを用意していた2人は、つくばセンターのトイレで着替えを済ませると、喫茶店に入ってコーヒーを飲み、やがて頃合いを見計らってバス乗り場へと向かった。

 受験に行くのに着替えを持っていくのも変な行動に思えるが、そこは年頃の女の子である。静岡の高校生が東京都心に出る機会は、そうめったにあるものではない。しかも、変な下心がないといえばウソになるだろうか、利香子は、何と短パン姿である。入試の時期といえばまだ冬のようなものなのに、白い短パンから淡い肌色の脚をのぞかせ、その上から厚手のコートを羽織る姿は、もう大人の雰囲気を漂わせていた。

 2人は荷物と上着をバスのトランクに預けると、そのままバスに乗り込み、前から2列目のシートに陣取った。つくば号は、まだ乗客が多くて盛況だった頃で、今日も入試があったために乗客数が多く、2人が乗った車両は、普段は貸切バスに使用されている車両を充当された臨時便であった。

 バスの中は暖房が効いておらず、少し肌寒かった。出発間際にトイレに行った人がいたが、2人とも、トイレで服を着替えたついでに用を足してから、さほど時間はたっていなかったので、まあ大丈夫だろうと思い、バスはそのままつくばセンターを発車して、東京駅へと向かった。


 それから30分ほど、桜土浦インターから常磐自動車道を走っていた高速バスが、三郷を過ぎて首都高速に入った頃であろうか、利香子という名の女子高生の、白いぴっちりとした短パンに包まれた下半身に、女性の生理現象がもたらす、ある異変が訪れようとしていた。

 道路が片側3車線から2車線に変わってしばらくした時のこと、利香子は不意におしっこがしたくなった。まだ、先にトイレにいってからいくらも時間はたっていないのに、あろうことか、利香子は高速道路の上でトイレに行きたくなってしまったのだ。

 考えてみれば仕方のないことかも知れない。つくばセンターの喫茶店では、裕美と一緒にコーヒーを飲んでいたし、試験中は厚着がたたって、休憩時間に何度か水を飲みに行ったりもしていた。

 加えて、結構ひんやりする車内である。短パン姿に薄着で、寒さを防ぐためのコートは、バスのトランクの中。あとは利尿効果のあるコーヒーに、水分の摂取、それに車内の低い温度。もはや、美しい女子高生に尿意をもよおさせるための条件は整っていたと言っていい。

 しかも、利香子にとっては、一つ気になることがあった。それは、首都高に入ってしばらくしてから道が混み始め、バスが思うように進まなくなっていたことである。それも交通渋滞というより、ほとんど動いていない。途中停留所の上野駅に着くまでの時間なら、尿意は十分もつだろうと思っていた利香子であったが、バスが一向に進まないのを見て、一気に不安に駆られた。

 そうこうしているうちに、利香子の尿意は思わぬペースで急速に高まっていった。

 利香子は、思わず横にいる裕美に、

「トイレいきたくなった」

と告げた。裕美は、「え」と言っただけだった。その表情には、「ちょっと、こんなところで一体どうするの?」と思っているのがありありと窺えた。そう、裕美は尿意などもよおしていないのである。

 利香子は愕然とした。そう、おしっこがしたくなってしまったのは私だけなのだ、裕美は心配してくれるだろうけれど、自分のことではないし、この先、利香子の尿意がどんなに激しさを増すことがあっても、当然のことながら、それを裕美に代わってもらうことなんてできない。

 渋滞に巻き込まれたバスの中で、尿意をもよおしてしまった女子高生は、「オシッコ我慢」という、女性の宿命ともいえるものと、これから一人で孤独に戦っていかねばならないのだということを悟った。

 急速に高まる女子高生の尿意とはうらはらに、バスは一向に進まない。そんな間にも、利香子の尿意はどんどん激しくなってゆく。

「トイレ…、ああトイレいきたい…」

 利香子は、今度は裕美に対して言ったのではなかった。あまりの尿意の激しさに、つい口から出た言葉である。ずんずん高まってくる尿意に苛まれながら、辛そうにおしっこを我慢している同級生の姿を見て、裕美はなぜか所在なげに利香子の顔を覗き込んだ。相変わらず肌寒いバスの中で、女子高生はものすごくおしっこがしたくて、時折苦しそうな表情を浮かべながら、じわじわと女の下半身を襲う意地悪な尿意に悶えている。

 それにしても、バスは動かない。運転手は自動車電話の受話器をとり、何やら営業所とやりとりをしていた。そして2人は、道路の前のほうに電光掲示板があるのを見つけ、そこに、とんでもない恐ろしいことが書かれているのに気がつくのだった。

「加平−箱崎JCT 事故渋滞11キロ」

 それは、この先延々と続く、長い事故渋滞の知らせだった。途中停留所である上野駅への到着時刻が、とても見通しのつくような状態でないことは、他の乗客の会話から明らかだった。しかも、普段から東京行きの渋滞は当たり前で、事故があろうがなかろうが、上野駅のダイヤ上の到着時刻なんて、誰もあてにはしていない、なんてことも、2人は乗り合わせた乗客どうしの会話で初めて知るのだった。

「そ、そんな…」

 利香子は、もうトイレに行きたくてたまらなくなっていた。今になって、利香子は、つくばセンターを出発する前に、もう一度トイレに行っておかなかったことを悔んだ。しかし、車内を見回してみても、自分のほかに尿意をもよおしてしまった人がいるようには見えない。

 2人の受験生は、今日の入試の傾向と対策については万全なつもりであったが、帰りに乗る高速バスが渋滞で遅れる傾向にある、などということは、誰からも教えられるはずのない事実だった。入試「後」の「傾向と対策」に、こんな重大な落とし穴がぽっかり空いていようとは、2人に予測できるはずもないことだった。しかも、このうら若き女子高生を待ち受けていた落とし穴が、実は不運なレアケースであったことを、2人は後で知ることになる。

「なんで私だけが…」

 徐々に迫り来る激しい尿意をこらえながら、利香子は恨めしい気分になっていた。でも、恨めしい気分になったところで、尿意は引くものじゃないことも知っていた。でも、バスの中でトイレに行きたくなったのが、女の、しかも自分だけらしいということが、女子高生の後悔をより強くさせているのは確かだった。


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