インターネットの魅力の一つとして、「雑誌などで取り上げられる事のないマイナーなテーマについても詳しい情報が得られる可能性がある」という事が挙げられます。
去年の5月、私が自宅でインターネットを使う事ができるようになった頃は、「おもらし」がまさにそんなテーマの一つでした。
日本にはその時すでにいくつかのおもらし系サイトが存在しました。
それから1年の間に、その数はさらに激増しました。
現在の日本には、おもらしの他にオネショ・おむつ系ページやおもらしビデオ・雑誌制作会社のサイトなどをも含めると、20以上ものサイトが存在します。
そしてその中には女性によるサイトもいくつか含まれています。
一方、「くすぐり」については当時日本に1つだけ存在しました。
ただし、そのサイトはサーチエンジンで見つける事ができず、私がそのサイトの存在を知ったのは、かなり後の事となりました。
当サイトが出来た事で日本のくすぐ系りサイトは2つになりましたが、私が知る限り、今現在も2つのままです。
くすぐり系サイトの少なさは、日本のくすぐり人口の少なさを物語っています。
日本ではくすぐりは受け入れられにくいものなのでしょうか。
日本のサーチエンジンに「くすぐり」と入力すると、当サイトのような「くすぐり」をテーマとする数少ないサイトの他に、「あなたの好奇心をくすぐります」とかいうような解説文のついた(もちろん当サイトで言うくすぐりとは無関係の)リンクに混じって、「くすぐりエルモ」と呼ばれる人形を紹介したページへのリンクが表示されます。
この「くすぐりエルモ」というのは、「セサミストリート」という海外の人気番組に登場するキャラクターのぬいぐるみで、お腹のあたりをくすぐると、笑いながら身体を震わせるというものです。
この人形、けっこう人気商品だったりするそうです。
やはりくすぐりというものは、それなりに世の中に受け入れられているようです。
それでは、なぜ日本ではくすぐり人口が少ないのでしょうか。
それを考える前に、まずは日本におけるおもらし文化の発展の経緯について考えてみたいと思います。
日本のおもらし人口が増えた理由はいろいろあるかとは思いますが、やはり何といっても、三和出版の「おもらし倶楽部」という雑誌抜きには語れないと思います。
この雑誌では、「おもらし」の他に「お尻叩き」「浣腸」「おむつ」も扱われています。
これらは全て女性にとって非常に恥かしい事であると同時に、全て「幼少の頃の恥かしい思い出」に関係ある事から、総称して「甘えん坊SM」と呼ばれています。
この雑誌、実はレディースコミック雑誌「タブー」と関係があり、アンケート調査などは「おもらし倶楽部」誌上の他に、「タブー」誌上でも行われています。
このアンケート結果を見ると、多くの女性が「おもらし」を「可愛くてエッチだ」と思っている事が分かります。
もちろん、「おもらし倶楽部」は読者からの告白記事やグラビア、ビデオ紹介、そして交際コーナーなど、おもらしに関する情報が充実しています。
この雑誌を読んで、女性のおもらしが「可愛くてエッチだ」と思った男性、女性は多いと思います。
つまり、このようにして日本人に女性のおもらしが「可愛くてエッチ」な事として認められたという事ではないかと思います。
もちろん、次々に立ち上がったホームページも、日本のおもらし人口増加の加速に少なからず貢献していると思います。
それでは、くすぐりについてはどうでしょうか。
日本には現在、くすぐりに関する専門雑誌は(多分)ありません。
また、レディースコミックにもくすぐりが登場する事は滅多にありません。
女の子が縛られて、鞭で打たれたりローソクでいたぶられたりしている場面は頻繁に出てくるのに、くすぐられているシーンが出てくる事はありません。
それはなぜでしょうか。
第1の理由として考えられるのは、文学作品の影響です。
SM関係の有名な小説の中に、ポリーヌ・レアージュの「O譲の物語」というものがあります。
この作品の中で、主人公のO嬢は彼女の恋人やその他の人々から激しく鞭で身体を打たれます。
後に映画化され、人々がそれを見た時、その衝撃的な映像によって「SMとはこういうものだ」というような、一種の固定観念のようなものを焼き付けてしまったのかもしれません。
(と言っても、私はまだ映画版の「O譲」を見たことはありませんが……)。
さらにその固定観念は、この後作られた多くのSM系ポルノ小説やSM系アダルトビデオ等により、ますます人々の心の中に浸透する事になったと思われます。
それらの作品の中に多く登場する鞭打ちシーンがSMの代名詞となり、それよりも一見ソフトに見えるくすぐりなどは影をひそめてしまったのではないでしょうか。
第2の理由としては、くすぐり自体はあまりにも日常的でありふれたものであるため、わざわざ専門の雑誌などを作って取り上げる必要はないと、多くのアダルト雑誌関係者が考えているという事が考えられます。
しかし、ほんとうにくすぐりは日常的でありふれたものなのでしょうか。
メディア資料室で紹介した「男の体・女の体」という本によると、くすぐったい感覚というものは、実はエッチな感覚と同じものだそうです。
という事は、「鞭で叩かれて感じる人」とか「ローソクの熱さに感じる人」よりも、「くすぐられて感じる人」の方がずっと多くて然るべきという事になります。
つまり、「くすぐり」とエッチな事を結び付けて考えるという事は、ごくごく自然な事という事です。
一方、おもらしとエッチな事を結び付ける事にも、それなりの根拠があります。
特にオシッコおもらしについては、オシッコの我慢のしやすさに男女の違いがある事は前に書いたとおりですが、それ以前に、オシッコの出る場所が性器に近いという事は、それだけで排泄とエッチな事が結びつく大きな理由になります。
また、この事は性について「汚い」とか「不潔」とかいうイメージを人々に抱かせる原因の一つになっているのかもしれません。
もしも人間の性器が排泄器官から遠く離れた場所にあったとしたら、人間の性に対する考え方や文化は、実際のそれとは全く別のものになっていたかもしれません。
「くすぐり」にしても「おもらし」にしても、それをエッチな事と結び付けて考える事はそれなりに可能性のある事であり、メディアの影響力によって片方が顕在化し、片方はまだ人々の無意識下にしまい込まれているという事ではないかと思います。
いずれにしても、何が世間に受け入れられ、何が受けいれられないかといったことは、メディアの影響が非常に大きいという事が言えると思います。
くすぐりについては今のところ、日本には専門誌などはなく、くすぐりビデオと数少ないホームページがあるだけです。
出版社などが新たな雑誌を作るというのは、非常に大変な事です。
作るからにはそれなりの投資が必要ですし、それに見合った売り上げが得られる保証がある程度確立されなければ、作るわけにはいきません。
従って、日本にくすぐり雑誌が登場するのは当分先の事になると思います。
このような状況では、くすぐりに関する情報源としてのホームページは非常に貴重な存在だと思います。
「くすぐりの館」に設置されている掲示板には、現在かなりの人が集まるようになってきています。
まだサイトの数は増えていなくても、その前兆と思われる変化は少しずつ進行しているような気がします。
もしかしたら日本のくすぐり文化は、ネットの中で初期成長を遂げる数少ない文化の一つとなるかもしれませんね。
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